名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2025-07-01から1ヶ月間の記事一覧

被害甚大

享保1年8月29日。服部一郎左衛門は米を6斗で売り払う。銭1分では800文から40文を抜き、両に3貫、切賃は40文。※1分は1/4両、(800-40)*4=3040文子半(午前0時)、久屋西側林一郎左衛門で火事がある。長屋のほか残らず焼失す…

材木の売り払い

享保1年8月28日。御材木奉行衆から書付がくる。長さ2間(1間は約30センチ)8寸(1寸は約3センチ)、源大2本34匁3分、両に3本5分。同7寸、同26匁1分、4本6分。同6寸、4本38匁7分、6本2分。同5寸、3本21匁7分。9月5日早…

まあまあで済ませられなかったのか

享保1年8月27日。戌(午後7時)前、巾下紙漉市右衛門の前で壱岐守(竹腰)屋敷奉行児崎(嶋では)瀬右衛門三男仙之右衛門と梅昌院(徳川綱誠側室)御侍浅井武右衛門四男甚九郎18が喧嘩する。この2人のほかにも連れがいた。笠寺を詣で、人ごみの中で…

2組の心中事件

享保1年8月23日。呉服町袋町と本重町の間の西側、近松幸安向かいの正教寺の同宿(修行僧)と正教寺のところにいた女が心中して死んでしまう。この女は18、9でとても美しく、踊上手でとても色っぽかった。父は知行取と云々。美濃あたりからやってきて…

病気なら仕方ない

享保1年8月20日。御供番安田忠右衛門が江戸へ出発するはずのところ、病気のため辞退する。

また浄瑠璃

享保1年8月19日。文左衛門は弥次右と役所から直ちに市もつれて稲荷へ行き、浄瑠璃を聞く。門前北に新たにきれいに出来上がった茶屋で、田楽で酒を気持ちよく飲んで楽しみ、未半(午後2時)過ぎに帰る。昼頃、極楽寺の本寺京東山禅林寺炬範上人が西光院…

恥の上塗り

享保1年8月18日。若宮天王祭が行われる。5歳の子ども大神楽は曲も太鼓は素晴らしい。梅昌院(徳川綱誠側室)の見物はなし。車は戌(午後7時)頃、本町を戻る。家々では提灯を出し、車にも4つずつ揚提灯を灯し、とても見事だった。見物もとても多かっ…

骨折り損

享保1年8月16日。この夜か次の夜のことか、伊勢町壱岐守((竹腰)組金持の山下弥三右衛門のところへ、1軒おいた北隣岡田七左衛門子の縫之進と他に1人が申し合わせて、1人が弥三右の勝手へ行って話をする間に、奥の押込(押し入れ)にある箪笥の下の…

今なら盆踊り

享保1年8月15日。広井八幡祭が行われる。夜、若宮祭の試楽が片場で行われ、天王へ子どもが提灯を持っていくのは6月と同様。

中山道と東海道に分けるのは万一に備えてか

享保1年8月12日。将軍宣下の用務で五十人衆30人が名古屋を出発し、木曽路を向かう。御書院番13人は明日13日に名古屋を出発し、東海道を向かう。岡部弥平太・本多善右衛門・酒井喜右衛門3人は病気のため出発できず。

やっと終了

享保1年8月11日。午(午前11時)過ぎ、法事が終わる。名代は襲衣冠で伊豆守(遠山?)が勤める。

連日の名代

享保1年8月10日。名代を周防守(織田貞幹)が衣冠で勤める。江戸に準じ、五位の衣冠は止める。壱岐守(竹腰)は今尾へ行かれる。

本当に法事は大変

享保1年8月9日。有章院様(徳川家継)百ケ日法事の名代は大紋で周防守(織田貞幹)が勤める。

これはへこむなあ

享保1年8月7日。有章院様(徳川家継)の法事が9日から10日まで行われるので物静かにするようにとの廻文がある。昨日、宮町一郎右衛門が死ぬ。子もおらず、甥に跡を継ぐよう言うが、一郎右衛門の汚く、下品な性根を知って跡を継ぐことを嫌がった。無理…

この猿は大物だ

享保1年8月6日。夕暮れ頃、井上武右衛門のところに厄介になっていた安藤立庵の近頃離別した妻が自殺する。浅田八郎右衛門の娘で、改易の際に武右衛門の伯母である母と一緒に武右衛門のところに住んでいた。石坂の比丘の山では木の枝も落とさず、落ち葉を…

それでも殺しちゃあダメ

享保1年8月5日。御蔵の引起は両で5斗7升。※米の上納を1両につき5斗7升で金に替えて、金で納めたってことですか二条内大臣殿家来側役が道中小田原のあたりで自殺すると云々。先月晦日に熱田を通るはずであったが延びていた。このためか。この八朔(8…

休みは大切

享保1年8月3日。法事が巳半(午前10時)に終わる。御書院番が休みであったので、新御番4人が舎人桜江に出向く。香典などの用務を勤め、若宮で酒などを頂く。

作業が終わったら検査確認

享保1年8月2日。求馬様(徳川宗春)任官の廻文がある。崇岩院(崇厳院か、松平義行)の法事が辰刻(午前7時)に始まり、昼過ぎに終わる。従者小屋の雨漏りを直すからと登ると垂木が落ち、鈴木安大夫歩行の者の頭に当たり、血が流れて供ができなかった。…

享保1年8月の天気です

享保1年8月1日。明け方から大雨となる。卯(午前5時)過ぎ、文左衛門は頭へ出向く。大雨が降り続く。帰りの片端七間町では水が膝にとどくほどであった。1日中雨が降り、時に止み、夜にはまた雨が降る。知多郡東浦布土では婆1人が川を渡っていて海へ押…

ここまで細かいことを書き残す必要があるのでしょうか

享保1年7月30日。天野四郎兵が名古屋に到着する。

実際はどうだったのか

享保1年7月24日。この夜、御深井番所南の鉄砲家の家が倒れるような音が聞こえる。頭へ番人から報告する。

このころ尾張家を継ぐとは思ってなかったでしょうね

享保1年7月22日。求馬様(徳川宗春)が諸大夫に任ぜられ、主計頭になる。従五位下は但馬様(松平友著)の倣う。

須原宿は木曽川の氾濫で場所が変わります

享保1年7月20日。近頃、切米の書替は両に5斗7、8升。1分の買留を入れると6斗。稗は100文で1斗。近頃、須原の宿を移設する見分に久米瀬兵衛が出向く。戸田清左衛門は上松におり、出かけて立ち会う。

穏便がお終い

享保1年7月19日。鉄砲を撃ってよいとの廻文がある。鳥も打ってよいとも廻る。

幕府のスパイとも

享保1年7月18日。イ21日。御使番8人、両御番衆16人を諸国順見に遣わされるのは、常憲公(徳川綱吉)御代替の翌年2月に仰せつけられたにもかかわらず、素早いことと。(中略)御使ー松浦酒之丞、御小ー山岡五郎作、御書ー渡辺左内。駿河・遠江・三…

働き方改革

享保1年7月15日。亥(午後9時)頃、火事だと騒ぎがある。噓であろうか。丑刻(午後11時)、石臼屋の裏の日置村の家が焼失する。寅刻(午前3時)に鎮まる。御代官支配の片町へ延焼し、1町(1町は約100メートル)あまり。近頃の言いつけ。地震や…

曳初の車だとリハーサルなんですが

享保1年7月14日。文左衛門は朝食後寺を詣でる。大須へ行くと十三郎の狂言が行われて演目は蝉丸、挽初めの車(山車)と云々。他に羊の見世物が行われ、人と角力をとると。

円右衛門の妻が密通したのも孫九郎か

享保1年7月13日。以前、今年の踊りは問題ないと云々。激しい踊りも許されたと大声で騒ぎ、町々では踊りの衣装を拵え大騒ぎと。しかし、この日町奉行か急いで書付で裏家などに踊所を拵え、その上踊衣服を拵えて一切踊らないように触れ回る。前々は書付で…

丁にはちょうどという意味もある

享保1年7月12日。銭は1分で700丁66文(ちょうど766文)。

実は仲直りなどしていなかった

享保1年7月10日。真鍋茂大夫などがなめかわ(滑川)の橋の見分から戻る。奥田町の大工と米屋が盆の踊りを狂言にする、いや踊りにすると争ったのを仲をとりもったが、この朝、大工は米屋を大須へ誘い、法花寺町大下の田んぼへ出るところで大工は米屋を切…