2024-12-08から1日間の記事一覧
正徳3年6月30日。近頃のこと。行方政右衛門弟の青木源蔵は三宅与兵衛に弟子でいろいろ病人や憑き物などの祈祷、鳴弦(弓の弦を鳴らして行うまじない)をする男であった。鉄砲は水野作兵衛の弟子で許しを得ていた。用務で江戸へ下り、その後御勝手番とな…
正徳3年6月29日。夜、左大将様薧去を知らせる廻文がある。作事は止めなくてもよいとのことで御園門などでも作事を行う。ただし胴突き(地固め)は止めるように。
正徳3年6月28日。この日のことだろうか、熱田田嶋の円通寺の住持が末寺の白鳥山宝持寺などと争いとなる。十人組の中で末寺を贔屓すことがあって、円通寺は逼塞する。末寺も宝持寺を始め4、5寺が逼塞する。
正徳3年6月27日。飛騨守御用番の時は足軽15人ずつ交代で詰めることになっていた。湯浅喜平次という者は行いが悪く、詰めていながら度々隠れて外出しており、それを仲間の小関藤兵衛が諫めていた。この夜、藤兵衛が紙帳(安い蚊帳)の中で寝ていると喜…
正徳3年6月26日。近頃、町で32年間宿なしの男について町奉行で詮議があり、この男は知多郡の者で毎年宗門一札も在所から出していたと云々。これにより身元がはっきりする。昼は日傭、夜は夜番をし、餅と酒と饂飩で命をつなぐと。
正徳3年6月25日。辰半(午前8時)過ぎに法事が終わる。香典は公が5枚、右近将監様から10枚、御簾中から3枚、久昌院様から5枚、栄姫様から1枚。伊織様から2枚。この他梅昌院様・帯刀殿内室、主水様母義。鈴木・野崎などから香典がある。
正徳3年6月24日。この日から性高院で徳安院様の法事が始まる。御馳走奉行は沢井織部・生駒因幡が勤める。名代は山澄主悦が勤める。門固足軽頭は荒川武兵衛・間宮伴大夫が勤める。
正徳3年6月23日。津嶋での芝居では、吉原の傾城(格式の高い遊女)の落魄、心の塞ぐ思いを見せるために盲女の首に蛇を巻き付けて舌を出し、首と尾を揺らした。歌を歌い、三弦引いた。勢州相の山の者かと、御代官は咄していた。蛇は毎日捕らえ、急所を針…
正徳6年6月20日。今晩、米倉伊平治を滝川弥一右へ預ける。左平次は東やしきに入り、御先手蜷川伴右衛門が番をする。
正徳6年6月19日。この春、日比津村のうなぎを囲った池へ村の百姓が駿河守殿の船で入り、盗んでいたのを見廻りの者が見つけて盗んだうなぎを取り返した。仲間は4、5人であったと云々。村へ預けられたので、村は交代で番をしなければならずとても迷惑し…
正徳6年6月18日。天野源蔵は麦を6斗9升で売ると云々。
正徳3年6月16日。若宮の祭礼が例年通り行われる。梅昌院様いつもの通り御覧になる。夜、小姓牧丹治が腹を切って死ぬ。近頃病気となり江戸より戻っていたが、神がかりのようになり衰弱したと云々。行水のたらいが深い水のように見え、怖くて足を入れるこ…
正徳3年6月15日。試楽が例年通り行われる。夜、福留伝右衛門妻を若宮から後をつけ、片端で騒ぎながら大勢が集まり、帯を解いて妻を抱え上げた。天野源蔵のあたりから追ってきた召仕・若党も追いついたが逃げ去った。これはこの妻が以前町医者と関係を持…
正徳3年6月11日。この秋の買留は8分通り両に6斗9升。
正徳3年6月5日。(文左衛門?)は建中寺で仕える。霊屋の扉も閉じてある。徳岩院様の忌中のため名代はなし。御唐門の外に筵1枚を横に敷いてあり、ここで拝礼をして帰る。隼人正殿も参詣できるのであれば現れたはずだが、それならばと現れなかった。(?…
正徳3年6月4日。伝馬町内川原町の酢屋平野屋彦兵衛養子の彦助はこの日船あそびに行き、落ちて死んでしまう。継母と一緒に出かけていたので人々は訝り、怪しんだ。翌5日、町奉行同心が行って死体を検視し、その上詮議があった。この継母は大の博奕好きだ…
正徳3年6月2日。後任の僧である大森寺の弟子白雄は上座(じょうざ)として小石川伝通院に入っていた。この春から所化(修行中の僧)の座席(地位など)について訴訟があり、伝通院方丈(住職)と1200、1300の所化が激しく争い、ことのほか話がこ…
正徳3年6月11日。亥半(午後10時)過ぎ、地震がある。近年にない大きなものであった。正徳3年6月20日。夜半に地鳴りがある。
正徳3年6月5日。日が暮れてから稲妻がはしる。正徳3年6月6日。申9刻(午後4時半過ぎ)過ぎ、夕立ちで雨が降る。しかし、雷は1、2度轟くだけで稲妻がはしるだけであった。にわか雨はしばらくして止む。その後晴れる。近頃、雨が降らず、草木も枯れ…