名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-06-24から1日間の記事一覧

彦坂主膳という方は岩村のお家騒動にからんでます

元禄15年7月28日。この朝、彦坂主膳が江戸へ下る。板乗物に乗り、足軽頭(足軽とも)安田忠右衛門、寄合新見彦右衛門、医師小見山道休、五十人目付五味三太夫、御台1人が従う。

さすが、畳奉行

元禄15年7月24日。昨日から評定所長屋を修理する。今井甚左衛門が天井、湯殿など。畳などは文左衛門の方から敷き入れる。夕暮れ前、彦坂平太夫・朝岡甚五右衛門・松井十兵衛が14歳になる彦坂主膳を連れて評定所に現れる。黒門魚住半右衛門・目付高橋…

見たからってわかるんですかね

元禄15年7月23日。大沢喜雲が死ぬ。甥南房常陸守が昨年切支丹であることがわかったので、この度も喜雲の死骸を調べるため役人がやって来て見る。

当たるはずがないと言われて当たれば万々歳

元禄15年7月20日。昨日から巾下新道で天満十太夫の操りが行われ、大勢の人が集まる。粥の食傷(食あたり)と言い、当たるはずのない太夫が当たったからと。申(午後3時)前、火事と言うが嘘であった。丑(午前1時)頃、永国寺北の片町で西側2町(1…

これも困った酔っぱらい

元禄15年7月19日。国用人朝岡甚五右衛門に彦坂主膳のことは親類縁類などに十分気にかけておくよう申される。松井十兵衛にも小頭がこのことを申し渡す。昨日から彦坂平太夫のことは妹婿郷右衛門のことであるので遠慮(昼間の出入りをひかえる刑罰)する…

かなりの火事だ

元禄15年7月18日。申2刻(午後3時過ぎ)、南指矢場西の町屋が南側1町(1町は約100メートル)ほど焼失する。うらや(裏屋)から出火する。

こんな領主も困ったもの

元禄15年7月16日。近頃、渋谷弥太夫が麦を金で受け取ろうとした。百姓は麦で払うと言うので、何度も麦では難しいと言い返すし、値段は8斗(1斗は約18リットル)だと言った。これでは百姓はそれでは困ると言ったが、金で差し出すと。弥太夫は色々と…

御目見ってろくな奴らじゃない

元禄15年7月14日。大須で十三郎の狂言が行われる。他にも輪ぬけ(輪くぐり)は身軽で敏捷であった。演じたのは浮舟大之進、同小之進。また櫃(ひつ)に入って抜ける技もあった。各が3つ演じる。御目見3人が三浦九太夫のところへ出かける。そして子と…

厳しい生活を思ってのことか

元禄15年7月11日。近頃、町中へ堀川さらえ(浚え)役が半分免除となる。

困った奴だなあ

元禄15年7月9日。松井林右衛門は皆と合わせての材木代4両程をこの日も遣わさなかった。このため中野五助から政右へ内密に知らせる。10日の朝、政右は弥右のところへ行って話をし、金を遣わす。

こまごました木材を買ってます

元禄15年7月8日。文左衛門は鈴木弥右へ材木の代金を遣わす。一 1本 長丈物1尺(1寸は約30センチ)の源太代11匁1分 両につき5本と4分(1分は1/10本)一 3本 同丈物8寸(1寸は約3センチ)の源太代21匁2分 両につき8本と5分一 2本…

監視が甘かったのか

元禄15年7月6日。昨年、松平伊豆守は酒井左衛門に預けられていた。近頃、そこで人を殺し、女も殺した。預けられながらこのようなことをしでかしたのは他言無用。このため付人ら江戸へ呼び寄せられ、調べを受ける。7月26日、伊豆守は岡崎監物に預けら…

物騒だなあ

元禄15年7月4日。犬山で隼人正代官松下藤左衛門という者が勘定奉行荒川儀兵衛の家へ押し入る。荒川儀兵衛を切り殺して立ち退く。

被害はなかったのか

元禄15年7月2日。尾濃では洪水となる。

何でも興味津々の文左衛門さんにしては珍しい

元禄15年7月1日。7分の日食。卯の時(午前5時)、南の方が隠れる。西国では少し見ることができたと云々。文左衛門はこれを見なかった。

元禄15年7月の天気です

元禄15年7月2日。曇。巳(午前9時)過ぎから昼前まで時々少し雨が降る。その後止む。未(午後1時)過ぎから晴れる。夜更けは大雨となる。尾濃では洪水となる。元禄15年7月3日。曇。巳半(午前10時)過ぎから晴れる。申(午後3時)過ぎ、雷が轟…