名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-07-01から1ヶ月間の記事一覧

男女関係のもつれかも

元禄3年1月15日。25、6になる大工八兵衛の倅が鍛冶屋町米屋甚左衛門後家を倅が切り殺す。この倅も自殺する。2人の死体は塩漬けにしておく。

親同士まで喧嘩してどうする

元禄3年1月9日。榎屋孫大夫を山本九右衛門が殴る。原因は子ども同士の争いで、九右衛門子を町人の子が粗末に扱ったため。

まずは生きることが大切

元禄3年1月5日。佐藤十郎右衛門屋敷脇に捨子がある。8日晩に話がまとまり、乞食の手に渡る。

正月早々

元禄3年1月1日。瀬尾清右衛門が三之丸石川助九のあたりで急死する。

女を殴る男なんてろくなもんじゃない

元禄3年1月1日。大野作兵衛が召仕の女を殴ろうとしていたところ、召仕の男が止めに入ったので腹をたて、飛口で男の頭を打ち割る。この男の子が熊井十次のところにいたが、難癖をつけたので町の親しくしている者たちが処理をして、男も養生させて暇を出す。

酒に酔っていてはなあ

元禄2年12月15日。滝川彦左衛門中間が酒に酔い、伏見町・枕町の角家のところを千鳥足で歩いていた。町奉行から捕手を遣わし捕えて、彦左衛門へ引き渡したとのこと。加藤茂助が昨年手討ちにした召仕はこの者の兄であった。茂助のところへやって来て、兄…

ばればれの嘘

元禄2年12月15日。隼人正歩行山村新助が仲間の米を吉川半兵衛のところで売り渡しておいて、金19両2分を落としてしまったと仲間へ話したと。翌1月10日に追放となる。久保周安弟であったと。

年の瀬に大変だ

元禄2年12月15日。巳刻(午前9時)、巾下六句の小屋5、6軒が焼失する。

飴屋ですか

元禄2年12月10日過ぎ。みけん惣八という大泥棒が捕らえられる。これは女房とその仲間を連れて大須の門前角にある飴屋で盗みをはたらいていたことがわかってのこと。

知能犯

元禄2年12月10日過ぎ。駿河町の小屋で女ひとりが機を織っていたが、隣に茶を飲みに出かける。その隙に盗人が少ししつらえた物置へ入り、衣服などを盗んでいた。すると女が戻り機を織り始めたので出るに出られなくなってしまった。そこで女の櫛箱にあっ…

福の神とはめでたい

元禄2年11月。噂話が広まる。9月4日に和泉屋彦七蔵から福の神が現れて天道町の倉橋屋五兵衛のところへ入ったと。

はさみ火の罪って何

元禄2年11月14日。戸田道で平助という日雇の女房が付火をする。女は鏡を質に入れてその銭を近所のかかに預けるが、頼まれた女が少し盗んだと腹をたてる。付火をしてやると何度もいうので大家が何度も意見し、在所へも連れて行くが在所でも相手にされず…

恥ずかしかったのと違うかな

元禄2年10月29日。真鍋茂太夫が水野孫右衛門のところへ話に出かけ、手水鉢のある縁から落ちてけがを負い、しばらくの間家に籠る。怪我で家に籠る際には御目付衆へ報告をしなければならないが、それが延び延びとなって色々と噂される。

雲なのかなあ

元禄2年10月29日。暁の空に辰巳(南東)の方角に白気(白い気体や白い雲)が見える。戌亥(北西)の方角にたなびく。その後もわずかながら、丑寅(北東)や巳午(南南東)にも見える。

理由も書き残そうよ

元禄2年10月8日。鉄砲塚町の伝左衛門が閉門となる。

正義の味方か強欲か

元禄2年10月8日。近頃、目安書小川新六が牢に入る。妻子にはお構いはなし。

ちゃんと双方納得して雇わないと

元禄2年10月8日。粕谷弥三兵衛が逼塞仰せ付けられる。登城の際に召し連れた日雇いが行方をくらましてしまう。雇う際に納得できないことがあったとか。

大丈夫だったのか

元禄2年10月2日。夜、平岩九郎左衛門若党が納屋裏浅野伊左衛門の近所で闇討ちにあう。

召仕は泥棒か何かと勘違いしたか

元禄2年10月上旬。夜、成瀬吉兵衛子又平次はよそで酒を振る舞われた。気持ちよく酔って帰ってきて衣桁の服を取ろうとした。すると中から召仕の若党が切りつけてきた。それうまくかわして素早く討ちとめる。又平次の額も少し傷を負う。

料金は後払い

元禄2年9月23日。横井小太夫が頭に呼ばれ申し渡される。江戸の小道具屋の若い者がこの夏頃に大坂へ行く途中で小太夫のところに寄って、小柄(小刀)・目貫(柄にすえる飾り)・笄(刀の鞘にはさむヘラのようなもの)の3点を金1分で買い求めたので、江…

責任は取らないと

元禄2年9月27日。戌刻(午後7時)、宮崎元右衛門長屋が残らず消失する。このため元右衛門は逼塞となる。

数時間生きていたんだ

元禄2年9月13日。夜半、幡野又三郎が自害する。14日の暁夜に死んでしまう。乱心であった。

死ぬぐらいならば逃げればと思うのだが

元禄2年8月29日。鳥居五兵衛妻が死ぬ。五兵衛が名古屋に戻る前に自害したとのこと。密通のことがあって五兵衛が着く前に雪隠で自害し損ねていた。林喜左衛門の姉であった。

3人なら大した騒ぎじゃないか

元禄2年6月下旬。巾下六句で町人が喧嘩をする。3人が傷を負い、相手ともども番をつけると。

無鉄砲ながらあっぱれ

元禄2年6月下旬。安藤七左衛門召仕道具持が草履取を切り殺す。立ち去るところを若党が追いかけて切り殺す。若党も傷を負ったと。

春日井から西区まで流されたのか

元禄2年5月29日。善光寺借家に住む忠兵衛は木曽商い(材木商?)をしていたが、勝川で溺死する。御国から死体を探させると、翌日稲生で死体を見つかる。絹1疋・木綿2端が定堰に流れて引っかかっていた。

組織改革だな

元禄2年5月20日。摂州様(松平義行)御歩行新組20人一同が願い申し上げたことで、小頭両人が平に仰せ付けられる。平の内頭取4人は改易となる。残りの者はそのままであった。

命を奪われなかったのは幸運

元禄2年5月20日頃。川村与兵衛下女が髪を切られる。

正直に言って処罰とは理不尽

元禄2年4月13日。巾下に住む目安書(代書屋)の浪人が小川新六のところへ御預けとなる。近頃、世のためとなるのであれば誰でもそのことを申し上げればよいと云々。新六の差し上げた書付には、御国奉行ならびに御代官手代などは残らずなくしてしまい、自…

真実は闇の中

元禄2年4月19日。野呂瀬彦右衛門弟の本願寺宗常斉寺が自殺する。乱心ということにする。本願寺門跡通所に関係してと云々。