名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

いろいろとルールがあるのですね

正徳3年閏5月28日。
当地の米が次第に高くなっているので、近頃町奉行が町中の手元に置いた米を点検したところ、12300石あまりあった。
このため他所へ米を遣わすことを禁じたが、江戸は例外であった。
このため急に2、3升も値が下がった。
しかし、三州からやって来た米買を断りもなく泊めたと、本町7丁目伏見屋三郎兵衛がこの日26日から戸を閉ざす。

万五郎様(徳川宗治)に付いて江戸へ下った朝倉平左衛門が今月23日に自害する。
吐血して急死したことにする。
平左衛門は最初平左衛門は山澄淡路の小姓であった。
先公の時、朝倉留兵衛の子として御内証に出ており、最近御勝手番となっていた。
平左衛門の前任金森数右衛門も万五郎様の御供をして市買(市谷)に休息に入り、その帰り吐血して急死していた。
2人とも初めは万五郎様の御抱守であった。
表へは万五郎様は入られないので、御内証(奥)へ入られる。
御内証へは勝手番でなければ入れないので勝手番を仰せ付けられていた。