名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-03-01から1ヶ月間の記事一覧

えー、通さなかったよ

元禄11年6月26日。朝比奈定右衛門が浪人召仕を手討ちにしそね、本町御門舛形へとやって来る。番人は押し留めて報告すると、御黒門頭水野権太夫・御門番寄合衆馬場三右衛門・横井伊右衛門が現れる。27日に傷がもとで死んでしまい、死体は町奉行へ渡さ…

誰の金だと思ってるんだ、はい殿様のものです

元禄11年6月21日。福井彦六が御仕置(死刑となる)。13歳の男の子は打ち首となる。幼少の男の子は追放となる。今後、7歳以下の男の子は父に大罪があっても、助けるようにとお言いつけになる。近頃、公が天王坊安養寺の本尊を再興される。大檀(法具…

また言いますよ、浪費家と

元禄11年6月。大公(光友)は両界曼荼羅を書かせる。春日部仁右衛門がこれを書き、代金は17両。八事へ寄附される。

権威をひけらかしてどうする

元禄11年5月16日。町中に触れがある。17日・18日・19日まで勝手次第(思い通りに振る舞っていいこと)。馬の頭を出すように。近頃、熱田の社では中臈の中から10人を選び、大紋を着せて大宮へ勤番(交代で勤務すること)させる。これは大宮司一…

それぐらいいいじゃないですか

元禄11年2月15日。辻番所へ女はもちろん人が集めて話をしたり、あるいは買物をしたり、企みをすることをかたく禁じるとの申し渡しがある。

しかしこんな大金返せるのか

元禄11年2月14日。去年の冬、大晦日に自害した七間町下松本町荒物屋新右衛門の死体、首が土器野で獄門となる。新右衛門はとても贅沢好きで、小西仁右衛門から130両、桜町菓子屋惣兵衛方から50両、袋町安祥寺から10両、その他53両ずつを方々か…

これも質素倹約

元禄11年2月9日。橘町の芝居で女方は無用と。年寄衆から町奉行に申し渡す。

確かこれも質素でしたよね

元禄11年2月6日。在郷は勿論、駿河町・なやうら(納屋裏)・日置等など名古屋の町に続いた場所でも、百姓はかたく衣服の法度を守るようにとの触れがある。

しかし、これぞ公務員

元禄11年1月。御家中衆は御成のため熱田で祈祷を行う。歴々衆は祓大麻を江戸へ献じ、その他は若宮へ遣わす。これは祈祷したことを上の者の耳に入るようにと思ってのこと。しかし若宮から耳に入れることはなく、本当にこびへつらうような者の心は卑しいも…

長寿を分けてもらおうと思ったのか

元禄11年1月。去るころ、竹内旡遊は自ら104歳になると偽り、大公に年を売って裏白1把・熨斗1把を献上して欺く。大公から銀10枚・御樽・御肴あわび、ゑびを下される。年を買われたということ。

同じような記事がありました

元禄11年1月14日。この夜から清須六角堂長光寺の地蔵が汗をたらたらと流す。その後も時々流す。敬公が亡くなられた正月、厳有公な亡くなられた正月も汗を流す。凶事があると汗を流すと云々。この像には仁明帝(仁)寿元年鋳造と仏の背に彫りつけてある。

灯台下暗しとはこのことか

元禄11年。この年、熱田の伶人(楽人)が絶えて久しき楽を再興した時、それは府下の楽家より伝えられたものであった。仁明天皇の時、尾張連浜主が110歳で長寿の楽を奏した。この浜主は元熱田社の伶人で楽に長けていた。今も朝家(皇室)の楽官は浜主の…

そうそうお伺いが大切

元禄11年1月20日。この日から知多郡木田村雨(両か)尾山観福寺の観音ならびに什物(宝物)が南寺町長嶋願正寺で開帳される。大公へは伺い済みで、寺は文武天皇大宝2年(702年)に行基が開いたもの。像もまた行基作で、座光など古物も行基作と。雨…

かなりの額と思えますが

元禄11年1月13日。酒運上(酒造税)の奉行、町人の役料が定まる。3人の奉行は町人であった。毎年金100両を3つに分け、手代1人には10両ずつ、中間には4両ずつとする。

何事も話を通しておかないと

元禄11年1月11日。この日から大須で芝居が行われるはずで札が立つ。しかし、寺から寺社奉行に話をしていなかったので中止するよう申し渡す。町奉行年寄衆へ再度伺いをたてると、江戸からやって来ているので芝居はさせるが、寺社と町の両奉行は不愉快で…

光友という方は浪費家

元禄11年1月8日。大公が仏画数軸を描かせ、八事興正寺に寄進される。3000仏3幅は絵代16両、釈迦三尊1幅は絵代7両、十六羅漢1幅は絵代7両、絵は春日部仁左衛門が描く。ただし、天瑞(興正寺僧侶)が注文する。

霊仙院の逝去による措置なのかな

元禄11年12月29日。廻状がある。切紙で申し入れる。来年初めの御礼はないはずであるので、御越年の御機嫌を伺うため元旦の朝5ツ半(午前9時)頃に各登城するように。以上。さらにこのことは支配の衆へも申し渡すように。衣服は熨斗目、半上下を着用…

火鉢のそばに火が出そうなものを置いちゃあなあ

元禄11年12月26日。辰2刻(午前7時過ぎ)、米倉分蔵が金子丹左衛門から借りていた家の中間長屋が残らず消失する。中間は火鉢のそばに藁や枯れた笹などを置いていたが、食事に出かけた後で火が出る。中間はすぐに行方をくらますが、やがて捕まる。分…

喪主違ってことなのかなあ

元禄11年12月24日。この日から3日間建中寺において法事が大公より行われる。24日から26日まで大公による法事で、五百部の読経が僧は230人で行われる。初日、2日目、3日目とも卯中刻(午前6時)に始まる。大公御名代は但馬守様(松平友著)…

霊仙院とは光友の奥さんです

元禄11年12月21日。この日から23日まで建中寺において霊仙院様の法事が行われる。三百部読経は僧160人が行う。御作事奉行横井小太夫、滝川豊前。僧の馳走人は毛利内記。山門を護るのは足軽頭浜嶋伴右衛門・幡名弥太夫。大門は荻原八太夫・原又左…

何かよくないことがおこるってことかな

元禄11年12月15日。この日、街中では下蔀(したしとみ)を下し、ひっそり静まりかえっていた。商売も行われなかった。思うに、今年の暦には初めて今月16日が臘日とあった。世の中ではわからないまま、この春から皆が天地冥暗の時だと言い始めていた…

江戸で事件を起こしたのか

元禄11年12月14日。この日廻状がある。一筆申し入れる。姫君様が去11日逝去なされたので、音曲鳴物などは禁止し、何事も穏便にするようにとの考えであると御老中が申されているので、その意をよく理解するように。期日についてはおって伝える。恐惶…

綱誠という殿様は倹約のためなのかよくこういうことを命令する

元禄11年12月13日。夜、廻状がある。殿が明日御下向になるが、御見送、御目見は必要はないと。

1人じゃ持てないよな、組織的犯罪か

元禄11年12月12日。夜、本町の番階子(梯子)12挺がなくなると。おかしなことである。

元禄11年12月の天気です

元禄11年12月1日。曇。元禄11年12月5日。雪が降り、2寸(1寸は約3センチ)ばかり積もる。巳刻(午前9時)過ぎには止む。元禄11年12月6日。薄曇。元禄11年12月8日。夜、しばらく雨が降る。元禄11年12月9日。晴。元禄11年12…

臨時収入はありがたい

元禄11年11月25日。文左衛門は巳(午前9時)過ぎから平左へ出かけ、頼母子を行う。文左衛門と七之右、只右と仙之右が組み、七之右が勝ち取る。そのため文左衛門は2両3分を受け取る。

手間がかからないとでも思ったのか

元禄11年11月23日。鍛治屋町の町人が寺で自害する。

どっちの責任だ

元禄11年11月11日(ママ)。この日の御深井の番井上文右衛門・阿部伝九郎・左右田権右衛門がひじり窓(格子窓)の鍵がないことに気づく。昨日の番本田助之進・手嶋杢内・須加井勝左衛門に尋ねるが、知らないと言われる。

確かに見ていて気持ちが良いものとは思えない

元禄11年11月11日。ためし(様)物がある。御道具は2つで、治部平がこれを切る。快からず。

的まで50メートルほどですか

元禄11年11月9日。この日、東の矢場で成瀬半太夫が御目見衆の遠矢を見る。御目付土屋佐之右衛門、五十人目付山村水右衛門が現れる。遠矢は25間(1間は約1,8メートル)。(後略)