名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

船頭を切ったら帰れないだろう

貞享5年4月7日。
夜、成瀬民部組南部次郎右衛門が伊勢からの帰り、熱田まで半里(1里は約4キロ)のところで船頭を切ろうとする。
船頭は少し傷を負いながら海に飛び込み逃げ去る。
このため次郎右衛門は船中で自殺する。
このことは増田次兵衛より小頭へ知らせがあり、すぐに次郎右衛門妻の父である小頭山中角左衛門がやって来て受け取る。
次郎右衛門は三ツ蔵筋の東北角に住んでおり、知行は200石であった。