名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-05-01から1ヶ月間の記事一覧

本当にたまに働く文左衛門

元禄14年11月26日。巳(午前9時)から文左衛門は武兵へ出かける。口米の帳面を確認する。申(午後3時)過ぎ、久右・源右が帰る。

死んだふりって効果あるんだ

元禄14年11月23日。近頃、桶狭間で鉄砲を持った男2人を見つけ、百姓たちが大勢集まって山へ追いかけた。1人は逃げ去り、1人は棒で叩いて倒された。持っていたのは鉄砲、大脇差。雁2羽を獲り、死んだと思って油断したすきに逃げ去った。

今回はダメでした

元禄14年11月18日。昼前から文左衛門は平左へ出かける。頼母子の会で小兵が得る。酒などを頂き、申(午後3時)過ぎに帰る。文左衛門は小兵・平左・円右・伝右と1分ずつ出し合い、親なしの頼母子を行う。小兵が得る。

この状は何だろう

元禄14年11月17日。近頃、大田半右衛門の名で梶弥三郎に花押のある状を与える。頼政と云々。

先日と合わせて17両

元禄14年11月16日。申(午後3時)から文左衛門は源兵へ出かける。2分2朱を賭けて頼母子を行う。文左衛門は5両を得る。1口は星野勘左衛門が得る。酒を頂き、夕暮れに帰る。

酔っぱらいなんてそんなもの

元禄14年11月13日。夕暮れ、石仏村の百姓が酒に酔って松尾兵左衛門堀にうずくまっていた。しばらくして行ってしまう。廻文がある。大目付仙石伯耆守殿・溝口摂津守殿が城附の者たちへ仰せ聞かされたことは、近年いろんなものが高値となり町人は困窮し…

こりゃすごい

元禄14年11月11日。未(午後1時)前から文左衛門は加兵へ頼母子に出かける。文左衛門は11両を得る。

自作自演か

元禄14年11月9日。先月25日のやいと市という者は鍛治屋町町代の子で悪人の盗人であった。これを捕まえた乞食は目あかしの下代(下っ端の手代)となっていた。少し前、目あかしに灸市兵衛という者がなったとあるのはこの聞き違えである。少し前、牢破…

料理中に火から目を離してはいけない

元禄14年11月7日。未半(午後2時)、駿河町下上田五兵衛足軽平野杢左衛門の家1軒が焼失する。杢左衛門は江戸へ上り留守であった。味噌などを蒸していて出火したかと。

こりゃ大芝居だなあ

元禄14年11月1日。具足屋彦十郎には美人の娘がいた。少し前、京へ行くとますます美人となった。ところがこの夏あたりから長患いとなった。何かに心を奪われたようで治す術がなかった。彦十郎にとってはたったひとりの子で溺愛しており、おろおろと騒ぐ…

元禄14年11月の天気です

元禄14年11月1日。雨。辰(午前7時)前後、見通せないほどの大雨となる。その後小降りとなる。昼前過ぎると止む。夜は晴れる。元禄14年11月2日。晴。夜、西風が吹く。元禄14年11月4日。夜、曇る。時に雨が降る。深夜、晴れる。元禄14年1…

足元が見えなかったか

元禄14年10月30日。永井金兵衛が評定所の台所南西の縁から落ちて気絶する。駕籠を壊して何とか乗せ、家へ帰す。気がつくまでしばらくかかったと。

あれ、目明しになったはずでは

元禄14年10月25日。野呂増左衛門が木曽路の宿を点検のため木曽路を下るよう仰せ付けられる。来月4日に出発し、大工3人を召し連れる。やいと市という者が獄門となる。胴は様物になる。

無理やり徴収されるんだもんな

元禄14年10月16日。法事が終わる。(中略)家中の礼拝が行われる。家老は銀5枚、老中は3枚、礼剣以上は1枚ずつ。

こんなことまで書かなくても

元禄14年10月15日。政秀寺で祥光院(広幡忠幸)の33回忌の法事が行われる。側物頭までが詰める。近頃文左衛門が聞いたところでは後藤弥次右がさよという妾にとても狂っていると。

理由は何だろう

元禄14年10月11日。近頃、葭町で町人の女房が自殺する。

どうして参加できたのか

元禄14年10月10日。法事の千部経が始まる。僧は172人。須野崎甚之丞がこの法事に現れる。少し前に謹慎になったはずであるのでここに記す。

いつもの注意ですね

元禄14年10月9日。目付山田理右からの廻状が来る。瑞竜院様の法事の間は音曲鳴物は止めて物静かにし、火の元は特に入念にするように下々に至るまで諸事謹むようにと申し付けられる。廻状がある。法事中は諸事謹むように。来る15日は寺に詰めるように…

死ぬしかなかったのかなあ

元禄14年10月8日。少し前、雲州様(松平義昌)中間の妻は南寺町で江戸へ行った夫の留守をを守っていたが、同町光明寺の弟子快純という僧と密通し子を孕んでしまう。近頃、夫が供をして帰って来ることになったのでやむを得ず2人でこの日逐電し、参州衣…

お披露目も兼ねてるんですかね

元禄14年10月3日。卯(午前5時)頃、建中寺などに住職が入る。建中寺ではこの朝斎を下々まで下される。賄頭がこれを承る。老中なども出向かれる。これらへは寺が供応する。相応寺では寺で食事を用意する。

元禄14年10月の天気です

元禄14年10月1日。晴。元禄14年10月2日。晴。元禄14年10月4日。日が暮れてから曇る。その後、雨が降る。元禄14年10月5日。雨が降る。申(午後3時)前から段々晴れる。元禄14年10月6日。快晴。元禄14年10月7日。西風が吹き、…

優雅な身分ですな

元禄14年9月15日。辰半(午前8時)過ぎ、文左衛門は元右・藤右・文右・源兵衛と天王崎から船に乗り、三またまで漕ぎ出し、あたりを漂う。魚や酒を楽しむ。月は昼間にような明るさで、子(午後11時)過ぎに帰宅する。船代は200文、船頭には飯も出…

見物も暑いだろうな

元禄14年9月9日。この日より願証寺で操りが行われる。演者は大坂新太夫、盛岡宮内、木屋吉太夫。

相手の気持ちを確かめたのか

元禄14年9月3日。服部平内弟が乱心する。今までバカなことばかりしていた。この夜、逃げて藪の隅にいた。昼頃、吉原甚太夫玄関番が後藤伴蔵のところへやって来て、茶の間の女(雑用をつとめた女)に会う。夕暮れにまたやって来て、門内で女を切り殺し自…

こういう仕事もあるんですね

元禄14年9月2日。この朝、成瀬修理・河村九郎右衛門・取田次郎左衛門が川並見検分(川の様子見)に出かける。

元禄14年9月の天気です

元禄14年9月1日。晴。元禄14年9月2日。晴。昼前から薄曇となる。元禄14年9月3日。はなはだ涼しい。元禄14年9月4日。申(午後3時)過ぎから曇る。夜更けには雨が降る。元禄14年9月5日。卯半(午前6時)過ぎから雨が降る。昼頃に止む。…

首は獄門、胴は様物とは

元禄14年8月28日。獄門が行われる。獄門となったのは少し前に下御深井に盗みに入った者であった。胴は町奉行が拝領し、様物となる。牢奉行栗原六右衛門が追放となる。家は闕所(没収)となる。これは少し前に乱心者を牢から逃がしたため。

死んでしまってはダメだろう

元禄14年6月。久々宇又八の女(娘)が長井孫市に嫁いだ。その夜から孫市に今まで召し仕えていた妾の生霊が憑りついて煩ってしまった。又八夫婦は女が食を欲するのは生霊が食を好むからだと思った。食べさせては霊が強くなると食べさせなかった。そして干…

厳しい処分だな

元禄14年8月27日。七ツ寺で入仏供養が行われる。江原権平次は供養を見物に出かけた。僕が少し遅れて門から入ろうとしたが、押の者は入れてくれなかった。僕は供であると説明するが聞き入れられず、さらには杖で叩かれ叱られた。僕が怒って供をしてきた…

こういう準備が事故を防ぐ

元禄14年8月26日。七ツ寺で塔供養のならし(リハーサル)が行われる。多くの人が集まったと。大須の方への抜け道があり、これは帰る者が出ていく道であった。鬼頭喜兵衛・同養子新蔵共に15ヶ国追放となる。今までは町への御預けであった。