名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

鸚鵡籠中記

脱走して溺れ死ぬとは

宝永3年6月29日。銀吹き直しの廻文が来る。文左衛門のこの夏の麦の値段は長良が1石2斗8升、野崎が1石2斗5升。免番値段(藩の公定価格)は1石2斗。近頃、なやうら(納屋裏)で密夫の罪で庄屋預りの男が番の目を盗んで逃げ出し、江川でおぼれて死…

本当はどうなの

宝永3年6月26日。近頃、七曲り児島一郎右衛門のところに強盗が入ったともっぱら噂になる。

仕事なのか接待なのか

宝永3年6月22日。未半(午後2時)過ぎから文左衛門は瀬左と八郎右へ出かける。笠原村と羽田川村百姓の山境絵図の決断(判断)を行う。老中の判5つの他に10の判や裏書を見る。酒などをご馳走になる。少し前から開帳だったので志水観音へ出かけ、座敷…

冷たい一言

宝永3年6月19日。近頃、200石下方左平の跡目が途絶え、屋敷も没収となる。願い出ることがあり、言上(目上の者に申し上げる)に及ぶと、屋敷を壊すので今日中に明け渡しようにと云々。源左衛門は初めのように書院番を勤める。

無理矢理男女の仲を裂こうとしてこうなったのか、そして勘違い殺人

宝永3年6月17日。未刻(午後1時)、恒河左五兵衛門外で相原政之右衛門召仕の覚内が切り殺される。相手は中条主水殿同心今泉新右衛門の若党伊藤作太夫という者であった。浜田宅左衛門のところへ立ち退く。政之右衛門頭への口上書には、昼頃新町へ小麦殻…

若宮祭ですか

宝永3年6月15日。申半(午後4時)過ぎから文左衛門は政右・甚五右と片端の川澄一郎右衛門の明(空)屋敷へ行き、物見から数千の人を見る。かつ酒などを呑み、戌(午後7時)頃帰る。

儲かりまっか

宝永3年6月13日。文左衛門は昼から曽右へいつもの頼母子会のため出かける。日が暮れて帰る。

久四郎の仲間はまだいたのか

宝永3年6月12日。この日から借用金を評定所で上田伴右衛門が渡す。73になる馬廻組近藤武兵衛が頭中村又蔵へ預けられる。小頭は三沢伝左衛門、山寺喜右衛門。同道するのは相組羽田野義兵衛・横井治兵衛・親類山崎伊之右衛門の3人。武兵衛の妻は長屋忠…

それぞれ理由があるけれど自殺はいかん

宝永3年6月11日。近頃、尾頭泰雲寺の小僧が自害する。みだらな行為に溺れてのことと。七ツ寺寺家一乗院の中間は貧しさのため自害を試みるが失敗する。

ありがたいお話が聞けました

宝永3年6月9日。巳刻(午前9時)、身延山の住僧日亨が大光寺へやって来る。先月、常紫衣を勅許される。10日朝、大光寺で説法し、たくさんの人が集まる。12日の朝、大光寺を発つ。

茶壷を敬うのも変じゃない

宝永3年6月3日。大樹の茶壷が清須で昼休み、その後鳴海に泊まられる。尾張藩主の茶壷は明後日到着する。

それぞれ悩みも違ったのだろうか

宝永3年6月2日。近頃、五条町の町人、みその(御園)町の少人(卑しい人物)、長者町・桜町を下った小桜町の菓子屋3人が自害する。それぞれに面識はなかったので書き記しておく。

江戸へ行けば何とかなるのか

宝永3年6月1日。73になる町医者那須心庵が江戸へ向かう。500両余りの借金があり、進退窮まってのことと云々。あわせていろいろな贅沢話などもある。

宝永3年6月の天気です

宝永3年6月1日。申(午後3時)前から夕立となり、ジメジメする。半時(1時間ほど)して止む。雷も少し轟く。宝永3年6月2日。晴。寅(午前3時)過ぎから雨が降り、風が吹く。明け方に止む。宝永3年6月4日。後に晴れる。宝永3年6月5日。晴。宝永…

栄国寺もこんなことで叱られるとは思っていなかったのでは

宝永3年5月28日。近頃、大須真福寺の住職に越前国滝谷寺がなる。先年は甚目寺東林坊の住職であった。近頃、栄国寺借屋の桶屋が遠州白須賀で病死する。寺から人を遣わす。借屋の屋守(大家)がいなかったので大いに叱られる。

磔の木の値段ですか

宝永3年5月27日。正木九左衛門ならびに女房げんともに町を引き廻し、獄門となる。大黒屋は追放となる。げんは北村又右衛門の娘で広瀬・浅野とは従弟であった。槍で5度突いてようやく死ぬ。磔木の値段が定まり、6勺5分と。

跡目の相続も偉くなると大変ですね

宝永3年5月25日。竹腰兵部上屋敷へ玄蕃主水が出かけ、御意の趣の書付を渡す。江戸から申し来た趣の書抜。一 竹腰近江守死去に付き、跡目のことを申し上げたところ近江守知行ならびに預けの同心、屋敷などまで相違なく同姓兵部へと仰せ付けられたので万事…

宝永元年7月18日の参道のことですかね

宝永3年5月22日。熱田御幸道のことが決着と。

確かに旦那を殺した理由がわからない

宝永3年5月20日。この朝、近江守同心200石で長者町下東側に住む手嶋九大夫が女房に傷を負わされ死んでしまう。女房は九大夫の熟睡をうかがい、久大夫の脇差を取って乳下から片腹へ突いた。久大夫は柄をもぎ取ろうとしたと見えて、手の内が擦り切れて…

これも麦の収穫の影響ですか

宝永3年5月18日。馬頭は例年より少ない。

見事は痴話ばなし

宝永3年5月17日。夕暮れ前、飯嶋意閑召仕の女が髪を振り乱して、羽織と刀を差して家に帰って来た。人が集り、この女を見物した。この女の夫は蟹江角右衛門の若党であった。1日に行くとほかの女が夫のところにおり、この日もまた同様だった。そのため3…

縁起でもない間違いじゃないですか

宝永3年5月16日。少し前に近江守が死去していた。口上、触を江戸では信濃守死去とあった。やがて言い改める。

かやって女性はすごいなあ

宝永3年5月14日。卯半(午前6時)、建中寺行者通閑が家にいると、新井清左衛門がやって来て先日のことを謝り、かつ茶を求める。先日のこととは通閑が清左衛門を女房を犯したと訴えたので、清左衛門は所を追放になったことで、清左衛門は初めは近江守足…

この人は一体何をした

宝永3年5月13日。栄尾八右衛門殿が城下追放となる。

何度も茶壷って通るんですよね

宝永3年5月9日。公義茶壷が熱田に泊まれる。紀州故中納言家1周忌につき、使いとして寄合冨永甚大夫がこの日尾張を発つ。殿様から友正院へ香典白銀50枚が送られる。使は用人山本伝蔵が勤め、相応寺へ入る。少将様方から3枚ずつ送られる。

松平様も見物すればいいのに

宝永3年5月5日。この夜、松平大膳太夫が熱田に泊まられる。そのため馬の頭は早く終わるようにと奉行所から触がある。熱田修復の調査のため両寺社奉行は熱田へ行っており、馬頭を見る。今年は村々で麦の刈り入れの最中で、馬の数が例年より少ないと。

あの詐欺師ですよ

宝永3年5月3日。ひたき(ち)村円六一三の詮議が続いており、この日は寄木村の百姓ならびに尾張の諸士の真妙(尼)女などを奉行所に呼び寄せ、詮議があると。

全て法事がらみ

宝永3年5月2日。竹腰兵部にお悔やみの使いがある。側足軽頭の矢部兵右衛門が江戸からやって来て、これを勤める。両城代組に廻文がある。穏便の際の心得について。

竹腰友正の法事

宝永3年5月1日。この日から明日まで友正院の法事が相応寺で行われる。

宝永3年5月の天気です

宝永3年5月7日。明け方、雨が降る。辰(午前7時)より晴れる。宝永3年5月8日。朝、少し雨が降って止む。巳(午前9時)、一時大雨となる。宝永3年5月10日。雨が降り、静かでさびしげ。巳(午前9時)過ぎから晴れる。夜、北の方遠くでで雷が聞こ…