名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

初期捜査は失敗

宝永5年9月6日。
文左衛門は巳半(午前10時)から段之右と三郎左のところへへ出かけ、そこへ儀兵もやって来る。
長良村の庄屋2人がやって来て、惣百姓(本百姓)も今年の免を検見なしで仰せ付け下されるようにと頼むので、一昨年の免と同様4ツ7分5厘を申し付ける。
百姓はありがたく承る。
吸物・酒などを頂き、文左衛門たちは未(午後1時)過ぎに帰る。

4日の日付で都筑理右衛門・同文ノ右衛門の願書が今月老中に出される。
又左衛門が2度も逃げ出したことで親類などは地元を、召仕は他領などを尋ねたが、いい知らせはなかったので尋ねに出たいと云々。
伝左衛門は直接かかわりがあるので家に残り、尋ねに行かせるのを手配するようにと云々。