名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

自殺に絡んだ怪しい人たち

貞享4年10月3日。
朝、天野甚五右衛門が自殺する。
小頭藤田伝太夫がやって来て書き取り、頭沢井三左へ報告する。
夜子刻(午後11時)、御目付高木小兵衛がやって来て死体を調べる。
翌朝、死体を埋葬する。
儀兵衛のことは穏便に済ませよと三左より内々に話があり、25日晩、儀兵衛のところへ伝太夫を送り、逼塞するようにと仰せ付けられる。
渡辺門右衛門・佐藤弥次左衛門も閉じ込めておくようにとお叱りになると。
儀兵衛の荷物は、逼塞の間は庄屋のところに置いておくようにと申される。
門右衛門・弥次左衛門も遠慮(門を閉じて籠居すること)するよう内々に話がある。
門右衛門・弥次左衛門は10日ほどで許される。