名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2024-01-01から1年間の記事一覧

今度は花見ですか

宝永5年3月28日。文左衛門は夕食後政右のところで芍薬を見物する。酒・吸物などを頂く。申(午後3時)過ぎに帰る。

無実だったのでは

宝永5年3月25日。柴山弥左衛門召仕の女やなが米を盗んだため叱りつけて暇を出すと、衣服などを部屋で調べて部屋でうつぶせになり、うなって出て来なかった。男を遣わして引き起こすと、小刀で喉を突いて血を流していた。しかし死に至るような傷ではなか…

こんなことが許されるの、そりゃ怒られるわ

宝永5年3月22日。磯姫様の御供をして江戸へ向かった新番8人は江戸へ留まるはずであったが、15日急に尾張へ戻るようにとのことで、江戸を出発しこの日尾張に到着した。いずれも引き籠り、出ることはできなかった。最初名古屋で御供を仰せ付けられた時…

自分が死ぬのは仕方がないが、なぜ嫁に託さなかった

宝永5年3月21日。近頃名古屋で土に毛の生えるところがあちこちにあった。文左衛門に庭で4月1日に生えた毛を見ると老人の髪の毛のようで細かった。長さは4、5寸(1寸は約3センチ)ほどあり、多くは短かった。馬の尾のようなものもあった。諸国で生…

ここはくじなんですよ

宝永5年3月19日。中榑のくじ取が行われる。

こういう嘘はバレると大変

宝永5年3月18日。喜子進様が川狩(漁)の前に石山に寄られたところ、小普請近藤惣右衛門と新番近藤文太夫の子で御目見の2人は酒に酔っていたので、喜子進様が来られるとと聞いて寺門前で人止めなどを行い、笠などはとらせた。喜子進様はお忍びであった…

これが普通

宝永5年3月17日。蚊は現れない。

今なら3月でも蚊はいます

宝永5年3月16日。夜、蚊が多く現れる。この日早追(急使)で若年寄加藤越中守明央(アキヒテ)が熱田を通る。

こんなに楽しんでるのにストレスを感じてるのだから不思議だ

宝永5年3月15日。文左衛門は巳(午前9時)過ぎから源太左・瀬左・曽右・平次左と石山に出かける。そこから竜泉寺へ向かう。道すがら酒や食べものを頂く。険しい坂を上り、山を通るのは趣もあって楽しい。松神(河)戸では源六のところへ行き、汁などを…

小人島ってあるのか

宝永5年3月14日。文左衛門は巳半(午前10時)から政右・市兵と野遊びをする。大公元下屋敷の東の森号山神でまず弁当を開き、酒・肴が美味く、腹がいっぱいになる。木ヵ崎でまた頂き、そこから東へ出て松下で休息し、その後農家に入り味噌汁を煮る。酒…

ホトトギスって毎年泣きませんか

宝永5年3月13日。三州吉田橋がとれてしまい、今後は船渡しとなる。名古屋でこの日から子規(ホトトギス)が鳴く。3、40年、覚えのないことと云々。

不幸中の幸い

宝永5年3月12日。卯(午前5時)過ぎ、松平善左衛門灰部屋9尺(1尺は約30センチ)ばかりが焼失する。風が少しもなかったので他には燃え移らず、幸運中の幸運であった。役人がたくさん集まった。

今日も遊びほうけてます

宝永5年3月11日。文左衛門は申(午後3時)から文右・政右・元右と瀬左へ出かけ、仮山(築山)を見物する。吸物・酒・魚などが出て、茶漬けも頂く。興が乗り、元右は熟睡し、文左衛門も酔っぱらって寝転がる。元右は明け方に帰る。文左衛門も卯(午前5…

おーい、静かにしろ

宝永5年3月10日。文左衛門は昼から兵部へ文会に出かける。日が暮れて帰る際、縫殿殿と代右の境で石山帰りの町人1人が酔っ払ってわめいているのを見かけた。連れの3人も見かけた。

酔っぱらいには困ったものだ

宝永5年3月9日。近頃石山へ参詣する者が多く、その上酔っ払いが日々絶えずと云々。この日も相応寺前で大小を差した男が酔っ払って刀を杖にしていたところ、自ら過ちで血に染まって倒れていた。

竈、どういう意味が、くじの間違いですかね

宝永5年3月8日。白鳥の材木小榑の竈がある。

幕府へ献上したってことか

宝永5年3月7日。近頃、砂金1万2千両余りを公が用立てして差し上げる。

確かの間が悪いなあ

宝永5年3月6日。荒川次郎九郎がこの日京都を出発し、9日に尾張へ戻る。京都で芝居見物をしたのを五十人目付戸田五郎兵衛に見られる。間の悪いこと。前津矢場のあたりで小川(欠字)の子と阿部縫殿家来の子2人で紙売を切る。紙売は死ななかった。この紙…

単なる酒乱の大酒飲み

宝永5年3月4日。石河主膳が安芸へ使いとしてこの日尾張を出発する。香典は銀50枚。出雲守(松平義昌)様からは高木平太夫が使いとして翌5日に尾張を出発する。香典は5枚。右近将監様からは使いとして三宅惣四郎が江戸から直ちに安芸へ向かう。銀10…

山崎沢之右衛門の行動、日付が変では、それとも日帰り

宝永5年3月3日。巳(午前9時)過ぎ、文左衛門は瀬左・政之右・段之右・久弥・文右とともに瀬古の石山に出かける。それから竜泉寺へ向かう。途中酒などを頂き、とても興が乗って面白かった。帰りに木ヶ崎でまた酒を頂く。夕暮れに帰る。乱心により牧沢団…

ケチ、見せて減るものでもないのに

宝永5年3月2日。奈屋(納屋)吉川屋半兵衛、岐阜屋吉左衛門のところに珍しいひいな(雛)があった。人々が大勢集まるが、紹介がないと簡単には見せなかった。

宝永5年3月の地震です

宝永5年3月2日。寅(午前3時)前、長く地鳴りがし、少し揺れる。宝永5年3月6日。昼半(午後0時)、大きな地鳴りがする。宝永5年3月27日。未半(午後2時)地震がある。その後また少し揺れる。戌(午後7時)頃、地鳴りがする。

宝永5年3月の天気です

宝永5年3月3日。快晴。暖かい。宝永5年3月4日。晴。宝永5年3月6日。昼頃から強い西風が吹く。砂を舞い上げ、1晩中風が吹き続ける。宝永5年3月8日。薄曇でひどく寒い。南風が吹く。夜は寝具が寒天のよう。宝永5年3月9日。明け方から雨が降り出す…

隼人正さんキレましたね

宝永5年2月30日。少し前、主馬家老三和七左衛門が紋付の熨斗目を拝領し着用する。隼人正は江戸でこれを聞き直接申し上げる。先年山城・隼人両家の家老に紋付を拝領と願い出たが叶わなかった。それなのに今では陪臣であっても紋付の拝領をゆるされるとい…

まだ金左衛門

宝永5年2月29日。少し前、評定所東へ入った佐藤金左衛門召仕が無事許される。

うーん、財産が目当てか

宝永5年2月26日。半右娘おくめもこの日濃州各務郡大洞村玉田武平に嫁ぐ。武平は男女4、5人も召し抱えていた。牛・馬1匹ずつ持ち、田地も80石ほどあり、他に山も持っていた。昨年妻を亡くし、子が3人あった。

そりゃ逃げ出したいわな

宝永5年2月23日。巳(午前9時)頃、磯姫様の通行を市兵衛で拝見する。(後略)磯姫様は寅刻(午前3時)に梅昌院様へ入られる。そこからすぐに輿で出られるはずが、日用の中でもめ事がある。遅れて辰刻(午前7時)に入られ、連枝様方と初めて対面なさ…

嘘かいな

宝永5年2月19日。昼から文左衛門は円右・平左と西天山石山寺へ出かける。興正菩薩の作で江州石山の仏と同じ木から作られたと云々。このことは誤りと信章の言葉あり。2月1日から開帳し、5月12日に閉帳と云々。

大体部屋に戻れるぐらいだから傷は深くない

宝永5年2月18日。近頃、久屋2町目吉田若狭が宿を追放となる。近頃、玉屋町の紺屋が夜起き出して仏壇の下の脇差を取り出し、喉を貫いて脇差を元の場所に戻し、寝所へ入り伏せていた。うなったので人が見つけたと云々。翌日、町同心などがやって来ると紺…

確か昨年8月に吉見兵部は京都へ学問のためいってます

宝永5年2月16日。未半(午後2時)頃、御下屋敷長屋の徳右衛門という者は留守で、長屋には母1人と祖母がいた。たばこの火が燃え移り火事になろうとした。すぐに火を消し止める。徳右衛門は預りになるが、3月7日に無事許される。昨日、小笠原三郎右宅…