名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-06-01から1ヶ月間の記事一覧

それでも被害は少なそう

元禄15年閏8月28日。丑刻(午前1時)萱屋町町屋、書物奉行鈴木権左衛門座敷から火が燃え上がる。座敷半分を焼く。南隣の但馬様(松平友著)目付役朝比奈林蔵のところへも燃え移り、1軒が焼失する。この朝、風があり下屋敷へも火の粉が飛ぶ。

礼儀はつくさないと

元禄15年閏8月27日。少し前、酒井右京亮大番頭の御役御免となる。その際にかたじけないとの請がなく、このため逼塞となる。

獲った魚を売りさばいていただと

元禄15年閏8月26日。廻文がある。目付近藤小太夫が添えた切紙は略す。家中の諸士が船で熱田沖へ出ること、ならびに殺生(漁)することは制法(定められた法)がないことではあるが、近頃では酒を飲みながら鳴物で騒いだり、作法が良くない者もあると聞…

真実は如何に

元禄15年閏8月24日。昨日、塩川市左衛門より申してきたので、石川瀬左衛門のところにいる永井清左衛門召仕の女やな・かるのふたりを駕籠に乗せ、この朝町奉行へ遣わす。町奉行2人と同心附目付が同席し、女を問い詰める。密通のことを尋ねるとそれは事…

この2人は強いなあ

元禄15年閏8月23日。書院番本間浅之右衛門に仕える男と婆、五十人徳山勘助に仕える男が3人で伊勢を詣でる。共に若党にはあらず。夕方、櫛田に泊まる。この朝、徳山の召仕は辻博奕を見ていた。博奕打ちが何度も博奕をしろと言うが参加はしなかった。す…

相手が斬罪っておかしくないですか

元禄15年閏8月22日。6月、高須で川口三右衛門の百姓文兵衛が同僚を切って逃げ出した。その時から請人や村へ命じて方々を尋ねるが見つけられなかった。近頃になって文兵衛兄の請人が牢に入り、母と姉は村から番が付いた。近頃、また村の百姓が手分けを…

欲張っちゃあいけないってこと

元禄15年閏8月21日。この朝、永井清左衛門僕の伴右衛門を平次左から町奉行へ渡し、牢に入る。巾下ゑびや与左衛門を米をたくさん買い置きしたため縛る。少し前、ゑびやに買い置きした米を売り払うようにと町奉行が申し付け、その後自由に売るようにと申…

職場で重要度が違うのは今も一緒

元禄15年閏8月15日。本丸の番人小菅猶右衛門の跡番の補充はなし。このため深井より永井善右衛門を猶右衛門の跡番とする。善右衛門の跡の深井番は本丸・深井丸両方の12人の介方から順に交代で務めることとする。本丸が一番重要なので深井丸の番人でこ…

男2人が集まった噂合戦か。

元禄15年閏8月14日夜、文左衛門は政右と話をする。馬廻小頭石黒善十郎が腹を切って死んだ。生まれながら頭が鈍く、この時もすぐには死ななかった。父親に聞いたところ、役を勤められないのでこうなった云々。700石、その内500石は朱印の領分以外…

トイレは危険だ

元禄15年閏8月10日。小菅猶右衛門が死ぬ。歳は61。6日に雪隠で中風となり気を失う。それから意識が戻らずに死んでしまう。

みっともない兄弟喧嘩

元禄15年閏8月9日。近頃、増田治兵衛、同弟利左衛門は親類のところで酒を頂いた。利左衛門はひどく酒に酔ったので兄が叱りつけると、弟は怒って喧嘩が始まりそうになった。人々がこれを宥め、治兵衛は帰ってしまった。その夜、弟は治兵衛のところへ行き…

博奕や芝居は御法度だけど、これは隠ぺいでは

元禄15年閏8月2日。近頃、御目見衆15,6人を国用人2ヶ所へ呼び寄せる。博奕の座に連なり、博奕を行ったと。見物場に出かけたと。細かく調べ、意見する。他に知られないよう関係のない御目見もまた16人呼び寄せる。1人ずつに話をしたのでそうとは…

清左衛門って人は武士だねえ

元禄15年閏8月1日。夜亥半(午後10時)過ぎ、永井清左衛門の僕伴右衛門が座敷の横4帖敷きの廊下に忍び込んでいた。伴右衛門は大男で少しばかり力持ちの奥州の者であった。清左衛門が寝ようとしたので女が蚊帳を吊っていると、廊下で音がしたので清左…

元禄15年閏8月の天気です

元禄15年閏8月1日。晴。西風が吹き、涼しい。元禄15年閏8月2日。涼しい。元禄15年閏8月7日。曇。明け方から霧雨となるが、後に止む。また時々降る。夜更けに雨が降るが、その後に止む。元禄15年閏8月8日。晴。元禄15年閏8月12日。夜、…

普通なら100両なんて貸してもらえないでしょう

元禄15年8月29日。近頃、岐阜の加嶋喜十郎のところへ申刻(午後3時)宇津木八左衛門が現れ、100両貸してくれ、貸してもらえなければここで命を絶つと言った。宇津木八左衛門は昨年面破組を改易となり、喜十郎とは旧友であった。喜十郎はなだめて3…

暑い時期にはキツイ気がします

元禄15年8月28日。ためし物が2つある。八三郎様(徳川継友)、万三郎様(松平義孝)の道具で忠四郎がこれを切る。

それとも牢が満杯か

元禄15年8月27日。牢払いがある。

食事の後で油断したか

元禄15年8月26日。朝飯の後、石川瀬左衛門の長屋に盗みが入る。召仕2人の脇差や衣類などを持ち去る。

何か理由があるんですかね

元禄15年8月25日。牢払い(囚人の赦免)がある

彦坂主膳の処分が決まりました

元禄15年8月21日。彦坂主膳が江戸より戻る。彦坂愚入ところへ入り、正月までお預けとなる。正月には15ヶ国の追放となることを江戸の町奉行宅で言い渡される。申半(午後4時)、愚入ひとりが評定所へ出かけ、目付近藤小太夫・五十人目付細井権三郎か…

そんなに暇ですか

元禄15年8月19日。昼過ぎから文左衛門は瀬左・弥市・五右・加兵と釣りに出かける。

珍しく行き先が書いてない

元禄15年8月17日。夕飯後、文左衛門は弥市と釣りに出かける。

殺生という場合と釣りっていう場合があるけど使い分けてるのかな

元禄15年8月15日。未(午後1時)過ぎから文左衛門は弥市と味鋺へ釣りに出かける。

元々光友の隠居用だし、でも勿体ない

元禄15年8月13日。文左衛門は大曽根下屋敷御庭を残らず見物する。その広さに驚き、その素晴らしい景色を楽しむ。飛騨守(渡辺家)・壱岐守(竹腰家)へ下屋敷を前々の通り返されるはずである。東南の買い足した土地は町へ売り払われ、町屋となるはずで…

瓦ってあるから屋根用の材木ですかね

元禄15年8月11日。白鳥で材木が払い下げられる。5尺5寸(1尺は約30センチ、1寸は約3センチは1両で11丁と2分、4尺8寸は1両で15丁と2分、4尺2寸は1両で17丁、3尺は1両で30丁。瓦もそれぞれの寸法に添えてある。値段はここでは…

願い事でもしたか

元禄15年8月3日。夕飯後、文左衛門は瀬左・平右・五右・彦之丞らと味鋺へ釣りに出かける。そこで流星も見る。

元禄15年8月の天気です

元禄15年8月1日。晴。元禄15年8月5日。明け方から雨が降る。未(午後1時)前には止み、曇る。夜、時に雨が降る。元禄15年8月6日。曇。時々雨が降る。昼前、西風とともに大雨となる。これは俗に言う西返しというもの。3刻(1刻は約2時間)ば…

彦坂主膳という方は岩村のお家騒動にからんでます

元禄15年7月28日。この朝、彦坂主膳が江戸へ下る。板乗物に乗り、足軽頭(足軽とも)安田忠右衛門、寄合新見彦右衛門、医師小見山道休、五十人目付五味三太夫、御台1人が従う。

さすが、畳奉行

元禄15年7月24日。昨日から評定所長屋を修理する。今井甚左衛門が天井、湯殿など。畳などは文左衛門の方から敷き入れる。夕暮れ前、彦坂平太夫・朝岡甚五右衛門・松井十兵衛が14歳になる彦坂主膳を連れて評定所に現れる。黒門魚住半右衛門・目付高橋…

見たからってわかるんですかね

元禄15年7月23日。大沢喜雲が死ぬ。甥南房常陸守が昨年切支丹であることがわかったので、この度も喜雲の死骸を調べるため役人がやって来て見る。