名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

わけのわからない2人

正徳3年閏5月15日。
近頃、追剥の噂がある。

近頃、巾下町医者遠山寿政が乱心した。
子(午後11時)頃、野間林庵のところへやって来て、同町町代亀屋ははなはだ不届きで自分を傷つけようとしていると云々。
林庵は何とかなだめ、まずは家へ帰れ、亀屋を連れてくるからと寿政と一緒に家へ向かった。
妻には寿政はただならない状態だと言い残して帰った。
狐つきのようで、その後元に戻ったと。

山内作内の支配の者で今は隠居した橋詰郡右衛門という者が、この夜庚申待で永安寺町鳥屋三十郎のところへ供応に出かけた。
その子である運上方御組割手代伊藤勘平も出かけた。
その場には同席の客もいた。
郡右衛門はかなり長酒をしたので子がこれを諫めた。
郡右衛門は足がひょろひょろとし、子と一緒に帰ることができなかった。
ひとり深夜に帰ったが、惣河戸で無念と独り言を言って脇差で腹を突き、下へ落ちてしまった。
近頃泥をさらっていたので、膝が沈んで動くことができなかった。
泥まみれになりながら腹からは腸が出た。
翌晩に死んでしまった。