名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2025-04-01から1ヶ月間の記事一覧

忖度と疑われる

正徳5年2月29日。今朝、数右衛門が木曽路を下る。長野万徳寺住職に玄栄阿闍梨がなる。22日に仰せ付けられ、この日住職となる。御実母(徳川継友生母)の弟であった。

この人も江戸からか

正徳5年2月26日。飛騨守(渡辺定綱)屋敷へ使者として小山十郎兵衛がやって来て香典銀30枚下される。

これぞ僧の鏡

正徳5年2月25日。飛騨守(渡辺定綱)屋敷へ御悔のため安田元右衛門が江戸からやって来る。巾下浄土宗宝周寺へ増上寺一文字の能化(長老)随哲和尚がやって来て談義を行う。これは先住の弟子であったためである。先住の隠居は正月の初めから食事を摂らず…

上松の事件の弾右衛門

正徳5年2月20日。藤田弾右衛門がこれから逼塞となる。役はそのまま。

延焼はなし

正徳5年2月19日。未(午後1時)前、本町通袋町北東角、合羽屋の屋根が燃え向ける。すぐに鎮まる。

やはり武士より商人の方が金持ち

正徳5年2月17日。この春の買留は3分通り5斗3升。近頃、鉄屋の娘を油屋助九郎へ遣わし、五々三(5種、5種、3種の膳)の料理で大盤振舞。助九郎のところでは餅米24石を搗くと。

竹腰は尾張藩附家老

正徳5年2月16日。子刻(午後11時)、竹腰壱岐守実母清雲院が死ぬ。18日、濃州上野へ向かう。

またまた餅米の売り払い

正徳5年2月13日。巳(午前9時)前、母親が水野へ向かう。乗物舁には300文、食事はなし。部屋を修復する間逗留する予定。文左衛門は餅米1石を3斗9升で売払う。2両2分200文ほど。飛騨守の屍が寺部へ向かう。

これは将軍の体調がすぐれないため

正徳5年2月11日。8日、熱田で万度祈祷が行われる。一宮・津嶋でも祈祷が行われる。

何よりも無事でよかった

正徳5年2月12日。6日夜は雨が激しかったが、遠山所左足軽の男の子11才を見かけなくなる。翌日もいなかったので所左へ知らせる。父は川並に番に行っていたが、所左から呼び返す。9日の朝、建中寺の北にきょろりと立っていたのを連れ帰る。呆けたよう…

渡辺家は代々尾張藩家老

正徳5年2月10日。飛騨守(渡辺定綱)は昨日午(午前11時)過ぎから薬が通らないと云々。今まで立家養見が治療していた。この日は酒湯と云々。申(午後3時)過ぎ、栄波、栄波と2度呼びかけて息絶えた。48才であった。栄波は色事が巧み、それでたい…

これはバレるでしょう

正徳5年2月9日。1月27日、入鹿の圦番石川喜八について御国奉行のところで詮議が行われ、乱心の様子だったので5石二人扶持を召し放たれ、所へ預ける。初めは押しの者であったがこの役となる。60に近いと云々。相役森川六兵衛から常々米銭などを借り…

ちゃんとお金はとる

正徳5年2月7日。大曽根円満寺で四十八夜が行われる。11日からは諦文の談義、阿弥陀経千部が行われ、結縁となる。1人前15文ずつ。

これだけでは誰の伯父だったのかはっきりしない

正徳5年2月6日。市浦六右衛門百姓次郎左衛門・明地理兵衛と百々村惣庄屋藤八、この3人は牢に入っていたところ、この日3人は闕所(財産没収)となる。昨年冬叩き殺された百々村の平八のことで。次郎左衛門も理兵衛も伯父であった。平八は蛯江弥左衛門の…

またまた操り見物

正徳5年2月4日。文左衛門は巳(午前9時)前に弥と共に一へ出かける。酒を頂く。そして操りを見に行く。演目は相模入道・千匹犬。彦太夫は以前源太夫と名乗っていた者である。八景宮嶋を出語り(太夫と三味線演奏者が顔を見せて語ること)。縁取は1枚2…

御五所って地名だと思うのですがどこでしょうか

正徳5年2月2日。近頃、御五所の支郷で1人、宮後で2人を犬山で捕らえ、牢に入れる。真巌院様(徳川五郎太)葬送などを勤めたことに対し、銀2枚を下される。

正徳5年2月の地震です

正徳5年2月26日。夜中、地鳴りがして少し揺れることが2度ある。

正徳5年2月の天気です

正徳5年2月1日。晴。寒く、夜更けに曇る。正徳5年2月2日。朝から雨が降る。1日中雨が降る。未(午後1時)からジメジメする。しだいに大雨となる。夕暮れまでジメジメする。夜、雨が止む。1日中風が家を揺らす。正徳5年2月3日。晴。風が吹く。正…

10歳と7歳でこの行い

正徳5年1月19日。山村甚左の男の子が疱瘡で死ぬ。10歳。あらかじめ死期をわかっていたと。大概伊左衛門の子7歳は少し前の晩方に急に髪を結っていると、人魂がたった今出たから死んでしまうと急いで結わせた。家では冗談だと思ったが、持仏堂へ駆け込…

善い行いじゃないですか

正徳5年1月28日。巳(午前9時)頃、東輪寺で施行が行われる。この日から隔日で行われる。自ら勧進に出かけて得た分を施行する。晦日には1200人ほどが集まる。1人に10銭ずつ金銭を与える。25日から鉢(托鉢)に出かける。維摩院は金5両を与え…

林右衛門がわかったぞ

正徳5年1月27日。御比丘尼所中間目付林右衛門が七間町の牢に入る。御下屋敷奉行から牢米を出す。妻子は与五左衛門ところから世話をする。左近右衛門中間又六は稲葉林大夫が世話をする。七つ寺で仕舞が行われる。殊の外流行る。稲荷で稽古浄瑠璃が行われ…

だからダメだって

正徳5年1月25日。夕暮れ前、火事の噂がある。嘘であった。

土まで売らなければならないほどの貧乏とは

正徳5年1月24日。申半(午後4時)過ぎ、文左衛門の下、中の(ノ)町の北側、中根文左衛門の東隣御歩行水野与一右衛門のところから出火する。大騒ぎになるがすぐに鎮まる。与一右衛門は江戸留守であった。極貧で屋敷中の土を掘って売り、その穴の中に小…

1月15日の林右衛門か

正徳5年1月23日。御国奉行で帯金左近右衛門召仕と林右衛門とを加藤儀左衛門が召し連れ出す。詮議がある。

久しぶり、操りの話題

正徳5年1月22日。橘町で操りが行われる。太夫は大和彦太夫。

馬まで売り払うぐらいの困窮ぶり

正徳5年1月21日。守崎・奥田・高橋・今泉・津田兵部・河村縫殿・庵原氏などの御内証金(藩主の家政費)を借りた者たちは、申極月(12月)26日に返済できなくて断りを入れ、当2月2日まで返済するとのこと。2日までは年譜(年譜)に定めがあると。…

建中寺から盗み出されたものを建中寺隠居が買ったのか、それで彼はどうなった

正徳5年1月19日。昨年冬、建中寺内戸田源五右衛門のところにあった作事道具がたくさん盗み出され、打ち出される。建中寺の裏門から車で引き出すと云々。門番1人と霊屋附の中間1人が調べられるが、その後何事もなく赦される。近頃、売った者と買った者…

だからこういうデマはよくない

正徳5年1月18日。昼前、火事と言うが、嘘であった。

何度も建中寺に愛を運ばれている

正徳5年1月17日。泉光院様(徳川継友生母)が建中寺を詣でる。この朝、橘町の裏町白随で千日念仏が始まる。導師は南寺町徳林寺が勤める。

やはり日本人は昔から凄い

正徳5年1月16日。文左衛門は御蔵で昨年冬の買留の金7両を受け取る。10匁1分は翌日平田で受け取る。大須で太子堂葺き替えなどの供養が行われる。聖徳太子は大工・屋根葺きが昔から信仰していた。藤原大工という和州藤原の大工が太子の指揮で初めて四…