名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-01-01から1年間の記事一覧

理由が知りたいなあ

宝永4年1月21日。近頃、馬場中間が昨年冬の者たちと一緒に東屋敷揚屋に入る。その中で喜右衛門1人だけがやがて下の牢に入り、残り2人はその後何事もなく許される。

先を越されちゃった

宝永4年1月20日。昨年仰せ付けられており、この日足軽頭下条庄兵衛は江戸へ出発するはずであった。しかし、肥満と貧乏に困っており、以前勤めについての願い出ていたが、仲間はそうはいかないと先に江戸の勤めにつおいて願い出たので出発できなかった。

やはり熱田神宮関係は別格です

宝永4年1月16日。熱田八剣宮の神官尾張氏右京という家があったが永らく断絶していた。惣検校馬場左京亮、祭主田嶋内蔵権頭などの願いで左京亮弟に尾張氏の家を相続させ、その上金300両を貸される。この他神官、祝部(ハフリ)なども願いの通り借金を…

それも連日のデマとは

宝永4年1月14日。夕暮れ前、火事の噂があるが、嘘であった。

こういうデマはいけません

宝永4年1月13日。夕暮れ頃、火事の噂があるが、嘘であった。

建中寺の盗品だから仕方がないか

宝永4年1月12日。近頃、酒屋清六を所に預ける。これは昨年冬に建中寺の盗品を買ったため。

仲間割れか

宝永4年1月5日。昨年建中寺に盗みに入った建中寺門前勘七を今月2日に美濃へ行ったところを捕らえる。自然院地子の角兵衛もこの日5日に預けられ、9日に牢に入る。自然院地子の平七も13日に牢に入る。出来町あたりで六之助などの4人、合わせて7人が…

年明け早々に自殺とは

宝永4年1月2日。駿河町日蓮宗法輪寺で中条主水家来が自殺する。

宝永4年1月の天気です

宝永4年1月1日。朝のうち曇る。辰半(午前8時)から時々日が差す。その後、晴れる。宝永4年1月5日。近頃、毎朝寒さが厳しい。昼の間は暖かく、連日快晴。宝永4年1月6日。昼から少し暖かくなる。未半(午後2時)から曇る。しばらく間弱い雨が降る…

いろいろあった1年でした

宝永3年12月30日。寅(午前3時)過ぎ、甲斐作事奉行溝口藤蔵が年頭に屋敷に出向くと上下を着用し、僕も連れずに自ら提灯を提げて巾下新道を行くと、口から目にかけて少し切りつけられる。藤蔵は気絶し、犯人は逃げ去る。元日に藤蔵は立ち退く。徳岡道…

文左衛門、たかりの達人か

宝永3年12月26日。巳(午前9時)頃、文左衛門は八郎右へ出かける。頼母子会で自然院と孫右衛門が分けて得る。酒などを頂く。すぐに自然院と惣左と一緒に瀬左へ行き、酒・飯などを頂く。

今なら忘年会

宝永3年12月24日。夕暮れから文左衛門は源右へ出かける。武兵・善兵と口米の余銀での宴を行う。

文左衛門、頑張ってます

宝永3年12月23日。文左衛門は煤焙掃いをする。

火事の原因

宝永3年12月22日。厩の中間が評定所東揚り屋に入る。

閉門も簡略ってこと

宝永3年12月21日。文左衛門は米18石を理左衛門に売払う。1両で9斗6升3合。先月25日、預けられていた輩が全員追放となり、大小刀は国境で返した。遠山十郎左衛門、目付長屋半左衛門、供番羽田野林蔵が使いで、跡は闕所となる。関四郎左衛門は津田…

誰しも年末の資金調達

宝永3年12月20日。昼から文左衛門は与五右と大用寺へ出かける。武兵は道具を売払う。そば切・酒を頂き、申半(午後4時)過ぎに帰る。

今日も頼母子か

宝永3年12月17日。未半(午後2時)から文左衛門は源太左へ出かける。15両の頼母子会で大原平兵衛が得る。酒などを頂いて帰る。

さびしい死に方だなあ

宝永3年12月15日。台蔵寺門前で主馬歩行の高橋政右衛門が刀で自殺する。死体は塩漬けにする。少し前、女を切り殺して逐電し、その後近親者などを訪ねるが迷惑をかけるとそこを出て自殺すると云々。立ち退いた際には江戸へ出かけていた。そこで大小刀を…

かなり大がかりな犯罪だな

宝永3年12月14日。近頃、天王坊に泊瀬六坊の中から昌運が住職になると。近頃、犬山に悪党がおり、城内の塩硝蔵の側にある用金蔵の金を盗み取り、塩硝蔵に火を着けてごまかそうとした。その中に裏切る者があって露見したと。城代鈴木茂兵衛・足軽兼材木…

頼母子ラッシュ

宝永3年12月13日。佐分氏宅でいつもの頼母子会が行われる。昼から夜食まで頂き帰る。

そうは言われても10日ほどで娘を離別された親の気持ちもあるだろうし

宝永3年12月8日。行赦が2人ある。夜、常明寺墓所で竹腰民部賄人が自殺する。ここは旦那寺だと。借金が原因と云々。神谷八郎左衛門が先月30日に婚礼を行った妻を離別する。先だって仲人森十郎兵衛・市村伝兵衛が平太夫のところへ出かけ、離縁のことを…

法事の最中に火事を出すとはなあ

宝永3年12月7日。貞松様23回法事が政秀寺で行われる。(後略)巳刻(午前9時)、大久保見町衣屋の裏屋から火が出るが、すぐに消し止める。煙が旅所の林を覆い、政秀寺の風上だったので騒ぎとなる。しかし、すぐにおさまったので大事にはならず。9日…

この返金も頼母子からみですか

宝永3年12月5日。文左衛門は源太左へ20両を返金する。4両・1両2分の頼母子は伝左が得る。

頼母子会の親は接待が必要なんですね

宝永3年12月4日。卯半(午前6時)、地震がある。文左衛門は昼から市郎左へ頼母子会に出かける。八郎右がこれを得る。酒などを頂く。

酔っぱらいって嫌ですね

宝永3年12月3日。近頃、大塩波右衛門の門外で3人が酔って倒れていた。それは夕方のことだった。辻番がその家主に知らせ、それから3人をなだめて返した。3人は久松弥一右衛門のところに入った。疑は(ママ)久松ははなはだ酔っぱらっていた。すぐに久…

これで年を越せますね

宝永3年12月1日。夕飯後、文左衛門宅で頼母子会が行われる。20両は甚介・平左衛門が得る。4両頼母子は文左衛門が得る。(後略)

宝永3年12月の天気です

宝永3年12月7日。快晴。宝永3年12月8日。曇。未(午後1時)から薄曇。その後、晴れる。夜も晴れる。宝永3年12月9日。亥(午後9時)から雨が降る。宝永3年12月10日。雨が降る。夜になると風が少し吹く。雨がわびしい。深夜に止む。その後…

どうしてだっけ

宝永3年11月30日。水野弁右衛門の家が闕所となる。屋敷は今日屋敷奉行が請け取る。

これも見事な初期消火

宝永3年11月29日。源太左の頼母子会は20両を瀬左が得る。未(午後1時)過ぎ、桑名町・桜町と伝馬町の間で紺屋の家から火が出ようとする。すぐに消し止める。

簡略になるのはありがたい

宝永3年11月27日。夕飯後から文左衛門は加兵へ頼母子に出かける。半九・瀬左半々に得る。一昨日の言いつけに与力衆・御徒衆・御徒以下・坊主衆は七夕・八朔に白帷子のしめ着を用いることは今後無用と。