名古屋の町は大騒ぎ

名古屋で起こった江戸時代の事件を紹介

宝永1年10月の天気です

宝永1年10月1日。
晴。
宝永1年10月3日。
巳(午前9時)過ぎて晴れる。未(午後1時)前からわずかに雨が降る。申(午後3時)過ぎて晴れる。日が暮れてまた雨が降る。戌(午後7時)過ぎて晴れる。
宝永1年10月4日。
朝、深い霧が立ち込める。巳(午前9時)前、晴れる。
宝永1年10月13日。夕暮れ時、時雨が降る。
宝永1年10月14日。
時々、薄曇。申半時(午後4時)、雨が降って止む。夜は晴れる。
宝永1年10月15日。
晴。
宝永1年10月18日。
夜更けに雨が降る。
宝永1年10月19日。
雨。辰半(午前8時)過ぎから段々と止む。
宝永1年10月20日。
曇。
宝永1年10月21日。
曇。巳半(午前10時)過ぎて晴れる。申(午後3時)過ぎて曇る。亥半(午後10時)、雨が降る。また止む。深夜に雨が降る。
宝永1年10月22日。
雨。辰(午前7時)前後、大雨となる。その後止むが、時に降る。
宝永1年10月23日。
夜、晴。
宝永1年10月24日。
晴。少し雨が降って風が吹く。寒くなる。

全然いぶかしくないし、普通だし

宝永1年9月28日。
少し前、江戸向屋敷(藩主や家族の住む屋敷)番所足軽頭加藤岡右衛門、平田藩右衛門4人が公儀の牢に入る。
酔っ払いがやって来て番人に傷を負わせたので、この者たちが酔っぱらいを叩き倒したところ、酔っ払いを見たらいたわるべきであるのになぜ叩き倒したといぶかしがられると。

それだけ公家も金に困っていたということ

宝永1年9月27日。
吉見刑部は7月26日に上京したが、吉田に仲介を頼んだ官位が一向に得られず、京に長く留まることとなっていた。
吉田の言うとおりにして官位を求めると、費用がかさんでしまっていた。
仲介を通さず直に申し上げようとすると、伝奏清閑寺中納言は吉田と同僚であったのでこのことがすぐに吉田の耳に入ってしまった。
殿様からはいつも通りその費用として金子30両ずつを下されていた。
130日ばかり京に留まり、茶屋などから金を借りて尾張に戻り、願い申し上げて年季金(期限を設けての借金?)としてもらった。
公のご威勢により吉田に頼まなくても官位は進み、従五位上刑部大輔となる。
2度と吉田に取り次ぎを頼むことはないはず。
近頃、本寿院様の希望により江戸で相撲取1人を抱えられる。

どうして牢に入れられた

宝永1年9月26日。
近頃、春日井郡古喜(小木)村で勧進相撲取4、5人が牢に入る。
百姓であった。
近頃、米が1両で7斗23升。(二三は実数ではなく多くも少なくもなく事足りという時に使うのですが)