名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-05-01から1ヶ月間の記事一覧

早くないですか

元禄14年6月8日。寄合で諸役人へ国用人衆から通達がある。今までは年寄衆宅で月番の寄合、式日を行っていたが、今後は御屋形(三之丸御屋敷)で行うこととする。御用がある場合は御屋形に出てくるように。その場合も8ツ(午後2時)以後は急用でない限…

新築ですよね、辛いなあ

元禄14年6月7日。子刻(午後11時)、御薗下新町屋から出火し、残らず消失する。森寺兵四郎の屋敷や長屋も焼失する。

源兵衛も何だかなあ

元禄14年6月6日。熱田仏閣の検分のため江戸から古川武兵衛・江川太郎左衛門が到着する。こちらからのからの接待は受けず、町屋に宿をとる。破損等はこちらの負担で作事方が行う。五十人野々垣助右衛門の居候御目見手川喜三郎という者が手川治右衛門より…

何かと入用です

元禄14年6月5日。卯中刻(午前6時)法事が始まり、辰中刻(午前8時)に終わる。御側物頭以上は香奠を献上し、拝礼を行う。(香奠の額は12巻の通り)

やはり関係があったのか

元禄14年6月1日。昨夜、五十人新野林助家来が御器所村新田で女を刺し殺し、自殺する。すぐに死ぬことはなく、2,3日してから死ぬ。林助は家に籠女(妊婦、ここでは妾か)をを置くことができず、米屋の女房ということにして預けていた。夜ごと家へ迎え…

元禄14年6月の天気です

元禄14年6月16日、未刻(午後1時)、ひと雨降る。氷もまた降ったようだが、文左衛門は見ていなかった。元禄14年6月19日。明け方前から雷が轟く。卯(午前5時)過ぎると大雨となる。しばらくして止む。その後は薄曇となる。昼過ぎからまた雨が降…

これだと新しい役目のため預けられたのか

元禄14年5月25日。廻文がある。この度大目付に預けられた足軽たちは名古屋の侍町、寺社町中、尾張領美濃の村々、ならびに木曽、かつまた江戸、屋敷の内外でことの善悪を調べ報告することとなった。しかしながら、法に背く者があってもそれを取り調べで…

今やターミナルの上小田井も当時は…

元禄14年5月23日。辰刻(午前7時)、上小田井村で家1軒が焼ける。

これにはどうやらわけがありそう

元禄14年5月22日。簡略方足軽30人の内15人が大目付衆3人に預けられる。1組は5人ずつ。

してやったり

元禄14年5月17日。3日に熱田大宮司が江戸から帰る。荒廃した仏閣の修理、再興を仰せ付けられる。江戸より検分の役人衆が来るはずとのこと。大宮司は江戸での働きがうまくいき、寺社奉行青山播磨守宅で料理などを給わったと。

せっかく訪ねたのに

元禄14年5月12日。吉田五兵衛が逼塞を仰せ付けられる。少し前、犬山逗留の成瀬因幡を訪ね、話を終えて申(午後3時)過ぎに因州亭を出る。町屋に泊まったが、その知らせも入れなかった。このことが耳に入りこの如く。岡田三阿弥・広間坊主小頭九悦も同…

今の西枇杷島のあたりか

元禄14年5月10日。辰之中刻(午前8時)、枇杷島橋向かい1町(1町は約100メートル)ほど先の南側にある裏屋2軒が焼失する。

私的に利用していたってこと

元禄14年5月4日。寄合で書付で言い渡しがある。それぞれの役所で道具などが見つかっていると聞こえてきた。今後はこのようなことがないようにと云々。ただし役所より言い渡しがなくてもこの通りに。水道奉行、買物奉行、畳奉行にはなし。この月、昨年盗…

60年も勤めたとはなんと長生き

元禄14年5月3日。大野忠右衛門は60年の勤めにより、願わずとも3人扶持を下される。この朝、成瀬隼人正同心三沢左門が自殺する。

江戸時代から日本人は自殺者が多い

元禄14年5月1日。夜中、御器所村の畑で自害した者がいた。住吉町の者とのこと。

元禄14年5月の天気です

元禄14年5月2日。未上刻(午後1時)、雷が鳴り、雨が降る。下刻(午後3時)に止む。申中刻(午後4時)過ぎからまた降り始め、夕暮れ前に止む。元禄14年5月7日。亥(午後9時)過ぎから雨が降り出し、翌朝辰刻(午前7時)に止む。元禄14年5月…

用語備忘録

勤書=履歴書唐網=投網大腰掛=下級藩士が藩主に拝謁するために設けられた席御礼=藩主に敬意を表する式御礼銭=藩主へのお礼の銭御目見の衆=士の子で無足、無役の相続前の若者針立=針医者仏狼機=大筒廻りの者=市中巡回の目付役押し者=目付の下に属す…

勘違いから大騒ぎ

元禄14年4月28日。新町糸谷半九郎が町内に預けられる。近頃、近所の子たちが半九郎裏へ紙鳶(凧)が落ちたからと、裏の脇道から大勢が入り込んだ。ここには梅の実があったので、盗みに来たかと裏の借家の者たちが出てきて子たちを叱りつけた。半九郎も…

臭い物にはふたをしましょう

元禄14年4月27日。卯上刻(午前5時)、下屋敷比丘尼住居で中間小屋番肝煎磯右衛門という者を平中間権助が卯(午前6時)過ぎ寝所へ押しかけ、紙帳(かや)越しに頬から切りつける。そして直ちに立ち退く。磯右衛門はいまだに死なず。詮議が行われる様…

養子縁組は難しい

元禄14年4月25日。鉄砲塚町古物屋又右衛門の戸が縛られる。向かいの吉左衛門の戸は閉ざす。これは3年前、又右衛門の借家を吉左衛門が親類の紺屋に借りさせようとした。その時又右衛門は昔から紺屋には貸さないと言って貸さなかった。にもかかわらず最…

これは怪しい

元禄14年4月24日。内寄合(奉行の会議)がいつもの通り行われる。後藤弥次右衛門は病気のため現れなかった。一昨日の22日、城において大曽根の道具の改が行われた。この時から急に弥次右衛門は家を出なくなったと。

この日から文左衛門は京・大坂へ出張

元禄14年4月23日。明け方、文左衛門は尾張を発つ。熱田まで駕籠で行き、辰半(午前8時)熱田へ着く。船に乗り、昼前桑名に着く。船中の給物(頂き物)を持参する。

死ぬことはないでしょう

元禄14年4月22日。田頭文助が自殺する。兄權平が道中で死んだのを聞いて、今後伯父九左衛門に面倒を見てもらのは難儀だと思い、自殺したと。

たいしたことはなかった

元禄14年4月21日。夕暮れ過ぎ、火事だと。長者町下の小部屋が焼ける。

文左衛門はこういうところは潔癖

元禄14年4月17日。祭礼が例年通り行われる。辰(午前7時)過ぎに始まり、午半(午後0時)過ぎに終わる。(中略)この年からまた雷の山車が出る。連枝様(兄弟)は残らず桟敷で見物なさる。桟敷と年寄衆の前で馬上の士は全員下馬する。八三様がせっか…

東照宮祭の幕開け、前日祭の舞楽奉納

元禄14年4月16日。舞楽が例年通り行われる。

これは結果が知りたい

元禄14年4月15日。町人鬼頭喜兵衛は借金がかなりあり、町へ御預けとなる。7月前に出した延米金が1600から1700両あった。平田にも800両借りていた。喜兵衛は以前蟹江四郎左衛門の子新蔵を養子にしていた。山本甚五左衛門の娘を養い、引き合…

助馬や助人足は宿駅で馬や人足が足りなくなった時に周りの村々から徴用されました

元禄14年4月14日。廻文がある。切紙をもって申し入れる。中仙道を通る場合、今まで定の伝馬、人足では不足した場合は所々から助馬・助人足を出していたが、木曽路11ケ村困窮のため村々から公儀に願いがあったので、今後は定の通り伝馬25疋、人足2…

放火にしては罪が軽すぎる

元禄14年4月9日。先日放火をした杉之町通本町と長者町の間で戸を縛られた町代を含む4人、釘付3軒のうち、釘締の1人はこの日許される。残り6人は牢に入る。 なぜひとりだけ赦されたのか。

迷惑な酔っ払いだなあ

元禄14年4月8日。5,6日前、松平若狭守家来が伝馬町で馬が良くないと馬子を叱りつけ、鼻ねじで叩き、踏みつける。それでもおさまらず、馬子に良い馬でもないのに払い過ぎたから手形を書けと言う。馬子は町奉行に伺いをたてると、町奉行は手形は必要な…