名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

お家のことを思ったけれど

宝永6年7月29日。
卯半(午前6時)過ぎ、公は下之一色へ漁に出かけるため深井から出られる。
惣河戸までは馬、惣河戸よりは船で向かう。
酉(午後5時)過ぎに帰城される。
捕ったのはは鱸200本余り、鯉60本余り、かれこれ物の数は600本余りと云々。
鱸は皆腐って傷んでしまった。
汐が凪いだので船が遅く、退屈なさったと云々。
連枝様へ用人奉状で肴を進められた。
喜子進様へ鯉3本、老中・城代衆などへも下され、修理殿へ2本。

近頃、千賀志摩は妾の子半之助を引き取り大いにもめた。
継母清心院および千賀与八などは快く思わなかったと云々。
代々の家老河合五兵衛に急に暇を出した。
妾が妊娠した時、林平左衛門が取り計らって橘町の町代に自分の召仕と言って置いていた。
男の子であってので子孫相続のためと思って引き取ったが、継母などははなはだひどく取り扱ったと云々。
平左衛門はこのため継母などとやり取りは止めた。