名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

ちょっと薄情じゃないですか

宝永6年9月29日。
評定所東揚り屋へ御目見高橋勝蔵・小普請三宅又十郎が入る。
先手永田三左衛門がこの番をする。
2人は悪事を重ね、盗みに追剝と世間で言われる通りであった。
勝蔵は初め静石(シズカ)右衛門と名乗り、これは異称(別名)だとも。
三宅の異名は蛙(カエル)と言う。
又十郎の町屋へ小普請仲間野田善十郎・小池忠助・里見以上5人(ママ)が出かけた。
初めは病気と言って又十郎は会わなかった。
さらに仕事のことだと言うと会うことになった。
大小刀を渡せと言うと、断りそうな様子だったので左右から取り押さえた。
母が別れのあいさつに出てきて、教訓(イサメ)があると泣き出した。
駕籠を持って行っていたのですぐに乗せ、評定所へ連れて行った。
又十郎はまるで酒乱であった。
度々母を打ち、馬乗りになり、妻の髪をほどいて手に巻き付け、引きずり歩いたと。
全ては数えあげることもできない。
又十郎の妻は井上久蔵の娘で4人の子どもがおり、2人は母に付けて離別する。
1人は腹におり、1人は又十郎の母のところにいた。

近頃のことと云々。
江戸赤坂の町人が7人連れで伊勢を参詣した。
宮と鳴海の間で1人がいなくなってしまった。
残りの者はやむを得ずそのまま参詣し、帰りも見つけられなかったのでそのまま江戸に戻った。
いなくなったものは70歳ほどの者だと云々。