名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

晴れの舞台でも悲喜こもごも

元禄7年8月18日。
朝、雨が降る。
後、晴れる。
文左衛門は拝謁に参上する。
巳の刻(午前9時)前、公は大殿様を訪ねる。
正午前に御城へ帰られる。
未刻(午後1時)、公は駕籠に乗って矢場に御出でになる。
御弓の衆には的が用意される。
御馬乗りは17頭の御馬をあやつる。
御望みにより忠兵衛・七兵衛が一手(2本)ずつ射る。
七兵衛は1本当たる。
忠兵衛は当たらず。
御馬は弓に次に御覧になる。
御弓の衆では中子林大夫が4本すべてを当てる。
その際には1本申告されなかったので3本と記されるが、その後訂正される。
原勘七長屋の加兵衛は当たらず。
未4点(午後2時前)、公は矢場から御下屋敷を訪れる。
大殿様五十人組左右田理右衛門という者は従弟中西仁右衛門のところに一緒に住んでいた。
この日、仁右衛門の僕を手討ちし損ない、耳を斬り落とした。
理右衛門は行方をくらまし、僕は安藤喜六のところへ走り込んだ。