名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

何かよくないことがおこるってことかな

元禄11年12月15日。
この日、街中では下蔀(したしとみ)を下し、ひっそり静まりかえっていた。
商売も行われなかった。
思うに、今年の暦には初めて今月16日が臘日とあった。
世の中ではわからないまま、この春から皆が天地冥暗の時だと言い始めていた。
一笑に付すとはいえ、国母の逝去し、国を戒めるべき時である。
天がこれを人に言わせたのであればおかしなことである。
また、この春正月14日、六角堂の金でできた地蔵像が申(午後3時)から戌(午後7時)まで汗をたくさんかいていた。
皆が言うには、国に変事があると汗をかくと。
本当なのだろうか。
臘日は冬至の後3番目の戌の日のことである。
年の終わりの大祭で、役人も民衆も好き勝手に飲み騒ぐとか。
夏は嘉平という。
殷では清記、周では大蜡、漢では臘という。
臘は猟という意味で、猟を行って獣を捕って先祖を祭ることである。