名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-11-01から1ヶ月間の記事一覧

8月30日の天気です

元禄7年8月30日。曇。正午前から雨が降り始め、未刻(午後1時)に止む。大殿様は御下屋敷を訪れる。

天目伏って魚を捕る仕掛けのようです

元禄7年8月28日。夕飯後、文左衛門は加藤平左と大曽根へ天目伏に行く。

普段から幸せそうだけど悩みはあるようだ

元禄7年8月25日。晴天。文左衛門は鈴木左之右と辰刻(午前7時)から笠寺天神を参詣する。道すがら心を慰める。

8月24日の天気です

元禄7年8月24日。暁前に雨が止む。正午前から晴れる。

8月23日の天気です

元禄7年8月23日。晴れたり曇ったり。未半(午後1時)から雨が降り始め、夜中には大雨となる。

勝川で鮎か、水が澄んでいたんだな

元禄7年8月22日。文左衛門は田村新八と勝川へ鮎打に出かける。網が古く、渋がなくなっていたのでうまく広がらなかった。昼過ぎから雨が降り出したので帰る。(中略)申刻(午後3時)前に帰宅する。鮎は4匹。その後大雨となり、酉9刻(午後7時前)に…

突貫工事の様相だな

元禄7年8月21日。快晴。大殿様は巳の刻(午前9時)前に御下屋敷を訪れる。昼過ぎに帰られる。申刻(午後3時)、文左衛門は忠四郎・政之右衛門・左之右と連れ立って志水(清水)へ行く。大殿様御下屋敷への道が幅9尺(1尺は約30センチ)で新たに出…

8月20日の天気です

元禄7年8月20日。辰半(午前8時)過ぎより曇る。正午前から弱い雨が降る。その後雨は降り続き、夜になって晴れる。

晴れの舞台でも悲喜こもごも

元禄7年8月18日。朝、雨が降る。後、晴れる。文左衛門は拝謁に参上する。巳の刻(午前9時)前、公は大殿様を訪ねる。正午前に御城へ帰られる。未刻(午後1時)、公は駕籠に乗って矢場に御出でになる。御弓の衆には的が用意される。御馬乗りは17頭の…

8月17日の天気です

元禄7年8月17日。文左衛門は拝謁に参上するが、御出ましはなし。未刻(午後1時)から曇る。同半刻(午後2時)より雨が降り始め、1晩中降り続く。

8月16日の天気です

元禄7年8月16日。未刻(午後1時)、しばらく雨が降りが、止んで晴れる。

わかりました、広井八幡の祭礼でした

元禄7年8月15日。出仕はなし。文左衛門は拝謁に参上する。辰7点(午前8時はん)、五十人目付小菅半右衛門・三尾孫四郎が現れ、この日は御出ましがないので帰るようにと言われる。そのためすぐに帰る。八幡祭を見物する。この年は大殿様も見物され、御…

ちゃんと城下を見るのも大切では

元禄7年8月14日。文左衛門は拝謁に参上する。辰7点(午前8時半)、公は大殿様を訪ねる。巳9点(午前11時前)に帰られる。新規の御目見が18人ある。御帰りの際、二之丸へ行かれる。13・4ばかりの2人と簾(すだれ)を持った壮年1人の町人3人…

こんな奴は困るなあ

元禄7年8月13日。文左衛門は拝謁に参上するが、御出ましはなし。辰2点(午前7時過ぎ)、大殿様はこの度隼人正らが献上した下屋敷を訪ねる。巳刻(午前9時)に帰られる。2・3日前に吉見宮内の惣領が乱心し、小田井村へ逃げて行った。あれこれ話した…

参上することが仕事なんだな

元禄7年8月12日。文左衛門は拝謁に参上するが、御出ましはなし。

謎の行動

元禄7年8月11日。文左衛門は拝謁に参上する。巳2点(午前9時過ぎ)、公は御下屋敷を密かに訪ねる。孔雀門の北にある小さな数寄屋御門から出られる。夕飯後、また文左衛門は拝謁に参上する。(後略)

大した火事ではなさそうですね

元禄7年8月10日。快晴。夕暮れ前に火事だと騒ぎがある。九坪村が焼ける。

8月9日の天気です

元禄7年8月9日。雨が降るが、夜更けに止む。公は大殿様を訪ねる。

8月8日の天気です

元禄7年8月8日。夕暮れ前から雨が降り始め、1晩中降り続く。

今でもありますよね

元禄7年8月7日。近頃、御下屋敷黒谷前の道が通れなくなり、成瀬民部下屋敷と大田弥五右との間に東まで新しい道が出来上がる。御下屋敷が広がり、道の場所が変わる。

舞台の進行も結構変わるんですね

元禄7年8月7日。文左衛門は加藤平左と辰半刻(午前8時)に御器所へ出かけ、操りを見物する。演目は盛久、太夫は竹本義太夫、ワキは新太夫と喜内。その面白さは口で表すことはできないほど。長い興行で、ようやくこの日に隠れて行くことができた。もっと…

しかし大殿様の屋敷のためとはいえ

元禄7年8月5日。彼岸に入り、真福寺で操りが催される。演目は高砂、太夫は笹尾平太夫、その他にも踊りや軽業が行われる。夜、橘町裏で足軽が喧嘩する。文左衛門が鈴木左之右衛門と矢田へ行く途中で道閑寺を通ると、隼人正家来の家が全て崩し壊されていた…

行ってみないとわからないのに

元禄7年8月4日。晴天。公は大殿様を訪ねる。帰りに先日崩れた石垣を御覧になる。玉置市正組大脇十郎左衛門弟が自殺する。あるいはし損ねるとも。十郎左衛門は貧乏のあまり、弟を他国へ遣わそうとした。そのため弟は行先のことを案じ、この如く。

だいぶ増水もおさまったようだ

元禄7年8月3日。辰8刻(午前9時前)に雨が止む。正午前から晴れ渡る。枇杷島の水位は5合となる。

こりゃ地盤が緩んだな

元禄7年8月2日。1日中、激しい雨が降る。御城西之御門を出て左側で、石垣9間(1間は約1、8メートル)ほどが崩れる。

これはかなりの大雨だ

元禄7年8月1日。出仕があり、早朝に文左衛門は三左衛門のところへ行き、対面する。辰半刻(午前8時)か雨が時々降り、巳5刻(午前10時)から本降りとなる。1日中激しい雨が降って、文左衛門の庭は一面水に浸かる。

そして大曽根屋敷は出来上がる

元禄7年7月。この月、成瀬隼人正・渡辺半蔵・石川大和守は下屋敷を差し上げる。大殿様の下屋敷とするため、家中の者の家を壊して他へ移す。

真実は如何に

元禄7年7月29日。辰半点(午前8時)まで雨が降る。その後雲が出て、時々雨が降る。公は御下屋敷から大殿様を巳の刻(午前9時)に訪れる。すぐに御城に入られる。文左衛門は拝謁に参上するが、この間少し雨が降る。御目見衆は合わせて39人。御供組5…

7月28日の天気です

元禄7年7月28日。曇。巳の刻(午前9時)、しばらく雨が降る。その後止んで晴れる。夜更けに大雨となる。

絶対祟りがありますよ

元禄7年7月27日。近頃、浅井孫四郎が病死する。日頃、様物を切ることを仕事としていた。病となって大いに身を悶え、痛い、痛いと叫ぶ声が町中に響き渡った。また、かつて胴を切った者が現れたと恐れおののいた。仲尼(孔子)曰く、悪例を始めた者に後は…