名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-05-01から1ヶ月間の記事一覧

厚かましいなあ

元禄14年8月25日。昼頃、250石山本彦助が佐々木与右衛門のところへ出かけた。与右衛門の妻と子分の甥源之衛門は笠寺へ参っており留守であった。奥で話をしながら寝転んでいたら、彦助が与右衛門に切りつけ、突きつけて、自分も喉を突いて死んでしま…

七ツ寺の三重塔のことですか

元禄14年8月24日。文左衛門は万松寺帰りに七ツ寺へ寄って見る。来る27日に塔入仏供養が行われる。曼陀羅供(曼陀羅を供養する法会)ねり物(練供養)なども行われるはず。26日と両日行われるとのこと。桟敷をあちこちに設けてあった。この塔は稲園…

毎年、この時期行われてますね

元禄14年8月21日。真福寺で十三郎の狂言が行われる。

よく盗まれなかったなあ

元禄14年8月19日。昨日夕暮れ頃、巾下ゑびす町中ほどにある作兵衛という米屋が片端山村甚兵衛屋敷の馬場へ寄り、喉を切って自殺していた。金ごしらえの脇差を使って。この日、脇差は保管する。

こりゃ大変だ

元禄14年8月18日。洪水となったようで、未(午後1時)頃手代丹右衛門やって来て、建中寺前下屋敷のあたりなどでは道路一面冠水し、場所によっては下帯(ふんどし)が濡れるような場所を通って来たと言った。家の塀が崩れたところの数は知れず。この洪…

働けよ

元禄14年8月17日。少し前から、石黒権左衛門弟河村不入という坊主が見ず知らずの者のところへ押しかけ、銭を貰う。

今のニュースでも見るような光景

元禄14年8月12日。枇杷島は4合9勺の水となる。天白の堤の鳴海側が決壊する。道は船で行くこととなる。

これは侍の驕りだな

元禄14年8月11日。昼頃、車道で冨永弥五助の13になる弟が門から出ると、新見彦右衛門明組足軽の14になる子が茶を売りながら通りかかった。橡(栃)の実3粒を持っていたが、弥五助弟が所望しても与えなかった。弥五助弟は怒って侍が望むのに与えな…

さらし者だなあ

元禄14年8月9日。近頃、出雲守(松平義昌)茶坊主竹也・宗元の両人が足軽頭鈴木新五兵衛・槍奉行吉田伊左衛門に御預けとなる。尾州でのことで詮議がある。後にみな追放となる。獄門が行われる。初め新町伝左衛門に奉公していたが、不届きで追い払われて…

褒美を拝領するような仕事をしているとは思えないけれど

元禄14年8月4日。文左衛門は九郎右の家で細工頭ととみに褒美を拝領することを弥次左から申し渡される。

嘘はよくない

元禄14年8月1日。近頃、惣内の戸を縛る。津嶋の芝居で我が子と称して17ばかりの男の子が出していた。断りもなかったのでこの如く。

元禄14年8月の天気です

元禄14年8月1日。暑い。元禄14年8月2日。薄曇。時々細かい雨が申(午後3時)過ぎから降る。夜、雨が降る。元禄14年8月3日。雨。巳(午前9時)過ぎると止む。薄曇。元禄14年8月4日。霧雨。昼前から止む。その後、晴れる。元禄14年8月5…

鉄砲がそれほど売れるとは思えないし、ここから旧字は新字にします

元禄14年7月26日。鉄砲屋林半九郎が乱心する。松屋半九郎のこととも。少し喉を傷つけ、林一郎左衛門、同権右衛門に御預けとなる。甚だ困窮していたと。

珍しさがよくわからない、傘が飛んだだけなのに

元禄14年7月24日。午(午前11時)前、伏見町傘屋茂兵衛が傘に油をひこうとして、少し目を離した隙に傘1本が空に舞い上がる。雲の間を出たり入ったり、少しの間飄々と舞い廻る。その間に湿って紙が破れ、大船町河井孫兵衛という町人の土蔵の屋根に落…

いろいろな遺品を名古屋城に運んでいるのか

元禄14年7月23日。具足を多門(多聞)へ出して調べる。坤の櫓の最上で。瑞竜院様・泰心院様の具足を今度運んできたので新たに畳を替える。縁側には新たに薄縁(うすべり、縁のついたござ)を敷き込めるとのこと。初めに多門(多聞)中の具足を見る。秀…

天気だとか出し物に左右されたのだろう

元禄14年7月19日。この日で能が終了する。はなはだ損をしたとのこと。

文左衛門、残念

元禄14年7月15日。4分の月食がある。戌(午後7時)から亥(午後9時)までだったが、西国では見ることができなかった。宵のうちは雲があり、文左衛門は見ることができなかった。その後、晴れた。

女形はこのころからあったようですね

元禄14年7月14日。真福寺で十三郎の狂言が行われ、木綿衣服の女形が出演する。高田三之丞のごま(護摩)は大人気で高い金を取る。怪力の男は4斗俵・4斗樽を手と足でもてあそぶ。3足の女。以上の4つの出し物であった。酉(午後5時)頃、小山清右衛…

注文した船が出来上がったってことですかね

元禄14年7月12日。誂表の船が惣河戸へ着く。他の誂物などもこの時漸く着く。

捕まってしまったか

元禄14年7月6日。夜、乱心した男1人が七間町の牢を破り、逐電する。2年間牢に入っていた。その行方を知ることはなかった。牢奉行などは逼塞となる。後に捕らえられ、乱心のふりをしていた。

死んでからも磔とは

元禄14年7月5日。近頃、先日御器所で女を切り殺した男の死体は女の死体と塩漬けになっていたが、情夫に間違いないとのことで、共に磔となる。

元禄14年7月の天気です

元禄14年7月1日。晴。元禄14年7月2日。朝の間雨が降る。雷がまた少し轟き、その後に止む。薄曇、時には晴れる。申(午後3時)前から雷が鳴る。雨が降るが、申半(午後4時)に止む。戌(午後7時)過ぎから雷が轟く。雨が激しく降る。雨は明け方ま…

18日のことを咎められたか

元禄14年6月27日。22,3日頃から深井丸足軽は袴を着るようになる。当番として厨(台所)などへ行く。次の間で本などを見るが、取り散らかすことはなかった。作法をよくするよう小頭衆が何度も言い続けていた。御本丸においても。18日に彦兵は深井…

人が入らなければ値段は下がるもの

元禄14年6月26日。巾下新道で本間内蔵進の勧進能が行われる。札銭はちょうど80文、畳1帖13匁。ことのほか見物が少なく、後には7匁になる。

これも簡略絡みかな

元禄14年6月20日。近頃、須野崎甚之丞が行いがよくないため、押し込めて外へは出さず。少し前から和泉屋十三郎の役者の衣服は女方を除いて全て木綿となっていた。他国の役者は以後出演しないことに。これは役者の風流(きらびやか)を見て、身持ちを崩…

熾烈なポスト争い

元禄14年6月19日。寄合で国用人衆から書付で申し渡される。左の如し。八三郎様。岩之丞様。この歩行(徒)を望む者があるが、遠慮する者はいないようである。今後、御目見の輩もしくは御目見の格式の者がこの両人様歩行の空を望むであれば先に願い出て…

やっと名古屋にお帰りです

元禄14年6月17日。朝、文左衛門は宿で月額を剃り、辰刻(午前7時)過ぎに宿を出発する。昼前、桑名に到着する。尾州からの迎えの船は着いておらず、安右衛門が尾州の売船(廻船)1艘が700文で町人の荷物を載せ今にも出発しようとするのを尾州御用…

外泊は難しいのだ

元禄14年6月16日。卯中刻(午前6時)、霊屋が出来上がり、遷牌が行われる。僧は40人。巳中刻(午前10時)、年寄衆は寺を退出する。天王の祭礼はこの遷牌のあとで行われる。艮刻(午前3時)に終わる。廻文がある。覚。面々に召し仕えるしんめう(…

病気なら仕方がない

元禄14年6月15日。石川伊織は4月から病気で引きこもっていた。今月江戸へ向かうはずであったが、難しかったので願い出る。先頃、野崎清左衛門と屋敷替えとなっていたが、これも行われず。明日、霊屋の遷牌が行われるため、年寄衆は建中寺を見廻る。(…

昨日の今日ですか

元禄14年6月9日。年寄衆は御屋形で初めて寄合がある。6日、9日、15日、18日、25日、28日。