名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-12-20から1日間の記事一覧

どうしてだっけ

宝永3年11月30日。水野弁右衛門の家が闕所となる。屋敷は今日屋敷奉行が請け取る。

これも見事な初期消火

宝永3年11月29日。源太左の頼母子会は20両を瀬左が得る。未(午後1時)過ぎ、桑名町・桜町と伝馬町の間で紺屋の家から火が出ようとする。すぐに消し止める。

簡略になるのはありがたい

宝永3年11月27日。夕飯後から文左衛門は加兵へ頼母子に出かける。半九・瀬左半々に得る。一昨日の言いつけに与力衆・御徒衆・御徒以下・坊主衆は七夕・八朔に白帷子のしめ着を用いることは今後無用と。

なぜだろう

宝永3年11月26日。花火停止の廻文がある。

犯罪者の処罰ラッシュ

宝永3年11月25日。辰半(午前8時)過ぎ、文左衛門は瀬左へ出かける。頼母子会で1両1分は文左衛門が得て、10両は瀬左が得る。酒などを頂き帰る。日が暮れて文左衛門は半左へ出かける。そば切・吸物など頂き、酒を気持ちよく吞んでいると火事とのこ…

どうも関係も理由もはっきりしない

宝永3年11月23日。夜、巾下新道宝蔵寺裏で荒川主馬歩行の者高橋政右衛門が六句村勘左衛門娘を切り殺す。高橋政右衛門父は長者町に住み、半左衛門という陰陽師であった。娘は18歳でよしという名で本妻であった。不届きがあったので殺したと書置し、立…

年貢は米で納めるものですがそれを金で納めるのが不同金

宝永3年11月21日。不同金の値段が8斗3升、上納金は8斗9升となる。文左衛門は寄合帰りに源右へ出かける。口米帳を確認する。武右・善兵・元右も同席する。津守様(松平義行)衆今城仙右衛門、間鍋茂太夫弟も追放となる。博奕のためとも。あるいは先…

いろんなことに興味を示すのが文左衛門

宝永3年11月19日。近頃、文左衛門は熊谷女編笠という本5冊を見る。6月7日の京堀川敵討のことが書いてあった。敵の名は宮城伝兵衛と云々。救民天徳地福伝2冊のいう書を見る。(後略)

その場を想像すると何か滑稽な場面がうかんできます

宝永3年11月16日(ママ)。9日に厩が焼けた際、万一のために又蔵宅では武兵衛を庭へ出して逃げ出す準備をしていた。そのうち武兵衛はひそかに椵(椴、とどまつ?)の木に登った。人々は見失ったと大騒ぎとなった。そのうち見つけ出してなだめて下ろし…

いずれも死刑

宝永3年11月15日。近藤武兵衛が又蔵宅で切腹となる。同政之右衛門も切腹となる。揚り屋の庭で地面に筵を敷き、その上にへり(縁)取、布団を敷き、3方に脇差を据え置いた。横井新蔵足軽大田平右衛門が人を準備する。塀和(垪和はが)左平は滝川弥一右…

金魚ですか

宝永3年11月13日。文左衛門は昼から曽右へ出かける。いつもの会のため。夕飯後、源太左のほかは残らず本町へ金魚を買いに出かける。夕暮れに帰り、また曽左へ寄ると、源太左もいた。夜食を頂く。戌(午後7時)過ぎて帰る。

仲良くしようよ

宝永3年11月10日。名古屋4月の祭礼で宮町と駿河町は今まで一緒に石曳を出していたが、この度石引に替えて竹生嶋にする。駿河町は一緒のやることを嫌って七福神の練物にしたいとこの日願い出る。

ちゃんと馬は逃がしたのです

宝永3年11月9日。戌刻(午後7時)、厩で火が出た。文左衛門は城へ出かけ、亥刻(午後11時)におさまったので帰った。長屋が焼けたが、門などは少々焼け残った。焼け残った木柱を入札で1分1朱で売り払った。神君から譲られた蟹の鞍、その他鞍・鐙(…

仲間の嫉妬

宝永3年11月3日。少し前、奥平段右衛門召仕が江戸において構(追放)との届けがある。請人は古井村におり、建中寺の百姓であった。近頃、盲人小頭6人が申し合わせて、仲間の知野(最初は政都)のことを霧山に訴えた。多渡都などが首謀者であった。しか…

宝永3年11月の天気です

宝永3年11月1日。西風が終日吹き荒れる。薄曇りでとても寒い。夕暮れに風が緩やかになる。子(午後11時)頃、また風が激しくなる。寒気が人を襲う。そして雪が降る。風は段々と緩やかになる。宝永3年11月2日。雪が降る。時々止む。辰半(午前8時…