名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

口が固い僕を雇わないと

宝永6年9月24日。
廻文がある。
殿様が昨日知多を巡見に出かけられるたで、この留守中は西鉄門の出入ならびに番人などは江戸留守の時と同様に警固するようにと目付衆から頭へ申してきたのでそのように心得るように。
以上。

申(午後3時)前、弥次右男折平を助左衛門のところに連れてくるようにとのことだったので、すぐに人を付けて連れて行く。
帰る時に、明朝5ツ(午前8時)頃に七間町の牢屋に連れて行くようにと云々。
折平が白状して言うには、去年松宅こと馬場三郎兵衛に奉公していたが、天野孫太夫のところへ三郎兵衛は1日おきくらいで眼の治療に出かけていた。
この供をしていた僕が家の様子をよく覚えていたので、近頃孫大夫のところの塀を乗り越え、召仕の長持ちの中を取り出して衣服を盗んだと云々。