名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2025-03-01から1ヶ月間の記事一覧

ちゃんと片付けておかないと

正徳4年6月29日。この日明け方寅(午前3時)過ぎ、桜の町通り建部春之進向かいの町屋2軒が焼失する。さし(指)物屋であった。椽の下にこつぱ(木端)があり、これに火が燃え移る。御作事方とび(鳶)の者2人が過ちを犯した。建中寺へ御暇、時服3つ…

礼儀です

正徳4年6月28日。御白書院で紀州久野和泉守参府の御礼の次に建中寺住職の御礼がある。一束一巻(献上品)。

噂って怖いんだよね

正徳4年6月27日。もろ(諸)町ぬしや(塗師屋)文右衛門召仕の角前髪16の伊助が本町7丁目へ手紙を持って使いに行った帰り、亥(午後9時)前さめや(?)又兵衛の見せ(店)先で左の首を喉までひと切されて死んでしまう。この騒ぎが火事と広まって途…

遷牌も大変だなあ

正徳4年6月26日。辰(午前7時)過ぎ、遷牌が行われる。本堂で銅鈸(どうばち、シンバルのようなもの)などが行われ、導師などが現れて洒水(清めの水)、散花、薫香が行われる。相応寺が導師を勤める。寺ならびに上人は20人ばかり。位牌には白ねりを…

火の用心と廻文があったのに放火は仕方ないか

正徳4年6月25日。亥刻(午後9時)、野崎村甚右衛門の百姓十右衛門のところで放火のため隠居屋他が残らず焼ける。口書(供述書)には釜の鼠がかじった穴に火があるのを知らず、掃きだめた塵に火が燃え移ったと云々。3日押し込めて決着する。

法事などでもよくある廻文

正徳4年6月24日。明後日遷牌が行われるので火の元などに注意するようにとの廻文がある。

順番は大切なんですよ

正徳4年6月23日。21日惣打の一覧。(後略)差図心得(今のマニュアル)につき御目見遠慮と稲生次郎左衛門なる。御賄頭残らず御目見遠慮となる。これは嘉定(6月16日に行われる疫病を防ぐための風習)祝儀の際、御賄頭は御馬預りならびに馬医の後に…

加判は連帯保証人

正徳4年6月21日。文左衛門は戸田源五右・同鍋蔵などに誘われ、弥と未半(午後2時)矢田へ出かける。この日は惣打であった。酒・食事でもてなし、酉2刻(午後5時半前)に帰る。山名彦四郎は三十五打で薬に火が燃え移って火傷を負い、駕籠で戻った。手…

まだ続いていたんですね

正徳4年6月18日。辰半(午前8時)、真巌院様廟の供養が行われる。導師は相応寺、名代は中条主水が勤める。

若宮祭の季節です

正徳4年6月17日。若宮祭が行われ、巳(午前9時)頃山車を引き廻す。昨日が雨だったので順延となっていた。

なぜ行ったのかも残してほしかった

正徳4年6月14日。津嶋へ足軽頭海保弥之右衛門・高田林左衛門が出かける。上飯田村臨済崇福寺が縊死する。

1月16日に女房を殺し、証拠隠滅をはかった甚右衛門

正徳4年6月13日。小笠原孫右衛門の足軽浅井甚右衛門が獄門となる。胴は様(ため)し物になる。

両村は文左衛門の知行である野崎村と長良村

正徳4年6月10日。両村の麦値段7斗1升と云々。鈴木新兵衛が江戸より戻る。

矢田は尾張藩の鉄砲場

正徳4年6月9日。昨日未(午後1時)頃、文左衛門は弥四を誘って矢田へ出かけた。小吸筒(水筒)を持って出かけ、甚左・甚太、甚左いとこ新蔵・武右などがその場に居合わせた。荒川一郎左衛門は9寸(1寸は約3センチ)火矢20丁を打った。その他小川伴…

渡辺家は尾張藩家老

正徳4年6月8日。この日頃、飛騨守(渡辺定綱)殿は在所から戻られる。

老々介護ならぬ老々殺人

正徳4年6月7日。先月、信州福嶋で83の婆が63の婆に去年金1分を借りていたが、催促されたので自分のところに呼び寄せ、麦香煎を水にまぜたものをすくわせ、むせた時に飛びかかって63の婆の背中を手斧で打ち付けて殺した。懐中にあった金3両も盗み…

ありがたや、ありがたや

正徳4年6月3日。極楽寺の鐘鋳の供養が行われる。明6つ半(午前7時)、数十人の僧が行導の読経を行う。同じ時刻に撞き初めが行われる。参詣は明7つ(午前8時)前から行われ、集まった人は6000余りと云々。辰(午前7時)頃、主以智が名残の説法を…

心中見物とは物好きだなあ

正徳4年6月1日。文左衛門は心中を見物に出かけるが、見せてもらえなかった。ただし男の顔を帷子ごしに見ることができた。江戸へ向かう御茶壷が本町を通る。御奉行は御徒頭金田惣八郎が勤め、上下44人。御茶道頭は村田恵斉が勤め、上下23人。路次衆は…

正徳4年6月の天気です

正徳4年6月1日。曇。正徳4年6月2日。暑い。文左衛門は1晩中暑くて眠ることができなかった。正徳4年6月7日。夜、寅(午前3時)前から乾(北西)北遠くで雷が度々轟く。夜明け頃まで聞こえる。雨は降らなかった。正徳4年6月8日。朝の間雲が現れ…

何と都合のいい男だ

正徳4年5月30日。夜、長者町と長嶋町の間、箕形善左衛門の構え片場芝原で両替町呉服屋越前谷六兵衛の21になる荷担いが19になる岐阜屋の女と心中して死んでしまう。女は嶋の帷子で紺の前掛けをしていた。喉のところを突いて殺していた。男も嶋の帷子…

今のビットコイン

正徳4年5月28日。近頃、小判90匁余りの相場であったが、銀座の変によりにわかに上がり、66、7匁となる。しかし売買は行われず。銭も近頃は950、960のところ、にわかに900文になる。切賃(手数料)は1両につき1分5厘であった。京大坂で…

極刑を免れたのも神の恩なの

正徳4年5月27日。伏見屋は八兵衛が追放となり、子は八兵衛妻に下される。八兵衛父権兵衛は歩いて町々を引き廻すことをせずに土器野へ連れて行き、磔となる。札にはにせ金を作ると云々。稲荷の御正躰の御金物を八兵衛が奉じていたので神の恩徳をなくなる…

お迎えのお仕事

正徳4年5月26日。宗心院が尾張を出発する。これは建中寺の後任住職を迎えに増上寺へ行く。

そんな水は飲みたくない

正徳4年5月24日。この日24日、池田定右衛門がこの春召し連れて下った僕は時節不相応の衣服を着て見苦しかったので暇を出した。この者は19で、江戸も初めてのものでとてもこまってしまい、江戸には宿もなく、頼りにするところ、親しい者もいなかった…

中間あっぱれ

正徳4年5月23日。文左衛門の夕飯後、盗みが山田彦内長屋の錠をねじ切る。中間1人が追いかけ、藤塚町から高岳院横町へ、そこから柴山甚五右衛門西の横町で捕まえる。そこへ若党も駆け付けて2人で捕まえ、彦内のところへ戻る。一両日して町奉行へ渡し、…

病気になると思考が後ろ向きになる

正徳4年5月22日。鍛治屋町に住む壱岐守同心杉山杢之右衛門200石が自殺する。貧しさのためではなく、病気のためで後のことを書いた書置が1通あった。病気を苦にしてと云々。近頃大病、腫気(むくみ)を煩っており、自殺しなくても近いうちに死んだと…

1日で終了ですか

正徳4年5月20日。辰半(午前8時)、法事が終わる。名代は津田兵部が勤める。

死去から1年

正徳4年5月19日。得安院様(松平義昌)の法事が性高院で始まる。御馳走奉行は津田民部・成瀬内膳が勤める。足軽頭は石川小右衛門・高田林左衛門が勤める。出僧は36人。江戸では八十八夜から20日まで伝通院で出雲守様(松平義方)から二百部が行われ…

いつの時代も要領の良い人はいます

正徳4年5月18日。馬頭が少ないが、ただし去年よりは多い。金を差し出せと言うので、要領のいい町人などは困窮に見せかけて芝居へも出かけず。馬の頭も町からはたくさん出ずと云々。

何やら話が見えない

正徳4年5月13日。去年18日に遠州掛川領の百姓が、尾公の領地近江上野山の百姓と松平和泉守百姓を殴りつけたと云々。このため公の百姓と和泉守百姓40人ばかりが申し合わせ、掛川領の殴りつけた百姓のところへ押しかけ、相手を探したけれど見つからな…