2023-02-01から1ヶ月間の記事一覧
元禄10年5月28日。今月、出雲守様(松平義昌)御家老衆が御家中に申し渡しを行う。家中の下々が長屋で障子を閉めて集まっているようだが博奕をしているのではないかと疑われている。昨年も障子を閉ざすことは禁止だと言い渡されたはずである。今後、下…
元禄10年5月27日。雨が止む。
元禄10年5月24日。文左衛門は鈴木理右と尾頭橋より南で漁をする。
元禄10年5月23日。曇。午(午前11時)過ぎると晴れる。
元禄10年5月20日。曇。時々晴れる。午半(午後0時)、しばらく雨が降る。夜は晴れる。卯半(午前6時)、文左衛門は、恒佐左・春喜左・相政右・横長右・石瀬左・同平四・渡八・五左・能彦と共に南野へ出かける。村上薩摩の家で塩風呂(海水を沸かした…
元禄10年5月7日。この日、触状が来る。覚。金銀貨が吹き直され、古金銀は新金銀といよいよ引き替えることとなったので、御料は御代官から、私領は地頭から言い渡すこととする。遠国に至るまで古金銀貨は残らず引き替えるように。古金銀貨は来年寅(元禄…
元禄10年5月5日。申刻(午後3時)マ(脱字)には雨が止む。夜になるとまた降り始め、ジメジメする。
元禄10年5月4日。曇。
元禄10年5月3日。曇。
元禄10年5月1日。文左衛門は白与加平の子・相政の子・鈴平次と一緒に新尾頭へ出かけ、操りを見物する。演目は伝授小町。曲は岡本文弥。かんおくり(神送り)などの説教に似たものであった。本当に竹元義太夫は後世に語り継がれるような人物であるが、松…
元禄10年4月30日。仲間相原久兵宅へ行き、冨永彦兵が言ったことを聞く。その内容は、今後御本丸・御深井丸の番所では番人は袴を着て勤めるように。そして夕暮れには解く(脱ぐ)ように。これは最近の六郎左組の者の悪行によるもの。六郎左組へは厳しく…
元禄10年4月29日。晴。
元禄10年4月28日。薄曇り。未刻(午後1時)過ぎると晴れる。
元禄10年4月25日。曇。巳刻(午前9時)、雨が降る。申刻(午後3時)には止む。
元禄10年4月24日。曇。時には晴れて、また曇る。
元禄10年4月23日。曇。この日から新尾頭で操りが行われる予定であった。大夫は小林平太夫で南都(奈良)の者であった。
元禄10年4月20日。晴。
元禄10年4月19日。曇。
元禄10年4月14日。夜、妙蓮寺で服部平内妻を葬る。昨日亡くなり、来月出産予定だった。文左衛門も参詣する。
元禄10年4月16日。文左衛門は槍稽古の後すぐに友数人と本町通へ出かけ、その賑わいを見る。
元禄10年4月11日。尾張沢の観音の柱立が行われる。織田昌春(津田富春・尾張の商人)がこれを建てる。
元禄10年4月9日。曇。
元禄10年4月8日。わずかに曇る。
元禄10年4月6日。晴。
元禄10年4月2日。快晴。
元禄10年3月28日。晴。
元禄10年3月26日。井野口六郎左衛門が同心たちへ言い渡したことがある。御番所では諸事乱れているようであるので以後注意するように。少し前に城代衆が御本丸へ来られた際、佐々喜右衛門が番所の後ろの土居に上り、元結を扱(しご)き、脇差は李(すも…
元禄10年3月22日。御本丸足軽番所の後ろで昔から石垣が崩れていた。今度、それを防ぐために木材を設ける。そのため旧番所を壊し、その北に新たに番所を建てる。
元禄10年3月20日。文左衛門は鈴木理右・加藤伊織と共に大ガマ(大我麻)へ漁に出かける。それぞれ鯰・魚へんに麗(雷魚)・鰻・鮠などを得る。
元禄10年3月18日。曇、もしくは晴。夕暮れから雨が降る。