名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

これも理由が不明か

宝永6年2月29日。
夜丑刻(午前1時)、小見山大助に厄介になっている従弟宮崎半六が、夜咄からの帰りに富田文左衛門を数ヶ所切って立ち退く。
源右衛門の辻には血があった。
そこから高岳院より大津町あたりには血の跡があった。
半六も傷を負ったようであった。
松本加兵衛と親類のため、そこへ立ち退いたと。
文左衛門は大助の母の弟で浪人であった。
これも大助に厄介になっていた。
文左衛門は死ななかった。

石垣だけでなく建物も工事

宝永6年2月28日。
近頃、今井仁左衛門東の薬師坊が逐電する。
行いがよくなかった。

近頃、城の工事があり、大地震で倒れた平田半左衛門の孔雀門の前の小屋、西鉄門左右の多門を造る。
飼殺番所前鈴木弥右衛門の小屋、天守などを修補する。
南屋敷今井甚左衛門小屋、巽の矢倉・太鼓櫓などを修補する。
以上3か所に小屋ができ、作事が始まる。

人力で運ぶのだから大変だ

宝永6年2月26日。
西鉄門前の土橋の石垣修理のため岩崎山から石を切り出す。
石の数は400本あまり、免は2尺(1尺は約30センチ)四方、後ろ面は1尺5寸(1寸は約3センチ)、控(奥行)3尺5寸。
これを3月10日過ぎから4月10日までの間大道まで出す車力(運搬)を町へ入サルとするので、今月晦日までに普請奉行手代まで持ってくるようにと云々。

隠すにはわけがある

宝永6年2月25日。
この度勅使で下られた菊亭内大臣ノ右大将伊季が、帰京の途中で26日に遠州金谷の宿で急死する。
50歳で水戸季姫様の弟で中将様・益姫様の伯父であった。
病気ということにして遺体は京に戻った。
熱田へ使いが来た時も病気ということであった。

神に仕えるから善人とは限らない

宝永6年2月22日。
この日、二ノ宮社家元方八太夫は乱行のため、寺社奉行で二ノ宮の神主も出て来て詳しく調べられる。

文左衛門ってけっこう義理堅いんです

宝永6年2月21日。
この日から文左衛門のところに大工長左衛門がやって来る。

八平が釜戸から戻って来た。
自圭は昨年冬26日に亡くなっており、このため遣わす予定の金2分も返ってきた。
今までずっと使者と金を遣わしてもらったのはありがたいが、もはや使いも必要ないとおなつから礼を言ってきた。