名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-05-19から1日間の記事一覧

18日のことを咎められたか

元禄14年6月27日。22,3日頃から深井丸足軽は袴を着るようになる。当番として厨(台所)などへ行く。次の間で本などを見るが、取り散らかすことはなかった。作法をよくするよう小頭衆が何度も言い続けていた。御本丸においても。18日に彦兵は深井…

人が入らなければ値段は下がるもの

元禄14年6月26日。巾下新道で本間内蔵進の勧進能が行われる。札銭はちょうど80文、畳1帖13匁。ことのほか見物が少なく、後には7匁になる。

これも簡略絡みかな

元禄14年6月20日。近頃、須野崎甚之丞が行いがよくないため、押し込めて外へは出さず。少し前から和泉屋十三郎の役者の衣服は女方を除いて全て木綿となっていた。他国の役者は以後出演しないことに。これは役者の風流(きらびやか)を見て、身持ちを崩…

熾烈なポスト争い

元禄14年6月19日。寄合で国用人衆から書付で申し渡される。左の如し。八三郎様。岩之丞様。この歩行(徒)を望む者があるが、遠慮する者はいないようである。今後、御目見の輩もしくは御目見の格式の者がこの両人様歩行の空を望むであれば先に願い出て…

やっと名古屋にお帰りです

元禄14年6月17日。朝、文左衛門は宿で月額を剃り、辰刻(午前7時)過ぎに宿を出発する。昼前、桑名に到着する。尾州からの迎えの船は着いておらず、安右衛門が尾州の売船(廻船)1艘が700文で町人の荷物を載せ今にも出発しようとするのを尾州御用…

外泊は難しいのだ

元禄14年6月16日。卯中刻(午前6時)、霊屋が出来上がり、遷牌が行われる。僧は40人。巳中刻(午前10時)、年寄衆は寺を退出する。天王の祭礼はこの遷牌のあとで行われる。艮刻(午前3時)に終わる。廻文がある。覚。面々に召し仕えるしんめう(…

病気なら仕方がない

元禄14年6月15日。石川伊織は4月から病気で引きこもっていた。今月江戸へ向かうはずであったが、難しかったので願い出る。先頃、野崎清左衛門と屋敷替えとなっていたが、これも行われず。明日、霊屋の遷牌が行われるため、年寄衆は建中寺を見廻る。(…

昨日の今日ですか

元禄14年6月9日。年寄衆は御屋形で初めて寄合がある。6日、9日、15日、18日、25日、28日。

早くないですか

元禄14年6月8日。寄合で諸役人へ国用人衆から通達がある。今までは年寄衆宅で月番の寄合、式日を行っていたが、今後は御屋形(三之丸御屋敷)で行うこととする。御用がある場合は御屋形に出てくるように。その場合も8ツ(午後2時)以後は急用でない限…

新築ですよね、辛いなあ

元禄14年6月7日。子刻(午後11時)、御薗下新町屋から出火し、残らず消失する。森寺兵四郎の屋敷や長屋も焼失する。

源兵衛も何だかなあ

元禄14年6月6日。熱田仏閣の検分のため江戸から古川武兵衛・江川太郎左衛門が到着する。こちらからのからの接待は受けず、町屋に宿をとる。破損等はこちらの負担で作事方が行う。五十人野々垣助右衛門の居候御目見手川喜三郎という者が手川治右衛門より…

何かと入用です

元禄14年6月5日。卯中刻(午前6時)法事が始まり、辰中刻(午前8時)に終わる。御側物頭以上は香奠を献上し、拝礼を行う。(香奠の額は12巻の通り)

やはり関係があったのか

元禄14年6月1日。昨夜、五十人新野林助家来が御器所村新田で女を刺し殺し、自殺する。すぐに死ぬことはなく、2,3日してから死ぬ。林助は家に籠女(妊婦、ここでは妾か)をを置くことができず、米屋の女房ということにして預けていた。夜ごと家へ迎え…

元禄14年6月の天気です

元禄14年6月16日、未刻(午後1時)、ひと雨降る。氷もまた降ったようだが、文左衛門は見ていなかった。元禄14年6月19日。明け方前から雷が轟く。卯(午前5時)過ぎると大雨となる。しばらくして止む。その後は薄曇となる。昼過ぎからまた雨が降…