名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-06-01から1ヶ月間の記事一覧

近隣の者ではないということか

貞享5年4月25日。龍助領内味鋺で誰かわからないものひとりが自殺する。少しの間そこにさらしてから片づける。

聞いてないでは許されない

貞享5年4月18日。御目付須野崎清兵衛が逼塞仰せ付けられる。9月7日に御免となる。津金武右衛門も遠慮とのこと。清兵衛は服喪中ながら、17日の祭礼で殿が桟敷から帰る際にそこに居合わせたためと。前日、武右衛門は殿の御帰りには服喪の者は居合わせ…

桶に飛び込んで死ねるか

貞享5年4月17日。本重町通と本町・七間町の間で水番が桶の中に死体が浮いているのを見つけたと。しかし、祭礼の時期のため、まずはそのままにしておく。その後調べてみると膏薬を売り歩いていた者のようで、乱心して飛び込んだのではないかと。

身元がわからないのがさびしい

貞享5年4月11日。相応寺門ぎわで女性が切り殺される。21、2歳と思われ、首を前から切られたようであった。広小路に死体をさらすが、どこの者かはわからず。

船頭を切ったら帰れないだろう

貞享5年4月7日。夜、成瀬民部組南部次郎右衛門が伊勢からの帰り、熱田まで半里(1里は約4キロ)のところで船頭を切ろうとする。船頭は少し傷を負いながら海に飛び込み逃げ去る。このため次郎右衛門は船中で自殺する。このことは増田次兵衛より小頭へ知…

バカ息子め

貞享5年2月下旬。渡辺半蔵家来渡辺小伝治が改易となる。父六右衛門が隠居の見であったがこの知行を給う。六右衛門は養子をとるようにと申される。

手柄を立てれば報われる

貞享5年2月。近頃、雲州様(松平義昌)衆高橋九兵衛が御用人並を仰せ付けられる。御歩行より段々と立身してきた。昨年冬、召仕の者が江戸で喧嘩をし、草履取りが中間を切って逃げ去る。若党がこれを追いかけ、御門の内で仕留める。その間に、切られた草履…

篠島なら抜け出せるかも

貞享5年2月21日。彦坂金蔵・三浦勘之右衛門共に篠島へ流罪となる。三浦への使者は渡辺平兵衛に御目付鳥居五兵衛。彦坂への使者大嶋半兵衛に御目付一色伝右衛門。

弱きを助けるふたりに乾杯

貞享5年2月17日。熱田操り芝居で、黒ひげの浪人者ふたりが女中に無礼をはたらく。供の若党と中間は我慢できず、女中を乗物で先に帰して榊の森の南で待ち伏せをする。このふたりがやって来ると声をかけ、東裏の畑の中でたたき伏せて半殺しにする。槙野与…

友情関係にヒビ

貞享5年2月11日。材木屋市右衛門召仕の草履取が仲間の男2人と女1人に深手を負わせ、自身は自殺する。

長老僧侶であっても世は無常

貞享5年1月26日。夜中に天王坊先代住職の長老儀兵衛が巾下の自宅で自殺する。

説得工作

貞享5年1月25日。竹腰龍助殿を成瀬民部宅へ呼び寄せる。中西仁右衛門・奥田伴左衛門・中西新右衛門を連れてくるようにとのことだったので召し連れてやってくる。そこで申し渡されたのは、阿波守陣代(軍代)のことはどうしても辞退したいとのことなので…

自白の強要はいけません

貞享4年12月末。津守様(松平義行)御用人金森市之進が改易となる。金20両が盗まれた事件で召仕の女が手引きしたか調べたところ、厳しい問い詰めに耐えられず嘘をついてしまった。八木勘十郎召仕・高木伊左衛門召仕などを引き入れたと申すと云々。17…

10月3日の事件その後

貞享4年12月27日。天野儀兵衛を沢井三左のところへ呼び寄せる。滝川彦左衛門も立ち合い、逼塞御免を申し渡される。

仕える者を大切にしないといけない

貞享4年12月24日。朝、雲州(松平義昌)様衆安藤伊之右衛門が召仕の道具持ちを手討ちにする。

僧侶のデモみたいなもの

貞享4年12月19日。熱田の検地の件で関係者を大薬師へ呼び集める。105もの寺で僧が騒いでいるので十分に気をつけるようにとの回文がある。これは神領金が毎年1000両あまりにもなっているが、それが御城に置かれて修理費用となっていた。その後は…

このお役目の名称はなかなかのもの

貞享4年12月3日。御飼殺(老齢の者が務め、掃除などをしていた)の御足軽が御深井丸御番所で急死する。名は浅井小右衛門。このため五十人目付両人が検分を行う。

バラバラ殺人

貞享4年11月下旬。熱田東の田で人を切り殺される。首は秋月院裏通りの田に、体は高田辺りにあったと。

町人風の者、三八、若党、この関係は

貞享4年10月17日。広井八幡町小笠原次郎右衛門・三友三右衛門の辻のところでで、この夜中に切られたようで町人風の者が死んでいるのが翌朝発見される。死体を取り置く者もなく、三八へ運ばれると云々。弟とのこと。平岩善左衛門若党は面目ないと思う。…

自殺に絡んだ怪しい人たち

貞享4年10月3日。朝、天野甚五右衛門が自殺する。小頭藤田伝太夫がやって来て書き取り、頭沢井三左へ報告する。夜子刻(午後11時)、御目付高木小兵衛がやって来て死体を調べる。翌朝、死体を埋葬する。儀兵衛のことは穏便に済ませよと三左より内々に…

闇討ちにあった上に暇を出されるとは

貞享4年10月1日。夜、高田新蔵こと七之丞下男梶平という者が佐藤甚右衛門のところへ行った帰り、杉ノ町野村屋の木戸際で闇討ちにあい傷を負ってしまう。三右衛門こと三次郎の長屋へところへ行きそこにいる。翌日、暇を出し請人へ渡す。

原因は不明か

貞享4年9月21日。服部源左衛門二男の平六が自殺する。

これこそ乱心では

貞享4年9月10日。魚棚鳥屋喜左衛門の祖母が酢を買いに行くと、昨日の風のためにあげて置いた重しの材木を米の上から放り投げたとかで打ち殺される。このため男は家主へ御預けとなる。

これも原因がわからない

貞享4年9月19日。公儀御代官藤村長兵衛子を近江国尾張領山本村尾林孫右衛門の元へ養子に遣わす。その地には尾林八右衛門がいたが、尾張に届があったので召し捕らえることとなる。御目付高力七兵衛、五十人目付中野五助、御代官五味所左衛門・渡辺佐左衛…

寺院の人事異動

貞享4年9月19日。相応寺へ性高院が行き、性高院へは高岳院が行き、高岳院へは建中寺の弟子が江戸より来るはずと。

心臓でも悪かったのか

貞享4年9月3日。夜、大道寺玄蕃弟の相応寺住持が玉相院へ宴に出かけ急死する。村瀬彦助・芝山甚五右衛門が供をしていた。

困った僧も多いなあ

貞享4年8月25日。西光院の塔頭千昌院で師弟とも退院(寺からの退去)となる。日頃から身持ちがよくないと。

これはショック

貞享4年8月25日。雨が降り、翌日には大雨となる。庄内川筋は洪水となる。小曽戸半六若党女房は矢田川で水に流され死んでしまう。この洪水で野々垣源兵衛手代が巡視に出ると、流木を盗む者がいたので鉄砲で頭を撃つ。松明で見ると舅であったと。

今の考えなら横暴な上司

貞享4年8月中旬。川口六左衛門子半右衛門が召仕を手討ちにする。

請人なら最後まで面倒をみるべき

貞享4年8月中旬。小見山九右衛門の取立者とこの春から召し抱えた若党が喧嘩する。若党が取立者を切り殺し立ち去る。巾下薬師近くの堀に長持ちがひとつあり、中には月代(額から頭の中央まで剃ったこと)の体、外には筵1、2枚、屏風1双、障子2枚があっ…