名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2025-08-01から1ヶ月間の記事一覧

今の監査みたいなものですか

享保2年3月29日。卯年の勘定改が終わる。手形米は両で5斗。

とは言っても行かないわけにはいかない

享保2年3月28日。月番伊豆殿へ祝詞のために家中の者が出向く。

どうして月番のご老中に祝いをしなきゃあいけないの

享保2年3月27日。明日、初めて帰国の暇を進められた祝詞に月番のご老中へ出向くようにとの廻文がある。文左衛門などは頭へ出向くようにと。

開帳に出かけての狼藉

享保2年3月26日。夕暮れ頃、壱岐守(竹腰)家中の者が瀬古石山で茶屋の亭主の胸を打ち、血が出る。山田の者が出てきてゆすると。

結構日付の偽装って出てくるんですよね

享保2年3月25日。暇を進められたとの廻文が出る。菴原平左が江戸へ出発するが、明日の晩出発ということにする。若尾奥之右衛門が名古屋に到着する。

高いのか安いのか

享保2年3月24日。文左衛門は橘町へ行き、御用箪笥(小型の箪笥)を手間賃100文の3分で買い求める。

正式に幕府から許可

享保2年3月22日。銭は1両で2貫810文。尾公に暇を進められる。

多忙な人は休暇も取れない

享保2年3月21日。火事の際、下馬は必要ないと廻文が来る。この朝、菴原平左が伊勢へ出発する。去年、江戸で暇を貰ったが、この春には手が空かず参詣できなかった。今のうちがいいだろうとの参詣であった。近頃、岡崎儀右が病気のため名古屋へ戻る。

何か補償があるか

享保2年3月19日。御目付から14日火事でけがをした者があれば、足軽・若党・中間までその名を書いて差し出せと御先手へ知らせがある。

真実は闇の中

享保2年3月18日。船越金右衛門若党根岸平助を請人甚之右衛門のところへ連れてくる。大小をだまし取り、手鎖をして蔵に入れ置く。金右衛門から伯父の鮎川甚之右衛門のところへの手紙には、平助は行方をくらました不届者なので、請人に探し出させろと云々…

ちょっといやらしくないですか

享保2年3月17日。この日また瀬古が開帳する。来月の1日まで。

勝手に塀を乗り越えて入ってこられてはいい迷惑

享保2年3月16日。今日明日の両日で御役人足316人が江戸へ向かう。17日頃には足軽も向かう。歩行衆も10人向かう。歩行衆の名の書付は人伝えに入れ置く。近頃、加藤林右衛門若党が奥の間から追われ、隣の土岐甚右衛門のところへ塀を越えて入ってく…

火事場泥棒

享保2年3月14日。この日限りで石山が閉帳する。16日からまた開帳する。寅刻(午前3時)から駿河町で火事がある。夜明け前に鎮まる。丑半(午前2時)過ぎから燃え出すと。風は吹いておらず。禅寺町と法花寺町の間両側が残らず焼ける。法花寺町の角の…

左右田与平の子は馬の調教に失敗してました

享保2年3月12日。少し前から菴原平左は、昨年冬から仰せつけられたと左右田与平・福沢・猪飼などの弟子の芸を見ると云々。15日の朝、若尾善太は弟子衆を呼び、段々と差し出すようにと云々。

税の報告書みたいなものでしょうか

享保2年3月11日。この日運上方は勘定(決算や収支?)を引き渡す。

菊が100両

享保2年3月9日。九郎左衛門手代の備後屋忠兵衛がやって来て話したのは、京では仏法界という菊が1本100両だと。金の丁子(ここは釘)が50両と云々。ちなみに江戸で大火があると灯油は安値と。近頃、大須で灌頂(仏の知恵を授かる儀式)を行うと人が…

ある意味正直者

享保2年3月7日。伊豆・相模・武蔵などの巡見使である御使番荒川内記が職務を解かれる。巡見のやり方が良くなかったので。どのあたりを見廻ったかと御老中から尋ねられたが、そこは見廻っていない、そこも見廻っていないと言い、とても見苦しかったと。御…

かなり離れているから騒がなくてもいいのでは

享保2年3月6日。申(午後3時)過ぎ、西で大事件だと人々が騒いで走り回る。清須かかもり(神守、津嶋)かと云々。実は高須で町家117軒、寺2つ、軽輩の扶持人がいる長屋3件が焼失する。未半(午後2時)から申(午後3時)過ぎまで燃えると云々。

これも準備のためでしょう

享保2年3月5日。靭負殿が名古屋を出発し、江戸へ向かう。

江戸での留守番

享保2年3月4日。1日に深沢次郎左衛門宅で御馬廻20人に御留守詰の内意が申し渡される。早川十右衛門は後日因幡伴介に代わる。(後略)

礼よりも仕事です

享保2年3月3日。畳の急な用務で、文左衛門はこの朝頭に礼で出向けず。

秀吉に家康が勝利した戦いのことですね

享保2年3月2日。1日、長久手での公儀巡見衆への供応を水野与左衛門に仰せつけられる。幸運な場所だと酒をしじみ汁の椀で飲まれる。この日は雨のため新居に逗留する。3日に小牧で五郎作と合流する予定である。長久手の使者は松浦酒之亟、御書院番渡辺左…

やはり幕府からの巡見となると気をつかう

享保2年3月1日。この日から14日まで瀬古の石山が開帳する。公儀巡見衆が昼前本町の上使宿へ寄られる。茶だけを出す。伊豆殿・縫殿殿が出向かれ、昨夜は熱田に泊まる。山岡五郎作は病気のため三州西保に逗留する。名古屋から立家養堅・渡辺玄角が出向く。

享保2年3月の天気です

享保2年3月1日。快晴。申(午後1時)から曇る。夕暮れから雨が降る。1晩中雨が降る。享保2年3月2日。雨が昼前から止む。段々晴れる。享保2年3月3日。快晴。夜、曇る。時々雨が降る。享保2年3月4日。薄曇。享保2年3月5日。晴。この夜から文…

侍と町人が喧嘩か

享保2年2月30日。近頃、柳生兵庫妾のことで伝馬町町代田嶋屋与次兵衛と大喧嘩する。とにかく家名を消すと、三嶋屋と暖簾替え。文左衛門は江戸座人参(江戸座が販売を行った唐人参)半両分を小塩円右に頼む。調代金は1分銭50文。

恨みをかっていたか

享保2年2月29日。戌半(午後8時)、南の方で火事がある。文左衛門は源右まで出かけるが、遠い上にその内鎮まったので帰る。飯嶋意閑側の小家7軒が焼失する。すぶた権左衛門の側であった。意閑借家の隣高須権左衛門から出火する。権左衛門も焼ける。東…

確かにわからない、殺されたのは勘六だけど帰参を願った2人って

享保2年2月28日。この日、諸役所へ御上国が決まるとの知らせがある。ただし、内密にするようにと云々。夕暮れ過ぎ、中川庄左衛門のところへ高橋斧右衛門の若党で24、5の安藤勘六を呼び寄せ、座敷へ入れて監禁し、牧野孫兵衛惣領御目見孫八と2人で切…

乱心なのかなあ、都合が悪いから乱心したことにしたような

享保2年2月27日。先ごろから知多郡で餓死するものが多いからと大野で綿屋六兵衛など3人が話し合い、施行を行う。1日1人に6文ずつ、新麦のできるまでと云々。近藤権内惣領御目見杢内が乱心する。この日仲間から報告がある。あちこちで盗みをはたらく…

文左衛門は絶対行きたかったはず

享保2年2月25日。近頃、公が名古屋へ戻られるとの噂がもっぱらある。その費用などを一度に工面するため手形を売り払わなければならないようで、日々値が下がる。靭負殿も急に江戸を仰せつけらあれる。来月5日に名古屋を発つと云々。今月13日夜、水野…

かなり遠かったのか

享保2年2月24日。この日、御蔵の付手形は米4斗7升。戌半(午後8時)から乾(北西)の方に火の光が見える。亥(午後9時)まで見えるが、どこの火事かはわからず。