名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2024-05-02から1日間の記事一覧

結構追放になっても戻って来てるんです

宝永6年5月29日。津守様(松平義行)が熱田に泊る。翌1日早朝に八三郎様(継友)、喜子之進様(松平通温)・万五郎様(宗春)が連れ立って熱田へ来られて対面する。津守様から八三郎様に明石縮2端・奥津鯛を供する。2人にも奥津鯛と絹縮2端ずつ供さ…

やっと外構工事

宝永6年5月26日。1昨日と今日の2日で沙(左)官が文左衛門の蔵を塗り終える。この日から壁の囲いのため大工がやって来る。

公の帰名の準備でしょうか

宝永6年5月22日。井伊掃部が鳴海に泊まる。翌日は清須で昼休み。巳刻(午前9時)、津守様(松平義行)が江戸を発つ。

あれ、この前葺かなかったですか

宝永6年5月20日。文左衛門は瓦を葺き直す。手伝が6人。

熱田も大騒ぎでしょう

宝永6年5月18日。二条・近衛の2人は別に饗応があるので江戸に留まり、他はこの日と明日熱田宮に泊まる。高野大納言・庭田大納言・梅小路中納言・両局押小路大外記、壬生左大史、告使山科民部大丞。嗣使青木兵衛尉・青木左兵衛尉の以上は18日に宮泊ま…

これがまた大変なんですね

宝永6年5月17日。公に国元へ戻る暇を出すとの内意がある。

遠回りだったんでしょうね

宝永6年5月14日。この日から西鉄門を通行できるようになる。以前のように石垣が出来上がったため。

喧嘩した2人の屋敷を処分

宝永6年5月12日。文左衛門の蔵のけぶせ(毛伏、毛羽をとること)を14日に行う。この日で大工仕事が終わる。2月21日からの合わせて60日。里見杢右衛門の屋敷を田辺源五左衛門が拝領する。順番ではなかったけれど山口に槍の稽古場を設けるためと云…

この2人は新番衆

宝永6年5月11日。大樹の茶壷が熱田に泊まる。志水甲斐・星野七右衛門などが出る。

大動員

宝永6年5月9日。五十人・三十人が江戸へ将軍宣下の饗応のため出発する。

将軍宣下と言えば一大事

宝永6年5月6日。書院番が20日の準備でこの日江戸へと将軍宣下の饗応のため下る。茶壷などや相応寺の法事には書院番がいないので、新番衆が出て勤める。

皆さん、怠ることなく勤めてると思いますか

宝永6年5月2日。文左衛門は近頃勤書を出す。頭の交代のため仲間は全員出す。勤の覚 朝日定右衛門。一 私は延宝9年酉2月、瑞竜院様に初めて御目見する。 御目見を14年。一 元禄7年戌12月、父同名善太夫は願いの通り隠居を仰せ付けられ、知行・家屋…

僕、なぜ帰ってしまった

宝永6年5月3日。文左衛門のところに瓦師1人がやって来て瓦を葺く。手伝と召使とあわせて5人がやって来る。杢兵衛と安右衛門が申刻(午後3時)からやって来たので酒と食事でもてなす。瓦の数は巻末に記す。未半(午後2時)頃、隼人正組200石里見杢…

宝永6年5月の地震です

宝永6年5月4日。卯(午前5時)過ぎ、地鳴りがする。宝永6年5月5日。卯(午前5時)過ぎ、地鳴りがする。宝永6年5月16日。寅刻(午前3時)、地鳴りがして地震がある。宝永6年5月17日。巳(午前9時)過ぎ、地震がある。丑刻(午前1時)、地…

宝永6年5月の天気です

宝永6年5月3日。快晴。宝永6年5月5日。快晴。西風が吹き、寒い。文左衛門は昼も袷を着る。宝永6年5月9日。夜、曇る。夜中から雨が降る。宝永6年5月10日。雨が降り、また風が吹く。未(午後1時)から雨が止み、晴れる。宝永6年5月11日。晴…