2022-01-01から1年間の記事一覧
元禄8年12月28日。(11月28日事件の続き)この日、雇いの男と妻子は牢に入る。翌年になり、牢に中で話し始める。自分が死んで妻子を助けたいと何度も繰り返す。終には食事もとらずに餓死してしまう。そして妻子を牢の中から出そうとこの男は何度も…
元禄8年12月26日。朝の間曇る。その後段々と晴れる。東風が吹く。戌刻(午後9時)、巾下榎町で火が出たようだと騒ぎがあると。
元禄8年12月25日。暖かい。夜、曇る。戌刻(午後7時)から雨が降り出す。時々止んでまた降る。文左衛門は相原久兵のところから帰ると腹が痛み出す。ひと眠りの後、痛みに耐えられなくなり明け方までに数度吐く。これは久兵のところで生鯖を食べたから…
元禄8年12月21日。近頃、小牧町の町人がたばこ包丁で近所の町人を傷つけ、自害する。
元禄8年12月19日。明け方前、少し雨が降る。時には曇り、時には晴れる。巳半刻(午前10時)過ぎから風が吹く。文左衛門は口米8俵を東隣の久兵と一緒に車に積み、御蔵へと持って行く。車賃は1俵につき18文。
元禄8年12月18日。暖かく、春のような陽気。
元禄8年12月17日。風が吹く。文左衛門は先日引き取った材木代を松本加兵衛のところへ持っていかす。桧の4尺5寸(1尺は約30センチ、1寸は役3センチ)の材木43挺、代金は78匁2分、1両で33挺。椹の半切の材木20挺、代金は25匁2分、1…
元禄8年12月16日。快晴ながら、風が吹く。
元禄8年12月15日。丑刻(午前1時)に雷が3、4度鳴る。以後しばらく雨が降るが、止む。
元禄8年12月14日。快晴。文左衛門は家の煤払いを行う。
元禄8年12月13日。快晴。先々月より銭が高くなり、1分に1貫文を超えてしまう。近頃、橘呉服町角の油屋某が5000両の銭を江戸へ廻そうとして海に沈んでしまったと。
元禄8年12月12日。五郎太様(徳川吉通)が元服する。
元禄8年12月11日。先ごろから松井市右衛門が承った家中の先祖親類書を集める。この日、説明の触がある。先祖書について。曽祖父より苗字の上に、住所、奉公先、いつの時代に奉公したかを書くように。祖父・父も同様とする。この中に名字などが変わった…
元禄8年12月9日。空、晴れ渡る。
元禄8年12月8日。未刻(午後1時)から曇る。夕暮れ前から雨が降り始める。
元禄8年12月7日。風が吹く。
元禄8年12月5日。巳(午前9時)過ぎ、火事だと騒ぎがある。文左衛門は米屋理左衛門に命じて米13石を売る。長良が9石、野崎が4石。ただし、1両で1石3斗。七間町と下本町の間、横町北側で火燵より火があがり、少し焼けたと。久屋下で柿羽織ひとり…
元禄8年12月4日。夜更け、少し雨が降る。夜、火事があったと。文左衛門は知らず。屋根に上ると乾(北西)の遠くに火が見えたと。また、伏見町下伽羅(きゃら、香木)の油売の家から火があがるも、たちまち消し止めたと。
元禄8年12月3日。山中太右衛門は願いの通り切米・屋敷を召し上げられる。5人扶持を下され、同名覚兵衛のところへ引き取る。
元禄8年12月2日。未刻(午後1時)から風が吹く。
元禄8年12月1日。快晴。
元禄8年11月28日。29日のこととも。若林元右衛門が野崎村へ借金を返すため、昨年召し仕えた僕に律儀にも余分に金3両を持たせて向かわせた。この日の明け方、枇杷島橋で襦袢と股引以外をはぎ取られてしまった。そして橋の欄干に縛り付けられた。夜が…
元禄8年11月26日。雨が降る。巳刻(午前9時)には止み、曇る。
元禄8年11月25日。夜、雨が降る。文左衛門は1石5斗を餅米を売る。相場は1両で1石3斗。
元禄8年11月22日。如意百姓の首謀者5人が追放となる。免のかわりとして1ソン(ツ?)ずつ課せらる。免と共に。
元禄8年11月19日。若宮での講釈が終了する。
元禄8年11月18日。空、晴れ渡る。夕飯の後、文左衛門は猶右・岡右・理太夫と稲生に出かける。掃部ところで蕎麦切りを食べる。戌半(午後7時)過ぎに帰宅する。
元禄8年11月15日。雨が降る。筑後守組衆の知行所如意という村で百姓が徒党を組み、村を占拠し、田の刈り入れを行わなかった。そのため筑後守から国奉行に人をやり、足軽雑兵300人余りを村に行かせて田を刈り、首謀者5人を縛り上げた。番人40人が…
元禄8年11月14日。辰刻(午前7時)から雨が降る。
元禄8年11月13日。空、晴れ渡る。少し前から大曽根関貞寺側の八幡の造営が始める。斧を使い巧みに組み上げる。慶徳源之丞という社人に与えられた社領は15石3人扶持。この夜、遷宮が行われる。子刻暮(午前1時近く)に安慎の祭が行われる。