名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-10-01から1ヶ月間の記事一覧

むつかしとは不快とか見苦しい

宝永2年7月26日。伝馬町の馬子が信州の伊勢参りを乗せ、熱田へ向かうが病人のため舟には乗せてもらえず。馬に乗せ、また小牧へ急いで戻ると、すぐに小牧で死んでしまう。むつかしと。

この頃紀州藩では不幸が続きます

宝永2年7月25日。紀州内蔵頭様(徳川頼職)が熱田で昼の休憩をとられる。対山様(徳川光貞)看病のため。

まだまだ穏便

宝永2年7月20日。殺生禁止の廻文がある。

これは恋愛のもつれか

宝永2年7月18日。文左衛門は比丘尼衆の畳検分から直ちに政右・中尾三之右と小塩弥五左へ出かける。碁を囲み、夕暮れ前に帰る。素麺・吸物・酒など。申刻(午後3時)、駿河町に住む17歳の美しい鈴木伊与守小姓松嶋左源治を22歳になる用達金子丹之右…

何やら平和な1日

宝永2年7月17日。文左衛門はこの日から大工甚六を雇い、表の塀覆いをやり直す。

あれ、穏便は終了していないか

宝永2年7月13日。今年の盆の間、町中ははなはだ静まり返る。門火も外では燃やさず、灯篭も火は灯さなかった。

穏便は終了

宝永2年7月9日。この日、廻文がある。作事が許されると。

何事も度を越してはいけない

宝永2年7月7日。昼から文左衛門は朝岡甚五右を呼ぶ。今朝、鱸魚を他からもらったため。近頃、天鼓(天上で鳴る鼓)が鳴るともっぱら噂になる。その音などを文左衛門は聞いていなかった。9日夜更けに聞いたところ天鼓の音ではなかった。本立寺の常題目(…

例え噂であってもすがりたいときもある

宝永2年7月5日。尾張の町々に伊勢御祓(厄払いの札)がたくさん降る。1日には日置村庄屋加兵衛の家。2日に呉服町下紺屋甚右衛門の家。3日大久保見町。そのほかあちこちへ降ったと男女が巡り歩く。ある商家の手代が詠む。此盆は古かけ迄もとりの年どこ…

宝永2年7月の天気です

宝永2年7月1日。巳(午前9時)過ぎから薄曇り。宝永2年7月2日。巳(午前9時)から薄曇り。宝永2年7月3日。晴。宝永2年7月4日。晴。宝永2年7月6日。雨。巳(午前9時)から止む。申(午後3時)前、雨が降り、雷が鳴る。そのうちの1つは大…

こりゃ怒られるわ

宝永2年6月28日。足軽頭残らず側同心頭のところで老中からの叱りを受ける。昨日の庄内の大水に遅参もしくは不参加があったので今後は気をつけるように。この日、近江守組相応寺筋久々宇八右衛門座敷の庭に傘1本が落ちる。夜、廻文があり、一位様逝去と…

変動相場だから売る時で差が出てしまう

宝永2年6月26日。文左衛門は役料手形を売り払い、9斗5升と交換する。近頃、竹腰近江守姪が荒川次郎九郎と縁組が整う。この女は泰心院様の御守の子志水監物の娘であった。監物の妻は近江守の妻であった。監物が死んでからこの娘が生まれると。今年で2…

この人は名医のようだ

宝永2年6月24日。長尾全庵が熱田を通る。松寿院様かつ雲州(松平義昌)様の使いとして竹田三益が出かけることになっていた。そこで薬を受け取るはずであったが、ちょうど松寿院様の具合が悪くなり三益は側を離れることができず、針立の渡辺昌堅が出かけ…

姑息な奴だ

宝永2年6月23日。文左衛門は忌明けで彦兵殿へ出かける。役料手形の裏判を取る。近頃、代官粕谷岡右衛門は巾下の屋敷を拝領するが、引っ越しをせずにほかの者に貸し出し、自分は屋敷を借りる。それならば屋敷は差し上げるようにと国奉行から内意がある。

僧侶の争いはいつも見苦しい

宝永2年6月20日。未刻(午後1時)、海部伝右衛門は座敷で鉄砲の筒薬1貫匁ばかりをもろふた(長方形の木箱)に入れ置き、しんざしにかためて(尻刺しか?、戸に棒をかう)伝右衛門は外へ出かける。惣領勘太郎9歳が密かにやって来て、火をつけるとたち…

忠臣なのか逆臣なのか

宝永2年6月19日。近頃、岩間甚左衛門後家と出入りの座頭が関係を持つ。これが露見したので湯殿で互いに死のうとするが、外から見つけてこれを止める。少しずつ両方傷いたと。戌(午後7時)過ぎ、久屋町・杉の町西側の山村与左衛門、寄合千村伊左衛門弟…

超常現象だ

宝永2年6月18日。両村の麦値段についての免番衆からの廻文がある。1両で1石1斗8升。文左衛門の長良村はこれより1斗下値、野崎は7升下値。昨日、源右衛門座敷の庭に大豆が7、80粒降る。文左衛門はこの日自分で見る。大豆よりは少し大きく、色は…

また大した少年現る

宝永2年6月17日。昨夜子刻(午後11時)から石川運平がまた吐逆・腹痛・発熱し、四肢がこわばり、息も絶えるがまたふき返す。今朝は吐くのはおさまる。言葉ははっきりしているが四肢のこわばりはおさまらず。昼過ぎについに死んでしまう。10歳。近頃…

なぜに参列しない

宝永2年6月16日。雨のため遅く昼過ぎに祭礼が行われる。若宮神主は6、7年前のように供奉(列に加わること)しなかった。代参は安井上野がいつものように勤める。

本寿院様、蟄居

宝永2年6月15日。今年の津嶋祭はとりわけ人が集まる。夜、久屋と鍛冶屋町の間の下馬杭の側の道で50ぐらいの男を裸にして、4ヶ所を切って殺し、サイミ(ママ、細身か?)の帷子で巻いて俵に入れて捨ててあった。江戸において本寿院様が四つ谷の屋敷へ…

なんや嘘かいな

宝永2年6月12日。高木志摩の玄関に妖物が現れ、人の鼻をつまむと。これは昨年故志摩の時、土居の狸が妖怪になったとの噂があった。それを今間違えて話しているのでは。

高いのか、安いのか

宝永2年6月11日。蔵の買留、1分半で1石。

今もありそうな話

宝永2年6月8日。竹腰信濃守が尾張を発ち、紀州へ向かう。初月忌の名代として焼香のため。香奠銀200枚は100枚ずつ台を付ける。銀子は2箱に入れ、中間が持つ。(後略)近頃、水野権太夫女が伊勢の岡都(盲人)と心中する。権太夫は江戸におり、留守…

たいした少年だ

宝永2年6月7日、桶屋町、桑名町3丁目の蒔絵師岩井屋治右衛門の子長十郎11歳が辰刻(午前7時)過ぎ近所の子たちと5人で伊勢へぬけ詣し、9日の昼未刻(午後1時)過ぎに長十郎1人だけが嬉々として帰ってくる。父母は途中から帰って来たのではと思っ…

でかければいいもんじゃない

宝永2年6月5日。卯半(午前6時)に法事が始まり、経の名代は渡辺飛騨守で衣冠を着る。安芸からの使者天野源左衛門、香典銀子10枚。政姫様から1枚、名代は新番が勤める。家老5枚、老中3枚、大寄合2枚・礼剣以上1枚、側物頭以上・吟味役ともに金子…

祟りじゃ

宝永2年6月4日。本寿院様の入仏事、施餓鬼が行われる。辰(午前7時)頃、津守(松平義行)様が正信院へ入られる。読経の前から内陣へ入られる。四切り(午前10時)過ぎ、点心前まで聴聞される。それから瑞竜院様・雲仙院様・瑩珠院様霊屋ならびに泰心…

こちらは綱誠の側室

宝永2年6月3日。梅昌院様の入仏事、施餓鬼が行われる。昨日未(午後1時)頃、津守(松平義行)は高須を発駕(出発)のはずであったが、安芸へ川水が出たため、この日未刻(午後1時)に発駕する。戌刻(午後7時)に松寿院に入られ、亥半(午後8時)頃…

やはり年の順番ですね

宝永2年6月2日。但馬守(松平友著)様からの入仏事、施餓鬼が行われる。

法事の続きですかね

宝永2年5月30日。津守(松平義行)様の入仏事が行われる。施餓鬼が行われる。

法事も年の順番ですかね

宝永2年6月1日。出雲守(松平義昌)様の入仏事が行われる。山本伝蔵の代わりに横井源五兵が名古屋に到着する。