2022-12-04から1日間の記事一覧
元禄7年10月27日。文左衛門は忠兵衛へ行き、的を4、5本射てみるが、とても難かったので巻藁を射てみる。親も見物にやって来る。
元禄7年10月26日。晴天。戌の刻(午後7時)、忠兵から手紙がやって来る。それによると、弓を射るのを御覧になると連絡があったので、明日やって来て的を射るようにと。このため急いで弓を張り、巻藁を射ってみる。昨年3、4月から打ち捨ててあったの…
元禄7年10月25日。夜の雨が明け方に止む。巾下榎木町に河野清右衛門という浪人が住んでいた。元は沢井三右衛門の歩行の者であったが、節約のため暇を出されてここに住んでいた。朝夕の食事にも事欠き、1銭の貯えもなかった。しかし、近頃自らこんなこ…
元禄7年10月24日。近頃、神谷与市は御下屋敷に毎日詰めていた。この日、金子10両を当分の御あてかい(給与)として下され、段子(緞子)の夜着・蒲団・御服・御羽織・枕まで拝領する。正木新是右衛門も1両下される。ふたりとも御用屋敷へ引っ越す。…
元禄7年10月23日。晴天。文左衛門は見廻りに忠兵へ行く。先ず内室(夫人)に会い、酒などをよばれる。その後で忠兵に会う。この度の御太刀などを見せるため文左衛門に鎖を開けさせようとするが、どうしても開かなかった。今朝まですらすらと開いたと、…
元禄7年10月22日。曇。御下屋敷で御弓の衆が人形を射る。もっとも征矢(戦場で使う矢)を用い、50間(1間は約1・8メートル)、25間共に4本ずつ射る。5尺、7尺(1尺は約30センチ)の紙に人の黒い形を大きく描く。絵師円助がこれを描く。白…
元禄7年10月21日。近頃、阿閉孫右衛門・近井義右衛門の噂が色々とあった。道具の華美は今さら切りがなかった。御老中の家老、大身衆はこの両人のところでもてなしを受けることも多かった。近井は料理を振る舞い、献立やそれぞれへの届物の日記が2人の…
元禄7年10月20日。晴天ながら風が吹く。
元禄7年10月19日。雨が降るが、時々止む。日が暮れて晴れる。その後風が吹く
元禄7年10月17日。近頃、杉山作之右衛門が乱心といういことだが、どうやらそうではなかったらしい。7、8月頃に作之右衛門は自分は御目付衆の隠し目付(見張り役)であると話していた。朝倉忠兵衛などには金子20両が御扶持として下されたと。他にも…
元禄7年10月15日。晴れ渡る。
元禄7年10月14日。曇。未半刻(午後2時)から雨が降る。大殿様御下屋敷の地かため鳴弦(お祓い)が行われる。朝倉忠兵衛に仰せ付ける。この日から禁足(外出禁止)する。
元禄7年10月13日。水谷九郎左衛門・中条次左衛門の妻子とも追放となる。水谷は永月の仲間であった。次左衛門は偽の刀や脇差を作っていた。少し前より預り置かれていた者たちであった。
元禄7年10月12日。西風が雲を吹き流す。
元禄7年10月11日。曇。大殿様が中納言様の御下屋敷へ饗応のためお訪ねになる。音楽もあり。お帰りが夜になり、ご機嫌がよくなかったと。昼過ぎから弱い雨が降り、戌の刻(午後7時)まで降ったり止んだりを繰り返す。その後は止む。
元禄7年10月10日。夜、曇る。時々、弱い雨が降る。
元禄7年10月8日。晴天。文左衛門は早朝から性高院を参詣する。十兵妻の35日であったため。寺僧が言うには、和尚は建中寺へ行っているので帰り次第法事が始まるはずであると。そのため十兵のところへ行き、餅・酒をよばれる。晦哲へ出かける。昼頃にま…
元禄7年10月7日。巳刻(午前9時)から曇る。未半刻(午後2時)から雨が降る。夜になって止み、晴れる。
元禄7年10月6日。空は晴れ渡る。
元禄7年10月5日。激しい雨が降る。巳3刻(9時半頃)より弱まる。未刻(午後1時)から晴れる。玄猪(猪の日に餅を食べる行事)の御祝儀がある。今年初めて御手自ら餅を下される。台を2つ置き、1度に2人ずつ参上して頂く。
元禄7年10月4日。曇。昼過ぎから雨が降り出し、1晩中降り続く。この日、柳生兵助の弟子6人が兵法を披露する。(中略)御夜詰の間で御覧になり、兵助をお褒めになる。兵助は名をこの日から兵庫と改める。御意があり上手いものだと。田辺太左衛門弟子7…
元禄7年10月2日。正午、時折雨が降るが、すぐに晴れる。