2025-01-01から1ヶ月間の記事一覧
正徳3年9月27日。先代と同様に勤めるようにとの廻文がある。
正徳3年9月25日。定光寺へ山澄主悦をして真御太刀綱広、御馬代黄金1枚を贈る。建中寺へ石河靭負をして敬公仏殿へ御太刀・御馬代を贈る。瑞公廟へ真御太刀兼定・御馬代を贈る。泰心公廟へ真御太刀兼白・御馬代を贈る。円光院様廟へ真御太刀菊一文字・御…
正徳3年9月23日。今日明日と広井八幡祭が行われる。修理殿から廻分がある。去る18日家督の礼を仰せ付けられ、家中の輩は祝詞を申し上げるように江戸から申してきたので来る25日、27日の両日内に各拙宅へ出向き申し上げるようにと云々。御直参は月…
正徳3年9月19日。60余りになる生駒因幡家来の長谷川分左衛門の娘が手習いに行くのを34、5の玉置右膳家来の武藤源左衛門が見かけて気に入り、強く妻に貰いたいと言ってきた。分左衛門はあれこれと断ったけれど納得しなかったので殺そうと云々。やむ…
正徳3年9月18日。この日、武野新五左衛門ならびに御茶道小頭宗寿が尾張を出発し、宇治へ出かける。口切(新茶)を大樹に差し上げるたけ円覚院様が詰められた茶が用いがたくなったためであった。茶は残らず詰め直す。継目の礼・祝儀の献上物は摂州様(松…
正徳3年9月15日。午(午前11時)頃、納屋裏で火事だと騒ぎがある。七々日の法事は辰刻(午前7時)に始まり、入仏事とともに申半(午後4時)に終わる。名代は周防守が勤める。黄檗東輪寺はこの日から来年9月15日まで閉関(戸を閉ざし、世俗との関…
正徳3年9月14日。近頃五味平馬と高橋図書が名古屋に到着する。平馬は供先を揃え大仰しく名古屋に入ったことが戯言にも見える。小普請組岩瀬源三郎は今年6月11日の朝に惣領を差し殺したが、次男次郎三郎は乱心前の実子であったので高300俵のうち2…
正徳3年9月11日。文左衛門は三郎左へ出かける。段之右・儀兵も出かける。野崎の庄屋に免状に判をさせる。
正徳3年9月8日。六十七日法事・施餓鬼が巳刻(午前9時)に始まる。名代肥前殿が終わり、梅昌院様(徳川綱誠側室)が参詣し、入仏事が行われる。何れも退出の後、本堂でひそかに左衛門殿より施餓鬼が行われる。僧たちには内緒だから話すなと云々。明日朝…
正徳3年9月6日。襲封につき定光寺へ名代を嶋沢仁大夫が勤める。御家督二人(ママ)は前川の増水のため昨晩ようやく到着する。この日御家督の廻文がある。夜、鈴木十郎兵衛が他から戻る。この2月から奉公していた若党村瀬藤七が、自分の長屋から密かに白…
正徳3年9月5日。文左衛門は朝飯後段之右と三郎左へ出かける。そこへ儀兵もやって来る。長良村の庄屋が検見を行わずに昨年の免より5分上げを願い出てきたので、このことを廻文にする。野崎も同様とする。吸物・酒を頂き、昼に帰る。大須の住持はこの日尾…
正徳3年9月4日。文左衛門は巳(午前9時)から文四夫婦・弥四家内・すめとともに施行見物に出かける。朝飯は終わっており、夕飯はまだ始まっていないので通所へ出かけ、弁当を食べるうちに雨が降ってきてジメジメしたが、出かける時には晴れて歩きやすく…
正徳3年9月2日。この朝、文左衛門は月代を剃る。頭からも今日から月代を剃るようにとの廻文が昨日の日付で廻る。瑞祥院様(徳川吉通正室)からの施行(施し)が行われ、この日から8日までの7日間仰せ付けられる。戌(午後7時)過ぎ頃、下町へ行く坂の…
正徳3年9月1日。三十五日の法事が行われ、読経二百部、僧は二百三十人。名代は隼人正が勤める。御経が終わり、紀侯・水戸侯から使者がある。その後御老中五人から使者があり、一度に勤めを行う。拝礼は一人ずつ行い、代香は行われず。これが終り若年寄二…
正徳3年9月3日。明け方、地鳴りがする。正徳3年9月4日。深夜、地鳴りがする。正徳3年9月18日。子(午後11時)過ぎ、少し地震がある。正徳3年9月21日。子(午後11時)過ぎ、少し地震がある。正徳3年9月26日。子刻(午後11時)、地震…
正徳3年9月1日。雨が降る。辰(午前7時)過ぎに雨が止む。時に晴れ、時に曇る。時に少し雨が降る。夜、晴れる。寒くて文左衛門は綿入れを着る。昼間も同様。その後もなおさら同様。正徳3年9月2日。薄曇。正徳3年9月3日。快晴。正徳3年9月4日。…
正徳3年8月29日。公、襲封(領地を受け継ぐ)。米屋理左衛門は元来とても律義に見えたので、人々は心を許し、侍や町人などは金を渡して運用させた者が多かった。中でも萱屋町服部所左衛門は前から理左衛門に預けて運用させており、4年前まで利益を間違…
正徳3年8月28日。この度の石碑は鵜沼石158両で札が落ちる。三州石は138両で札を入れたが、飛騨守が肯かずと云々。
正徳3年8月27日。この日は御家中の拝礼が行われる。在尾州は隼人正から最末村上武兵衛に至る凡そ226人。在江戸ならびに尾の隠居・内室など及び茶屋長曽ともに全てあわせて180人。御家老10枚・御老中5枚・御老中隠居3枚・礼剣以下2分・主馬殿…
正徳3年8月26日。行赦が8人ある。その中には伝馬町の醋屋の女房及びその兄弟など女が3人いた。また御下屋敷の御小僧千弥も赦される。名代主馬殿千部の法事が終わり、御布施がある。建中寺へ銀100枚、隠居内陣詰へ時服3、座頭は100貫、ごぜへ2…
正徳3年8月25日。今朝大公泰心公・雲仙院様の廟・霊屋へ妙園院様から濛気(見舞)の御使を平田伝左衛門が勤める。御城代組ならびに明組付主殿同心などが出向く。点心(軽食)の間に黄檗東輪寺がやって来る。律僧が15人、その中で色衣を着た者は6人で…
正徳3年8月24日。名代は志水甲斐、瑞祥院様からは横井孫右衛門勤める。御大工3人、棺の御先として上った桑山六右衛門と供してやって来た松宮七郎右衛門・岩腰源七がこの日江戸へ戻る。
正徳3年8月23日。四十七日の名代は山澄主悦、本寿院様名代は古屋源之右衛門が勤める。入仏事は申(午後3時)頃に終わる。飛騨守組等が出向く。昨日、禅寺町松原三太夫西の構えで非人が死んでいた。近頃借家に住むことができなくなっていた。大男が9つ…
正徳3年8月22日。辰刻(午前7時)、法事が始まる。名代は兵部殿、瑞祥院様名代は肥田孫左衛門、本寿院様名代は鈴木勝右衛門が勤める。法事が終わり、鐘を叩いての惣念仏を行う。御位牌の後ろの上に本尊を置いたのはこの度が初めてであった。いつもの本…
正徳3年8月21日。この日から町々でいつもの通り商品を並べる。今までは下蔀を下ろしてあった。供で名古屋へ来た五十人衆の35人ならびに御歩行9人はこの日江戸へ戻る。この内五十人長岡十郎右衛門と吉田利兵衛の子と松井覚左衛門の弟の3人は病気のた…
正徳3年8月20日。この2、3日魚を売りに出かけず。熱田で留まっていると云々。宿割の御供番はこの日尾張を出発し、江戸へ帰る。明後日から法事が始まると移文(回状)がある。
正徳3年8月19日。近頃、戯言が多く出回り、巾下の大石のあるところや、稲荷にも立て置いてあると云々。
正徳3年8月18日。辰半点(午前8時)、葬送が行われる。道中で棺の外覆いが損傷し、金物が現れる。このまま本堂内陣に入り、棺台の下に大紋(大きな紋の入った直垂)を出し、畳2帖を敷く。葬送の日にはその上に直に白練(白い練絹)をかけ、廟に納める…
正徳3年8月17日。明日葬送に付き特に謹むようにとの廻文、そして衣服は上下等も伝えられる。文昭院様霊屋懸は御先手高木源五左衛門が勤める。少し前、成瀬藤太が江戸へ到着し、御連枝様方などを廻った際に鐙(あぶみ)で足を擦りむいたと云々。体中が大…
正徳3年8月16日。昨夜丑(午前1時)頃、土田を輿が出発し、卯半(午前6時)に小牧へ入る。決められた時間があるのでここで待ち合わせ、味鋺でゆっくりと小休止をとる。未8刻(午後2時半過ぎ)、建中寺に入る。長柄、弩俵(旗印)、鉄砲、弓などは建…