名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-08-01から1ヶ月間の記事一覧

そりゃ、現金が必要

元禄17年2月29日。文左衛門は手形を売り払う。1両につき8斗9升2合、5両1分と銭336文。買留(買上)は2分8斗9升。

これぞ地域の力

元禄17年2月24日。未(午後1時)過ぎ、鍛冶屋町伝馬町上る町の鍛冶屋の小屋から火が上がる。すぐに人が集まり消し止める。亭主は留守であった。

心中ですな、これは

元禄17年2月23日。伏見町医師張振悦の乗り物舁き杢助(介)27歳と松下の者召仕の女しげ38歳が朝早くに出かける。ぬけ参宮でもしたのかと怪しんでいると御器所大池の堤の上で女が切り殺されていた。打ちかた処(肩の下?)を1ヶ所切り、首を半分ほ…

よく気づいてもらえた

元禄17年2月22日。近頃、杉之町の者が時疫(はやりやまい)で死ぬが、入棺の後で甦る。

乱心だと都合が悪いのか

元禄17年2月15日。江戸へ下る五十人桜井源介(助)が箱根橿木坂で乱心し、脇差で喉を貫く。この時、同列(同格)が前後におり、これを聞いて駆けつける間に深い谷に落ちてしまう。同列10人ばかりの中で小頭村上武兵衛が死骸を見ようとするが、篠(竹…

妄想や幻覚ですかね

元禄17年2月14日。久々宇又八が奇病になる。群鼠が足を噛んで離れないと。

これはどこの能なのか、6日それとも7日の能

元禄17年2月11日。この日で能が終了する。これは10日のこと。

おねだり平田院

元禄17年2月7日。この日、道成寺の能が行われる。札銭は2匁で普段の倍であった。奈良から道成寺の太夫1人を呼び寄せ、この日もこの太夫と囃方でもめ事があり、夕暮れまでかかる。平田院本堂の上葺のため昨年冬に隼人殿・飛騨殿組の者は高100石につ…

これはどこで行われたのでしょうね

元禄17年2月6日。辰(午前7時)過ぎから源蔵父子3人、高木藤三郎と文左衛門は能見物に出かける。申半(午後4時)過ぎに帰る。太夫もワキもよく、大夫の子朝之丞12、3歳は器用であった。

たんにボケたってことですか

元禄17年2月4日。巾下で炭俵を馬に積んで運んでいた者が鍛冶屋のところで立ち止まった。それから枇杷島の方へ向かったが、火が炭俵に燃え移る。西風に吹かれて火が燃え上がり、馬が怖がって引き返し、甲斐下屋敷に入ろうとしたが、人が集まり、これを止…

今ごろ気づいたんですか

元禄17年2月3日。庄兵衛兄の津守様(松平義行)御台様家老渡辺弥左衛門は昨年250石の知行を下されたが、その時から口米を忘れて出していなかったので近頃詮議がある。

これも倹約の一環ですかね

元禄17年2月2日。仰せのあった書付の覚。一 公儀出立、または在所到着の礼、どうしても必要な礼は使者を寄こすように。そのほかは今後飛札(飛脚を使った手紙)とするように。一 参勤の伺いは侍従以上10万石以上の者は使札(使者の使った手紙)で伺う…

元禄17年2月の天気です

元禄17年2月1日。雨が降る。元禄17年2月2日。雨。戌(午後7時)過ぎから晴れる。西風が吹く。元禄17年2月3日。晴。夜、曇。元禄17年2月4日。晴。夜、曇。夕暮れ頃、わずかに雨が降って止む。深夜から雨が降る。元禄17年2月5日。雨。未…

確かに縁起でもなくて気になる

元禄17年1月30日。中野又右衛門が死ぬ。42歳、号は夢了庵。脾腎の虚で血尿があり、固まりかけの血が出る。今月初め、佐藤瀬兵衛から借りた又右衛門の屋敷の腰かけに何者かわからない位牌が2つ置いてあった。又右衛門はとても気にしていたと。位牌に…

昔は何を放火に使ったのだろう、灯油みたいなものかな

元禄17年1月29日。亥半(午後10時)、七間町2町目味噌屋喜兵衛家の屋根を燃え抜くが、すぐに消し止める。放火で、竹筒に薬が入れてあったと。深夜、和田十蔵の廊下より火が燃え上がり、隣家にも届く。幸いにして消し止める。火燵から火が出ると。内…

元々極悪人じゃないですか

元禄17年1月28日。申(午後3時)頃、伊勢町杉之町と桜之町の間東側の竹内無右衛門のところへ妹婿何某がやって来る。無右衛門はすぐにこれを切って立ち退く。無右衛門親無遊の婿で参州つつみに住み、無遊の田地を奪おうとしていた。しかし実子無右衛門…

廃墟ビルであるような話

元禄17年1月27日。申(午後3時)前、相原源蔵の物置が残らず焼失する。実は隠居屋であった。水風呂から火が出ると。小麦右の指示で源蔵は遠慮、引込となる。亥半(午後10時)過ぎ、惣河戸に積み置いた葦から火が出る。文左衛門は頭のところへ出かけ…

惨い姿だな

元禄17年1月26日。片端伊勢町の堀の中に6、7歳の非人の子が捨ててある。片方の肘がなく、腰より下もなく、内臓もなし。捨ててから日が経ってるように見えた。この日見つけ出す。

今の時代と詐欺の手口はそんなに変わらない

元禄17年1月22日。橘町裏で勧進能がこの日から始まる。太夫は小松六郎左衛門、ワキは三宅十郎左衛門。六郎は本願寺門跡の太夫と。この日、野々宮の皷を地役者が打とうとすると、そこへ京役者がやって来て打とうとした。色々と争いがあり、3番目の野々…

これは知りませんでした

元禄17年1月21日。昨年冬からおごなし(ノリ)とふのりが品薄で高値になる。昨年、このしろがとても多かった。この魚がこの草を食べるのでこのしろ・きばき(ママ)の多い年はおご・ふのりが少ないと。

ねたまれての失職か

元禄17年1月18日。城附兼松四郎左衛門のところへ用人衆がやって来て、すぐに江戸へ発つはずだが、願い出て江戸へは行かないようにと遠回しに言われた。四郎左衛門はどうしてかと聞くが言ったとおりだと言われる。では勤めも返上するべきかと問いかける…

赤気とは赤い色の雲気

元禄17年1月15日。近頃、日が暮れてから東の方角に赤気が出ると見物する者が多く集まる。あるいは光物で下からツルツルと上るとも。長らく光物の見物が絶えなかった。猿投山の奥から出たと。猿投でこれを見るとさらに東の空にあったと。どことはわから…

このまむし池は池下あたりにあった蝮ヶ池のことかと

元禄17年1月10日。昼過ぎから文左衛門は瀬左・加兵とまむし池へ出かけ、酒を飲み楽しむ。

鶴膝風とは鶴のように膝が腫れる病気です

元禄17年1月6日。寺尾与三左衛門が鶴膝風で死に、跡が絶える。

甘やかしちゃいかんだろ

元禄17年1月5日。今までは建中寺などの名代は夜明け前に勤めていたが、下々は迷惑しているだろうと江戸より申してきたので、今後名代は辰半(午前8時)頃に勤めるようになるはずである。

元禄17年1月の天気です

元禄17年1月1日。晴。巳半(午前10時)、雪がひと降りして止む。晴。風が吹き、寒い。元禄17年1月2日。晴。元禄17年1月4日。夜、曇。夜半から雨が降る。元禄17年1月5日。雨が止み、薄曇。元禄17年1月6日。晴。元禄17年1月11日。…

お金に群れ集まる者たちのせいじゃないか

元禄16年。この冬、葺師頭藤兵衛が神宮寺堂を850両で請け負ったが、随分と損をして支払うべき職人に金子を渡すことが出来ず、迷惑を被った者が多かった。九十軒町伝六という者は石垣を請け負い、おのれの才覚で古石を用いて30両ばかり得をした。藤兵…

鍬神ってそんなに取り締まらないといけないもんですかね

元禄16年9月。領内の百姓が郡奉行へ出した手形の概略。この度郡奉行衆から出されたのは別紙の書付の通り。鍬神社と号する社号はあるか。その他宮社で鍬神祭と名付けた祭を執り行っているか。近国や他領でこのようなことがあると聞いた場合は急いで申し出…

だからどうしたって感じ

元禄16年1月24日。公は歌会始で滝音春を知らずとい題目を従一位基凞公関白が辞退された後詠まれる。いつはあれと心とけたる此春に御池の滝つ音ものどけし。

ちょっと考えられない

元禄16年。この冬、春日井郡六師村の78になる女が子を孕むが、産むことなく死ぬと。(後略)