名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2024-01-01から1年間の記事一覧

真偽がはっきりしないのが噂です

正徳2年5月18日。今月13日、土山で京室町の12、3歳になるぬけ参りの女を宿(トマリ)で殺し、金を盗んだことが露見したと名古屋でもっぱら噂になっていた。文左衛門が京にいたときにこの噂を聞いたことがなく、土山でも噂になっていなかったのでこ…

これで人が集まってお金になるってことかな

正徳2年5月12日。上田町の座頭などの配当場(盲人の集会所)に以前から朝に寄り集まっていた。盲人が心経・阿弥陀経・観音経などを読み、檀施(布施)を報謝していた(与える)。近頃、桐山・平尾検校が思い立ち、古仏の釈迦・阿弥陀の両尊を調えて再興…

これで便利になったのか

正徳2年5月11日。伊勢町と大津町の間、本重町と蒲焼町の通り抜けにこの春の作事で借屋などが出来る。一両日前からの通路ができる。これは法林寺が売りに出した屋敷を新田庄屋源右衛門が買い求め、願い出て東西両側を借屋にし、新たに通り抜けとした。

機構改革

正徳2年5月10日。昨日、大曽根下屋敷奉行は無用とのことで梶川市大夫は馬廻りとなる。御下屋敷は小路奉行の支配となる。

盗人が目立つのはどうかと思います

正徳2年5月8日。この日未(午後1時)頃から明日まで白林寺で一岳50年忌の法事、施餓鬼、行道が行われる。9日には観音懺法が行われる。この日の夕暮れ過ぎ、大沢無手右衛門の若党岩田源八という者が岡部藤左の横町を東へ向かっていると、何かが頭に取…

厳有院は4代将軍徳川家綱

正徳2年5月4日。明後日6日から8日まで厳有院様の法事が行われるのでいつも通り物静かにするようにとの廻文がある。

3年ぶりとは長い

正徳2年5月3日。渡辺飛騨守は3年ぶりに暇を得て、寺部へ行かれる。

恨みって恐ろしい

正徳2年5月2日。岩村浪人の娘で奥田弥左衛門妻が大病を患う。物の怪だと大騒ぎになり、諸寺の僧が祈祷を行い、岡部藤左衛門・三宅□が汗を流して鳴弦(弓の弦をはじいて行うまじない)などを行うが効果がなかったと云々。この後ある僧がやって来て病人の話…

正徳2年5月の天気です

正徳2年5月1日。曇。夜に入って雨が降る。亥(午後9時)頃、雨が止む。正徳2年5月25日。晴。正徳2年5月26日。昼過ぎから曇る。夜になって雨が降る。1晩中ジメジメする。正徳2年5月27日。雨が激しく降る。辰(午前7時)から小降りになる。…

職人の火の不始末か

正徳2年4月27日。明け方前、駿河町、奥田町すぶり(ママ)権三東の方庄屋半兵衛の座敷が火事となる。昨日板返し(板葺き屋根の吹き替え)を行っていた。

今も市役所では転勤はこの原則

正徳2年4月25日。代官17人の支配地が替わる。民と馴染みができると私物化するので6、7年に1度行われる。

吉通夫人の実家だから

正徳2年4月24日。成瀬藤太夫が尾張を発ち、九条様の作事を見廻るため京へ向かう。

寺の住職って内部昇任じゃないんですね

正徳2年4月23日。法花寺に住職が入る。三州の長満寺から来ると云々。

これは大騒ぎ

正徳2年4月22日。厳有院様の法事が26日に始まり、27日から諸大名が順に参詣することとなる。このため勅使の久我前内府がこの夜熱田に泊る。

急に突き放されても

正徳2年4月21日。摂津守(松平義行)は家中へ言いつけられる。今後生活が苦しいからといっても救済はしない。下された禄で何とかやりくりするようにと云々。昨夜、近衛前相国が宮に泊まる。20日のこと。

離婚ラッシュ

正徳2年4月18日。竜泉寺・馬嶋明眼院・濃州願光院の3僧がこの度の厳有院様の法事万部の衆として江戸へ向かう。これはこの度色衣の願いのため。近頃、米倉伊平次の女房が去った。これは父の有計の我儘が原因で、舅服部治右衛門が貰い返した。近頃、野中…

東照宮祭

正徳2年4月17日。宮へ大道寺駿河守が代参する。祭礼は巳時(午前9時)に出発し、未下刻(午後3時)に戻る。万五郎様が見物する。飯嶋藤十郎は行きと帰りで、馬も馬具も自分の衣服、挟箱・槍、供の衣服まで全て替わる。前代未聞のことであった。牧彦右…

余計面倒なことになってしまった

正徳2年4月15日。呉服町の紺屋へがつそう(兀僧、総髪)の医者のような者が大小を差してふと入ってきて、木綿の肌着を盗み出たので追いかけ、盗みだと叫んでいると町廻りの足軽と行き会い、捕まえて紺屋へ連れてきた。紺屋は盗みとすると面倒だと思い、…

お引越し

正徳2年4月14日。蓮乗院がこの日武兵町から東出来町へ移る。9日に屋敷奉行により出来町の屋敷を渡す。12日に5人の比丘尼衆へ同所を渡す。出来町の比丘尼屋敷は周囲南北32間(1間は約1、8メートル)、東西56間であった。

誓願寺、がんばってます

正徳2年4月13日。久屋誓願寺で7日の法事と廻向が行われる。巳(午前9時)に終わる。

弥と矢、どっちでもいい気がしますが名前だからなあ

正徳2年4月12日。昼前、牧彦右衛門は足揃を見物し、槍の短い鞘がおかしいなどと悪口を言った。堀勘兵衛の若党は酒に酔い、頭をはられて踏みつけられた。見物は大騒ぎとなりが、踏んだ人は誰かわからなかった。佐藤治兵衛の二男とも、しかし詳しくはわか…

火事が一番怖い

正徳2年4月11日。戌刻(午後7時)、東照宮の正遷宮が行われ、子刻(午後11時)に終わる。門固は足軽頭大崎半兵衛が勤める。火の元など注意するようにと事前にあった。

悲しい書き置きだけど、残された母は何思う

正徳2年4月7日。この日から13日まで誓願寺で供養説法が行われる。堅空上人が勤める。呉服町町代角倉彦九郎は祭礼に出るので従弟伊勢町の勘右衛門と申し合わせ、祭礼の拵えを立派に飾り立てたいとのことであった。彦九郎は彦兵衛の子で29歳で橘屋の跡…

金色ですか、神々しい

正徳2年4月6日。久屋誓願寺本尊を再興し、全て金色とする。この日の供養は如法念仏(規則を定めて行う念仏)、音楽を5回奏でる。導師は堅堂俊極上人が勤め、熱田正覚寺方丈であった。参詣の男女が群れ集まる。午の時(午前11時)に終わる。

放火は厳罰だぞ

正徳2年4月4日。丑(午前1時)過ぎ、桑名町1町目西側魚棚上る2軒目の町代で酒屋の長兵衛の屋根の上から火が燃え上がる。町の者が早速消し止める。放火と云々。

大した住職だ、宗派の恥

正徳2年4月1日。法花寺町にある俗に御堂という照遠寺の住持日広玄義は能化(長老・指導者)になろうとして上京したが、日々の不法が耳に入り、飛脚でこの日連れ戻しに行かせた。戻ると寺社奉行は大光寺から日広に隠居を願わせようとしたが、日広は従わな…

正徳2年4月の地震です

正徳2年4月1日。未刻(午後1時)、地震がある。

正徳2年4月の天気です

正徳2年4月17日。明け方前から濃い霧が立ちこめる。卯(午前5時)から晴れる。1日中気持ちがよい。

いろいろと人の行き来があります

正徳2年3月29日。未(午後1時)頃、大道寺駿河守が名古屋に到着する。卯(午前5時)過ぎ、高田新蔵が名古屋を出発し、木曽路を行く。一昨日、内藤喜左衛門が名古屋に到着する。

武士が騒いでどうする

正徳2年3月28日。申下刻(午後5時)、熱田高御堂、亀井道場西の町で民家1軒が焼失する。この日熱田の宿には大名が多く泊まっており、大騒ぎとなる。