名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

江戸城西の丸が火事となり、その修復用の材木です

天保9年。
西丸御普請御用のため、尾張殿領分濃州・信州の山々から、桧その他御用材として伐り出した材木、ほとんどの板子・榑木を一緒に川を利用して下流に流すので、この場所から付知川・川上川・白川・荻曽川・玉滝川・飛騨川通・木曽川・錦織までの両岸の村々、それより佐屋川・伊尾川・桑名川・加路戸川・鍋太川・筏川・その他枝川両岸の村々・桑名・四日市海沿いの村々・熱田湊まで、同所より志州鳥羽、それより海を使って江戸築地、尾張殿蔵屋敷まで運搬するので、川止めや洪水などで流れ着いた木がある場合や、または海上で難破した船を見受けた場合は、川沿い・海沿いの村々は急いで出向き、紛失がないよう大切に扱って集め置き、最寄りの御代官へ報告して指図を請けるように、もし隠し置いた者は罰する。
戌7月7日。
御勘定奉行、吟味役連名。
尾張殿領分濃州・信州の山々から付知川・川上川・白川・荻曽川・玉滝川・飛騨川・木曽川通・錦織迄、それより佐屋川・伊尾川・桑名川・加路戸川・鍋太川・筏川・その他枝川・桑名・四日市海沿い両岸の村々・熱田湊まで、同所から志州鳥羽、それより海を使っての江戸築地まで御料・私領・寺社領、この川沿い、海沿いの村々名主・組頭。
御材木ならびに丸太の懸り役人極印 佐 青 山。
尾張殿極印 切判銘 木そ(横書き)、木そ、〇に尾、□に尾。
別筆付紙、吟味役改方 佐藤清五郎。吟味役改方並 青山鉄之助。
支配勘定 山岡清兵衛。
追ってこの触書を早々に廻して見られた上は、村々役人どもは請書を添えて、美濃郡代柴田善之丞、江戸役所へ廻すように。
以上。

当16日夜から同18日朝まで雨天が続き、木曽川筋・小谷は洪水となり、特に付知川筋は大変な洪水のようで、この川筋小谷の堰は13ヶ所が押し崩され、御材木は混乱に及びんだので、諸役人ならびに日雇いが御締(取り締まり)のため場所場所へ出向いたところ、大切な大きな材木が3つに折れてしまったので戻ってしっかり吟味すると、他にも破損した木もあるようであった。
数もわからず、夜中までそれぞれ仕事に出かけたので山小屋は無人になると。
そうこうするうち、17日亥上刻(午後9時半)頃、山小屋から火が出て残らず一瞬に焼失してしまい、4俵俵の向米(調達米)75俵ほど、さらに諸帳面も焼失するが、御用金500両は持ち出して燃えずと、公儀御役人衆ならびに諸役人武具などに至るまで、その他日雇いの者どもが日頃の着衣が残らず焼失すると。
火が出た様子を聞いたところ、西丸の焼失と同様に山小屋縁の下に火が廻り、一瞬に燃え上がったようである。
この時、何かを持ち出すことは難しかったようである。
この火事のため、さしあたって刀を始め着衣の手配のため、懸り役人3人が直ちに中津川宿へ向かい、諸道具・着衣などをいろいろ買い上げると、このあらましを聞いたものである。
ただし、山小屋大井はここらあたりで言うと落合宿ほどもあり、その人数は1000人ほどもあると。
この大きな材木が3本に折れたので、もし伐るような木がない場合は伐採賃については配慮していただきたい。
何分大変なことで手間もかかると思われ、年越しになるだろうと困ったことである。
私も大井宿へ仕事で出向いていたので、雨天のためあちこちの地領へ出向き忙しくしている。
まずは概略を申し上げる。
8月20日。

白鳥から御山に入る公儀の役人衆の名前。
高500石 御勘定吟味役 川路三左衛門〇 供20人。
吟味役改方 佐藤清五郎〇 供6人。
吟味役改方並 青山鉄之助 供5人。
支配勘定 山岡清兵衛△。
吟味役下役 内田鯛助〇。
同断代り 村上登助△。
御普請役 井上富左右〇。
同見習 近藤弥蔵。
(付紙)川路三左衛門は7月1日晩帰国、他は居残り。
〇印は7月帰国。
△印の内1人はこれと同様だがはっきりわからず。
青山殿は具足を焼失すると。

(4―p85~p87)