2026-02-01から1ヶ月間の記事一覧
天保8年。一 万松寺は樹木が数多く倒れる。まず、本堂の前では、地蔵堂の側の周り2間半あまりもある大杉が1本倒れ、西の墓所の入口から塀、ならびに西の堂が少し壊れる。また桟門前東南の周り3間余りの大杉3本が倒れ、桟門屋根を激しく壊す。惣門から桟…
天保8年。天保8丁酉8月14日未明から東風が吹いて雨も降るが、早朝はこの風が特別強くなる様子もなく、雲も真西に流れて行き、風向きとは少し逆であった。そのため風が強くなるとは思えず、油断していると辰刻(午前7時)頃から次第に風が強くなり、巳…
天保8年。一 3月29日明け方、御園町下長坂伝六郎屋敷で放火がある。長屋北の端の屋根裏が燃え上がり、柱、高塀も半分ほど焦げる。火の見は鐘を打たず、知れないようにする。ただし、不注意からの出火には見せかける。一 飢えての行き倒れがとても多く、…
天保8年。一 1月5日、町方の役所で白米1升、銭200文ずつを施す。一 同14日朝、古渡橋の材惣小家で稲生伏越の出来上がった杁と亭休所(休憩所)などが焼失する。一 同19日昼八時(午後2時)、桜の町清水寺の門の彫物師兵蔵が留守の間に火燵から火…
天保7年。一 記事なし。一 7月7日、日置あたりでかなり毛が降る(空から白い毛のようなものが降ってくること)。一 7月7日夜、土呂町西の小原屋という酒屋で浅野治部左衛門組の御中間藤三郎、・伊助・庄三郎という3人が酒を呑んでいたところ、女のこと…
天保7年。一 5月6日、朝倉平八が揚り屋へ入る。一 同15日朝六時(午前6時)過ぎ、祢宜町新屋敷で火事がある。おおよそ50軒ほどが焼失する。一 堀川の川浚えを言いつけられ、6月24日から始まる。6月24日は中戸田道、広井下納屋。6月25日は花…
天保7年。一 1月19日、枇杷島の橋詰で4才になる子どもが車に追いかけられて逃げるが、轢かれて死ぬ。一 2月5日八半時(午前3時)、今年初めて雷が少し鳴る。一 笠松御代官が品川において腹を切る。一 2月6日・7日、大薬師で潅頂が行われる。一 2…
天保6年。一 天保6年乙未閏7月9日、大野木村の蛇池から俗にいう蛇の天上(竜巻)なのか風や雨が激しく、雲を空に巻き上げ、雲の中に蛇の形が見えたと。このことについてある人が言うには、年支はわからないが、以前大野木村に名の知れぬ寺があり、その住…
天保6年。天保6年未4月、濃州高須あたりの洪水の様子をその地の人から知らせた書簡の写し。瑞作(和歌だと懐紙に書かれた題や名前)などは略す。当地では洪水が度々あり、既に先月には5度も溢れた水が流れ込み、水中に沈んだ水門の深さが1尺(1尺は約…
天保6年。一 4月13日、濃州笠松、御家、高須が三か所が支配する杁(桶門)が抜けて(決壊)大洪水となり、笠松で拵えた杁は私欲に走るものが多かったので崩れたのではとこの度この杁下の村々の百姓が徒党を組み、笠松の庄屋を打ち壊したのは4、5千人と…
天保6年。一 1月1日晴天。一 2月初、矢場小畑源次郎奥方の密夫とのことで、宮孫倅の橘町裏鰻屋萬五郎の男根の毛を焼き、大いに爛れて死んでしまうと。この奥方も少々焼かれる。一 2月11日夜、桑名の富に出かけて帰る際、急な風に出くわし、古保田のあ…
天保5年。一 3月27日出発した関東からの帰路、東本願寺門主へ疑念同行からの伺書の写。一 御嶽宿において、寺社・御勘定奉行へ、御門主から差し出した状の写。一 懸所において、御門主から疑念同行へ直接話された内容の二ケ条の写。一 同所において、下…