宝永6年3月29日。
この日から穏便が終わる。
ただし鉄砲は撃たないようにとの廻文がある。
近頃、人参の値段上下がる。
木綿の値段が上がり、下々が迷惑していると聞き及び、詮議したところ、帆に大分使われているので今後一切新規にもめん帆は禁止する。
ただし前々からあった木綿は使ってよいと云々。
新規には前々の通り蒲のむしろを帆に仕立てるようにと仰せ出されたという話もあった。
山城守の世話に民部さんはなったから
宝永6年3月27日。
竹腰民部の元の同心は全員明組となる。
その他の明組もほかの組の指し人(差人)となる。
左に記す。
(略)。
このためまず小普請になり、組の知行と屋敷は召し上げられる。
屋敷は屋敷奉行が受け取る。
蔵の工事はどんどん進んでます
宝永6年3月23日。
昨日から今日の未(午後1時)までで文左衛門の蔵の屋根・土居・葺きが終わり、それから檜槫7丁を削る。
7丁の代金は2分115文、ほかに駄賃が83文。