安永2年(1773年)。
1月。
1月1日、晴天。
3日、浄岸院殿の遺骸が、江戸より薩摩へお出でになる。
名古屋を通り、もてなしが行われる。
熱田宿へ泊まられるので、熱田の町々では門松を3日過ぎに飾る。
この春、安永糖という菓子を江川町丁子屋にて作り、売り出す。
表には以南鐐八丁換小判一両、裏には銀座常是とある。
これは去年より初めて通用を仰せ付けられた弐朱銀の形である。
中嶋郡長野村庄屋は次郎丸村の庄屋へ金を貸していたところ、この度長野村の地頭山澄将監より百姓へ御用金が渡ることになり、このため長野村の庄屋は次郎丸村の庄屋に金を返してくれるよう話したが、金を返さなかったので、長野村の若い者と申し合わせて150人ばかりで次郎丸村の庄屋の蔵を壊し、いろいろ諸道具を持ち去ると。
納屋裏の神明の社で火柱が立ち、宮の中では大きな音がして地が揺れたので、これは火事の予兆と人々は用心する。
舟橋村の女は去年死んだが、今年佐屋で男の子に生まれ変わると。
19日、御下屋敷において中将様が能を催される。
21日、植田山で猪狩が行われる。
京町通御園と伏見町の間の箔屋が戸締となり、法花寺町下仏屋が戸結となり、懸所(本願寺)前茶屋町仕立屋が戸結となる。
2月。
4日、中将様が出かけられ、熱田を社参される。
11日、中将様が江戸へ向かわれる。
万寿姫様(宗睦嗣子治休縁女将来に妻)が逝去される。
20日より3月9日まで穏便(騒ぎ立てない)にする。
3月。
10日より閏3月28日まで、中嶋郡杉田村妙興寺宝物を開帳する。
10日より4月1日まで、春日井郡瀬古村石山寺本尊十一面観音を開帳する。
10日より閏3月5日まで、伊勢町下善龍寺にて、信州水田(内)郡晦村講名寺の松影向の御絵ならびに宝物を弘通する。
同日より4月14日まで、笠寺本尊を開帳する。
24日より閏月14日まで、押切養生寺にて、相州鎌倉龍目山永勝寺の面阿弥陀・笠乞聖徳太子を出開帳する。
28日頃より長畝で蛙合戦(蛙の繁殖活動)があり、人々が見物に行く。
ただし、俗にはなかぶねと言い、本当の名がながうねである。
閏3月。
2日、久屋町誓願寺で念仏供養が行われる。
この頃、世の中全体で疫病が流行し、町々村々で津嶋天王を祭る。
また、疫病のまじないだと「風ならば本来空へ引戻せ人に当りて何のゑきれい(疫癘)」と書いて、出入口に張る家が多い。
4月。
4月東照宮祭では、大津町の汐汲の練り物は六歌仙に替る。
この年の御先乗は水野文左衛門と河村七郎。
押乗は魚住善次右衛門と井上藤右衛門。
名古屋中で疫病が流行るので、疫病送り(厄払いのようなもの)が山口・小林あたりから始まり、それから上町へ移り、本町あたりを始めあちこちの町々から毎夜鉦・太鼓で追い払う。
前津大池にて焼き払う。
見物が多く集まる。
真浄(涼)院(近衛内前実母)様が逝去されたので、28日より晦日(30日)まで穏便(騒ぎたてない)にする。
5月。
13日、石神堂あたりの明き屋敷で喧嘩がある。
12日、入江町天龍山薬師を夜開帳する。
13日、納屋あたりで日待(皆で寄り合い、夜を明かす行事)を行い、賑わう。
14日、納屋あたりで疫神送りを行い、広井八幡宮にて神楽が昼8ツ時(午後2時)より6ツ時(午後6時)まで行われる。
納屋あたりの者は参詣する。
15日、湯立(熱湯を笹の葉で振りまく神事)が行われる。
馬の塔が16日、17日に行われる。
ただし、笠寺は17日、荒子・龍泉寺・甚目寺は17日・18日に行われる。
18日、龍仙(泉)寺の馬の塔で、篠木三十三村の神屋村の馬稽子(警固)が、山城守(竹腰)の鷹匠と争い、大小を取られて立ち去る。
19日頃より少し水不足で、雨乞いが行われる。
21日より広小路庚申で夜開帳が始まる。
6月。
1日より広小路柳の薬師で夜開帳が始まる。
11日、昼7ツ(午後4時)ことより急に強い風が吹き始め、雷雨となる。
本町より東では雨が至って激しい。
17日、本町3丁目の天王社檀が屋根より落ちる。
灯明の火灯(灯火を灯す器具)ばかりが落ちると。
18日、雷雨が激しく、御園町上へ落ちる。
その他あちこちへ落ちると。
夕方より急に風が吹き出し、初めは北風だったのが東へ変わり、次第に雨が強く降り、あちこちの屋敷ならびに村の大木を吹き倒し、家に被害もある。
この風で御園町東条氏屋敷の樅の木の上の枝が折れる。
また、成瀬豊前殿屋敷の大木が倒れ、門が壊れる。
枇杷島川は洪水となり8合あまり、五条川の堤は東に切れ、あたりは洪水と。
21日、愛知郡万場村と長須賀とが井水のことで激しく争う。
百姓が集まり、庄屋を叩き殺すと。
23日、中将様逝去の触状が廻る。
穏便(騒ぎ立てない)の日数はわからず。
町々の職人、売物は許され、町々の武士、町共に増番が始まる。
熱田一の鳥居の西の柱の楔が抜ける。
7月。
9日、朝7ツ半(午前5時)頃、本重町林鉄蔵屋敷で火事がある。
源孝様(中将様御法号也)の遺体が木曽路を上られ、21日に棺が到着し、枇杷島へ廻り、巾下より京町通を通り、建中寺へ入られる。
諸士以上の輩は、道筋へ出かけて拝する。
23日・24日・25日、源孝様の法事が行われる。
8月
1日より広小路・前津の2ヶ所で米の施行が行われる。
海西郡法立村の庄屋残らずに、近郷の18ケ村の百姓が集まり、火を付け、家を壊すと。
後に集まった者は残らず追放と。
11日、井戸田の御葭へ操りを持って行き、賑わう。
16日、大乗院で祭礼が行われる。
27日、熱田神戸(ごうど)町酒屋を若者が集まって壊す。
一色村の百姓が酒に酔い、岩塚村の餌差を殺すと。
9月。
10月。
18日、陽姫様(宗勝女、浅野重晟室)が逝去され、7日の間穏便(騒ぎ立てない)にする。
11月。
英巌院御逝去につき、3日から16日まで穏便(騒ぎ立てない)にする。
ただし、作事は9日までで許される。
12日夜、玄海村が残らず焼失する。
22日夜、英巌院様を相応寺へ葬送する。
25日・26日・27日夜の間、5つ(午後8時)前頃より、西の方角の星より黒い気(雲や霞のようなもの)が立ち昇り、それより東の山まで続くと。
幅は1尺(1尺は約30センチ)5寸(1寸は約3センチ)ばかりに見える。
図の如し(図略)。
何であろうか。
しばらくの間あってから消える。
見た人は数多くいる。
(p32~p35)