名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-12-28から1日間の記事一覧

続きに期待しましょう

元禄8年11月28日。29日のこととも。若林元右衛門が野崎村へ借金を返すため、昨年召し仕えた僕に律儀にも余分に金3両を持たせて向かわせた。この日の明け方、枇杷島橋で襦袢と股引以外をはぎ取られてしまった。そして橋の欄干に縛り付けられた。夜が…

11月26日の天気です

元禄8年11月26日。雨が降る。巳刻(午前9時)には止み、曇る。

払うだから売ったんですよね

元禄8年11月25日。夜、雨が降る。文左衛門は1石5斗を餅米を売る。相場は1両で1石3斗。

村にもおとがめがあったということなのか

元禄8年11月22日。如意百姓の首謀者5人が追放となる。免のかわりとして1ソン(ツ?)ずつ課せらる。免と共に。

結構長かったですね。

元禄8年11月19日。若宮での講釈が終了する。

これも仕事ですか

元禄8年11月18日。空、晴れ渡る。夕飯の後、文左衛門は猶右・岡右・理太夫と稲生に出かける。掃部ところで蕎麦切りを食べる。戌半(午後7時)過ぎに帰宅する。

よっぽど不満があったのだろう

元禄8年11月15日。雨が降る。筑後守組衆の知行所如意という村で百姓が徒党を組み、村を占拠し、田の刈り入れを行わなかった。そのため筑後守から国奉行に人をやり、足軽雑兵300人余りを村に行かせて田を刈り、首謀者5人を縛り上げた。番人40人が…

11月14日の天気です

元禄8年11月14日。辰刻(午前7時)から雨が降る。

夜中まで儀式は続くのですね

元禄8年11月13日。空、晴れ渡る。少し前から大曽根関貞寺側の八幡の造営が始める。斧を使い巧みに組み上げる。慶徳源之丞という社人に与えられた社領は15石3人扶持。この夜、遷宮が行われる。子刻暮(午前1時近く)に安慎の祭が行われる。

早いものです

元禄8年11月12日。薄曇。朝、文左衛門はおようの17日で梅屋寺を参詣する。

自分で自分が嫌になった

元禄8年11月11日。深夜、五十人目付佐藤金左衛門召仕が納屋町を徘徊する。柿羽織が問い詰めると、博奕で大負けし、心ここにあらずで徘徊していると言う。すぐに縛られ、町に預け置かれる。酒狂いで、後に牢に入る。

何やら艶っぽい名だな

元禄8年11月7日。雨が降る。巳刻(午前9時)過ぎると晴れる。梅屋寺でおようの弔いがあり、文左衛門も参詣する。僧は新艶粧庵室恵忍信女の戒名を授ける。

先日見舞ったところなのに

元禄8年11月6日。朝、曇。辰刻(午前7時)過ぎると晴れる。津金佐古衛門女房のおようが死ぬ。歳は25。生まれた子どもは養子に出す。

11月5日の天気です

元禄8年11月5日。曇時々晴。

ちゃんと講を聞きに行ったのか

元禄8年11月4日。文左衛門は佐古へ出かけ、勘助に会う。佐古内儀がこの2,3日風邪気味で、食事もせず。医師も難儀していると。忠兵もやって来る。文左衛門はそこから若宮へ出かける。