名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-05-01から1ヶ月間の記事一覧

主を働いた上に斬りつけるとは何たる狼藉

貞享3年12月22日。呉服町で竹腰信濃守組400石石川藤太夫の若党が木綿売りの嶋木綿を盗む。木綿売りがこれをとがめると切りつける。木綿売りは翌朝死んでしまう。町人たちが集まり、若党を召し捕らえる。

書くほどですか

貞享3年10月3日。堀治部衛門若党と兼松七之丞召仕が喧嘩する。

妻子は救われた

貞享3年10月3日。平岩清伝を追放する。妻子は離別するようにと申し付け、処罰はなし。

ちゃんと仕事をしなさい

貞享3年9月18日。(竹腰)龍助上屋敷中番所より巳(午前9時)に火が出る。前夜、太郎作・惣兵衛という中間が番であった。番人どもは新屋敷の牢に入る。23日には追放となる。

嘘をついてないか

貞享3年8月25日。為姫様御伝衆井上新之右衛門が乱心。足軽頭岡寺縫殿右衛門より足軽を遣わして番をする。智姫様よりお使いとして上る際、白須賀において召仕を手討ちにしようとして取り逃がす。宿の者に頼んで縄をかけ、問屋に預ける。追って尾張より迎…

余震ですな

貞享3年8月16日。辰(午前7時)過ぎ、地震がある。夜までに地震が8度あり、そのうち2度は強く揺れる。

これが身分というもの

貞享3年8月15日。出雲様(松平義昌)がお忍びで熱田沖へ出かけられたところ、御目見衆の船が押し合いへし合いし、櫂で船をよけようとして海へ落ちてしまう。ようやく船に這い上がるが、出雲様の船と知って又海へ飛び込み元の船へと戻る。

離婚すればよいのか

貞享3年8月15日。未刻(午後1時)、出来町にいる居合の師平岩清伝という浪人が牢に入る。その後10月3日に追放となる。妻子は離別とのことで罪を免れる。

相談相手がいれば

貞享3年8月15日。朝、天王坊の内の常林坊で、山下仁左衛門槍持が自殺する。乱心による。

建中寺とあろうところで

貞享3年8月13日。建中寺の住持阿春が追放となる。寺社奉行から申し渡す。その場で直ちに寺を出る。住持の兄の道円という納所坊主(会計担当)は、乱暴かつ非道を働く。全てにおいて行いが悪く、阿春と悪事を働く。道円は昨年悪事を働き、追放を仰せ付け…

なぜ切りつけた

貞享3年8月13日。伊部安太夫が縫殿中小姓永井新之右衛門を切る。

そうか今でも埋葬許可がいる

貞享3年8月4日。養林寺が逼塞となる(門を閉ざし白昼の出入りを許さない処罰)。その後8月9日に許される。森左平死体を無断で弔ったため。妙蓮寺・常徳寺も不届きがあると。

じゃあ、なぜ自殺

貞享3年8月4日。七間町米屋が便所で自殺する。広沢平八郎に金を借りていたが、とっくに返済したとのこと。

今の当て逃げか

貞享3年7月25日。戸山竹隠の六尺(下僕)どもが竹隠に御預けとなる。8月2日には許しが出て元通り仕える。車を引いている時、伝馬町の札を引っかけ壊したためと。この札はさこ(栄生)町と云々。

団之助と兄の妾には何か関係が

貞享3年7月23日、24日。その頃、海野団之助が兄庄太夫の妾を刺し殺す。乱心とのこと。

神は守ってくれなかった

貞享3年7月23日。大道寺玄蕃歩行者(徒士)が稲吉武太夫の近所で切り殺される。犯人は逃げ去る。荒子参詣からの帰りとのことで、犯人は玄蕃の中間であった。

盗人の後ろには首謀者あり

貞享3年7月13日。少し前に牢に入れられた後藤彦太夫長屋に入った盗人や六尺(下僕)、井戸掘りなど盗みをさせた者ども全員が追放となる。盗人は質屋から出てきたところを捕らえられる。

貞享3年7月13日。御国奉行から足軽2人が追放となる。囚人1人を牢屋へ連れていく途中、囚人が永安寺筋で東へ逃げ出し、肴屋仁右衛門裏の井戸へ飛び込み気絶してしまう。しばらくして引き上げて介抱すると囚人は意識を取り戻す。原因はこの足軽2人が油…

古沢武太夫は悪くない

貞享3年7月10日。出雲守様(松平義昌)衆古沢武太夫を長岡丹左衛門へ、牧治部太夫を清水彦右衛門へ御預け。同晦日、共に17ヶ国改易となる。少し前に治部太夫を御領地へ遣わし、屋敷のための土地を見つけるようにと言われていた。にもかかわらず御領地…

さすが尾張徳川家の菩提寺です

貞享3年7月10日。雷が轟く。建中寺では屋根瓦が砕け、本堂東の柱一本が裂け、唐紙障子などもくすぶり破損してしまう。御作事奉行柴山甚五左衛門が修復する。

女がらみの喧嘩か

貞享3年6月24日。けんどん屋(飯屋)左五平と阿部十郎兵衛草履取が舎人町で喧嘩となる。1人は小倉佐次右衛門屋敷前の藪の辺り、もう1人は森本孫介前に倒れていた。しばらくして共に死んでしまう。女は孫介のところへ駆け込む。

不倫の果ての刃傷沙汰

貞享3年6月21日。朝、駿河町より山村八郎左衛門町への入口の堀端で、中間が下帯もつけない丸裸で切り殺されていた。頭を一太刀と腕を切られていた。この者は鳥井与兵衛の槍持ちで、若党の女房と密通したため若党が切って立ち去る。

今の時代でもある話

貞享3年6月18日。伊勢町下三宅善八の家に住む御馬廻り小頭長谷川内六が乱心し、弟2人と家来1人に軽い傷を負わせる。そのため親類の蘿木小右衛門・舎人源太左衛門に御預となる。どうやら錯乱状態だったよう。

子を亡くしておとがめなしでは

貞享3年6月10日。後にに暇を取り浪人となった竹腰龍助の帳付け(検地役人)青山内右衛門の子藤七は都筑弥兵衛のところへ奉公に出ていた。近頃、片桐弥五右家来と共に参宮のためと暇を願い出て、婿入りしたとも小宿(暇を取った時に身を寄せる場)入りし…

死んでから化けたのでしょうか

貞享3年6月10日。魚棚通り、桑名町と伏見町との間にある桧物屋(曲げ物屋)が、床下で槍かんなを使って古狸を突き殺す。巷では狒々(ひひ・猿)と云々。体長は2尺1寸3分(1尺は約30センチ、1寸は約3センチ、1分は約3ミリ)。顔の長さは4寸3…

譲り合う気持ちはないのか

貞享3年6月3日。酉刻(午後5時)過ぎ、伊勢町、鶴重町の角で埴原六郎右衛門・永井藤八・古高源助の3人が出雲守様(松平義昌)御道具持松風折右衛門を切り殺し立ち去る。六郎右衛門・源助も軽い傷を負う。道で出くわし、譲れ、譲らないで争いとなる。折…

おかしいんじゃない

貞享3年6月1日。大屋村で行われた祭りに名古屋の木挽(製材業)が見物に行き、千人切と目の前の7人に傷を負わす。この中にはこの者の伯父もいた。この者は大屋村の出で、日頃は名古屋に住んでいた。すぐに牢に入る。

良かったのか、悪かったのか

貞享3年5月26日。勅使花山院殿が江戸での役目を終えて帰京の際、供の坊主が笠寺辺りで行方をくらます。方々探し回り、翌日南野で見つけ出し院へ送り返す。

譲り合えば済むことなのに

貞享3年5月18日。笠寺で鳴海の馬と南野本地の馬が鉢合わせする。奉公人が殴り合いのけんかを始め、双方に負傷者が多数出る。

無理心中なのか

貞享3年5月5日。熱田築出で旅籠屋を営む者が女房を長刀で切りつけ自殺する。女房は死なずにすむ。