名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-05-01から1ヶ月間の記事一覧

春はそういう季節かも

貞享3年4月21日。平岩伝右衛門子弥五兵衛は近頃乱心の様子であった。届け出た上で、この日届け出たうえで座敷牢をこしらえて入れる。

急死

貞享3年4月18日。公(光友)が御城に着いた際、本町御門土橋の辺りで小尾伝左衛門子が急死する。

何をしでかしたのやら

貞享3年4月5日。菅沼文右衛門を頭小寺藤蔵へ、高橋十左衛門を吉田又兵衛に御預け。十左衛門の取り調べにはに留永甚太夫・千村作左衛門が当たる。

悩みは昔も同じ

貞享3年閏3月27日。(竹腰)龍助家来高野又兵衛が自殺する。乱心してのこと。

理不尽な

貞享3年閏3月10日。橘町で滝川彦左衛門廐の者と草履取りの2人が、七間町花屋の手間取(手間賃を貰って働く者)1人を切り殺し逃げ去る。手間取もかなり抵抗した様子と。

恥ずかしくて嘘をつきました

貞享2年 冬、奥番鳥居与兵衛召仕が在所へ行って酒を飲み、帰る頃には甚だ酔っぱらう。帰り道でひげを生やした者に出くわすとそのひげを抜く。又、小刀で道行く者の頭を突くと。百姓どもが出てきて追いかけると、寺へ走って逃げ込む。住持の詫言で何とか弥兵…

大木を切ればバレるだろ

貞享3年閏3月3日。万松寺塔頭万年寺を大久保惣右衛門宅へ呼び、追放する。寺の大木を切って売り払うなど日頃から行いがよくないためと。

身元はどこ

貞享3年閏3月1日。夜、御下屋敷東に女が切り殺されている。その場に晒す。

焼け出された人たちには寒すぎるのでは

貞享3年3月18日。昼、万松寺近くの河野藤蔵方で足軽屋敷2、3軒が焼失する。

冬の嵐

貞享3年2月23日。夕暮れ頃、激しい雷で稲妻が光る。建中寺前裏町入戸曽太夫の家へ雷が落ち、1軒焼失する。

人を殺すのはやむを得ないことではない

貞享3年1月30日。鈴木瀬左衛門の子弁右衛門が召仕を手討ちにする。1分加増で召し置くと言ったにもかかわらず、悪態をつくのでやむを得ずと。

2人にどんな恨みが

貞享3年1月30日。武平町で天野伝内・安藤又四郎が襲われる。ふたりは大嶋五兵衛の屋敷へ逃げ込む。伝内は昼過ぎに死んでしまうが、又四郎はそこを立ち去る。杉ノ町の角までは足立七右衛門も一緒にいた。

この日2件目の自殺

貞享3年1月24日。大光寺門前で、服部小十郎弟九八郎の家来が自殺する。

苦しい時はまず誰かに相談

貞享3年1月24日。岡田九助に仕える者が伊勢へ参詣すると退出するが、納屋橋の辺りで自殺する。

この日2度目の事件

貞享3年1月13日。新御屋敷で佐治新蔵が刀を失くす。客が帰った後、戸障子を立てると刀が出てくる。舞台の下から刀が出でてきたと。切羽(鍔に添える板金)は外してあった。

2人の調整力に拍手

貞享3年1月13日。新御屋敷で山内治左衛門と大橋義右衛門の間で争いがあり、儀右衛門から治左衛門へ果し状を送ると云々。津田元右衛門・遠山所左衛門の仲介で事を収める。

犯行未遂

貞享2年12月29日。町奉行手代を処分する。手代は奉行寺本七兵衛が自殺したという切紙(手紙)を伴文右衛門・青木小左衛門などへを遣わし、まず子を殺そうとおびき寄せる。手代が脇差を抜くと、女房がこれを見て押し留めて声をあげる。近所の者に召仕ど…

40両はどこへ

貞享2年12月中旬。伝十郎と名乗り津守様(松平義行)の家老となり宝永戌(1706年)に亡くなる遠山宇右衛門の若党が米120石を70両で売り払い、その金を持って逃亡する。伝十郎の頃からの小僧上がりのため請人もなしと云々。御国方が召し捕らえ、…

これは皆がグルでは

貞享2年12月13日。夜、山下武左衛門家来が知行所四女子村から年貢の金を受け取り戻ってくる。庄屋が送ってくれるが、家来は(竹腰)龍助の蔵屋敷の辺りで庄屋を帰らせる。堀川端へ出ようとすると、2,3人の若者がやって来て中将様(綱誠)がここへお…

迷惑な酔っ払い

貞享2年11月22日。(竹腰)龍助上屋敷門前で六郎様(松平友重)衆高松半助家来が酒に酔い、脇差を抜いて紙売を追いかける。その上、紙を取り散らかす。

追放とは穏やかでない

貞享2年11月13日。夜、鍋屋町裏普蔵寺の住持を万松寺より追放する。その跡は智識所となる。寂良が入る。

なぜ弟まで行方不明に

貞享2年11月10日。辰半刻(午前8時)、天野茂太夫が座敷で堀田孫左衛門を切って逃げ去ろうとする。そこで、孫左衛門に居候する浪人堀田安左衛門と出くわし、玄関前で切りつける。未の刻(午後1時)前に安左衛門は死んでしまう。茂太夫は浅田八郎左衛…

保証人にはなるな

貞享2年11月。勝鬘寺町の紺屋(染物屋)が自殺する。甥の借金200両、その手形に加判したためと。

大事には至らず何より

貞享2年9月中旬頃。魚棚の者が上畠堀川辺りで何者かに肩を切りつけられ、家へ逃げ込むと。

どちらが真実

貞享2年9月中旬頃。加藤源太左衛門厩の者が、御目付衆に東下馬のあたりで主人に甚だ打たれていると訴えると云々。水野内蔵は小頭に命じて源太左に口書(供述書)を出させると云々。源太左によるとこの者に不届きがあったので打っていると、いつの間にか逃…

3月の事件関係者、みな現れる

貞享2年5月28日。取田才兵衛と松本から行をくらました喜八を清水彦衛門のところに待つ。先日の悪人を建中寺から乗り物で出すが、取り逃がし、建中寺へまた走り入る。

トカゲのしっぽ切りとはこのこと

貞享2年10月25日。蒲焼町筋大津町と伊勢町の間にある長野修理宅で川野喜兵衛が切腹となる。御使は三宅逸平次、御目付は川澄平左衛門。喜兵衛は辞世を修理宅の床に残すと。金山に関係してのこと。首謀者は渡辺新左衛門等だが、喜兵衛に罪を負わせる。子…

熱田沖で鮫とは

貞享2年10月20日。熱田沖で鮫が漁師のえび網にかかる。21日には中将様(綱誠)が御覧になる。大きさは1丈2寸(1丈は約3メートル、1寸は約3センチ)。熱田頭人へこの鮫が渡される。大きな魚を捕らえた時は大体体頭人に納める。これは吉例と云々。

獄門とは大罪

貞享2年10月9日。瑠璃光寺隠居と太郎吉母を名古屋町中へ引き渡す。その後11日に神戸村へ引いて行かれ獄門となる。

ちゃんと原因も書こうよ

貞享2年9月19日。田嶋内蔵ならびに千秋刑部家来武太夫がともに追放となる。