名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

これは祟りだ

宝永6年7月18日。
竹腰民部が継目の礼で銀30枚、太刀金馬代・二種一荷を献上する。御手自ら熨斗を下され、家老3人に御目見がある。
その後紀国様から使者淡輪新兵衛が登城する。
このためこの日は大須で芝居は行われなかった。

今朝、民部右筆小林善助が乱心し、自殺する。
昨日妾を殴りつけると、妾が外へ走り出たので手討ちにしようしとたが失敗した。
昨日白昼に道具などを運び出していた。

江戸正映院で継目の礼前夜に市川武兵衛が自殺し、民部家督の前日に山田左介が味鏡(鋺)川に身を投げていた。
今度またこれで、おかしなことだと。
先年江戸で宗鎌の小姓鈴木庄之助に知行を与えられる時、いろいろあって延び延びになっていた。
小姓が病気であったが、宗鎌は不満があると疑って使いをやって詰問し、早く出て来ないのであれば切腹を申し付けると云々。
小姓はもう良くなったので出ようとしていたが、この使いを聞いてわざと出向かずに思うところがあって自害した。
母親は名古屋におり、このことを大いに恨み、かつて奉公には出さないと言ったのに無理に奉公させてこんなことになってしまったと罵り、竹腰七代に祟ってやると洲原池で7日間垢離をし、終には飛び込んで死んでしまった。