名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2024-01-01から1年間の記事一覧

雨で延期のようですね

正徳3年4月17日。祭礼が延期されている間、日に3度ずつ吉見が束帯で出仕する。

時代劇のイメージだと武士に刃向かうなんてありえないのですが

正徳3年4月16日。舞楽は巳(午前9時)過ぎに終わる。文左衛門はこれを見物する。呉服町に薦僧が揃い、巳(午前9時)過ぎに新左衛門の弟大津丹治郎と太左衛門の子林甚五左衛門が見物していると、桑名町の下西鍛冶町の大工治兵衛の子吉左衛門という浮気…

角右衛門さん、よくぞ頑張った

正徳3年4月15日。一季居(1年奉公した)奉公人は他所の者であっても抱えるようにとの廻文がある。近頃、蠏江角右衛門に今月の稲荷正遷宮の準備の者が300人になるので、その朝食、夕食、夜食を古渡の百姓に申し付けるようにと。角右衛門はそれに応ぜ…

廻向は送る人、経を読む人ともに浄土へ導かれます

正徳3年4月13日。今朝、照光院で四十八夜惣廻向が行われる。

古渡の稲荷

正徳3年4月12日。巳(午前9時)刻、周防守、靭負、肥前守、野呂瀬内記、鈴木新兵衛、高木十右衛門、佐藤弥平次、中西甚五兵衛が新たに建った稲荷を見廻る。

この複雑な男女関係は

正徳3年4月11日。中西甚五兵衛は名古屋に戻る際、伊奈川で牽いていた馬が飛び跳ねて深い谷の中に落ちた。一緒にいた口取1人も谷に落ちたが、中段で留まった。馬はとても深い谷に落ち、どうしようもなかった。この時、伊奈川の橋の修復のため詰めていた…

川が増水すると渡れない

正徳3年4月10日。戌(午後7時)過ぎ、高田新蔵が名古屋に到着する。7日に到着するはずであったが川の増水のため。4日、隼人正が犬山に到着する。翌5日に名古屋に到着する。

もったいないお言葉

正徳3年4月6日。卯半(午前6時)、万五郎様が文左衛門の町を通り、木曽路を江戸に向かわれる。中村又蔵は馬2匹、借槍1本で御供をする。養父碩雲が一昨日亡くなったが、今日又蔵が出発した後で亡くなったことにする。御歩行衆を雇い、五十人目付関留市…

食事の提供など大変だ

正徳3年4月2日。小塚から天神が遷座する。御代官衆から惣支度を申し付ける。3度とも吉見も森本も御供であった。3度とも塩水を打ち、散米(神前にまく米)は3石あまりになる。

変動相場は不便だよ

正徳3年4月1日。近頃、銭は金1分で974文。

正徳3年4月の地震です

正徳3年4月2日。寅(午前3時)過ぎに地震がある。

正徳3年4月の天気です

正徳3年4月2日。曇。卯半(午前6時)過ぎから雨が降る。1日中ジメジメする。深夜に雨が止む。正徳3年4月3日。晴。正徳3年4月5日。曇。辰(午前7時)前から雨が降り、未(午後1時)から止む。時に日が差す。正徳3年4月6日。曇。辰(午前7時…

尾張の二宮は大懸神社

正徳3年3月29日。駿河守は尾張を出発する。 この日、二ノ宮から小塚村天神へ遷座するはずのところ、雨のため順延となる。

この幸せそうな記述に腹が立つことがある

正徳3年3月27日。文左衛門は巳(午前9時)過ぎから相役と市と一緒に自然院へ出かける。小池奥左が居合わせる。酒を頂く。そこから古井地蔵へ出かける。それからま虫(蝮)池の奥で弁当を気持ちよく頂く。そこから振甫山へ出かける。また弁当を頂く。夕…

正徳3年3月19日を参照してください

正徳3年3月26日。この日、年寄衆から伊平次のことを御屋敷奉行へ申してくる。27日にこれを請け取り、夕斗(計では?)夫婦は熱田へ行く。

2件の悲惨な出来事

正徳3年3月24日。近頃、熱田築出し石臼屋の出店の半町(1町は約108メートル)ばかり東で伊勢参りと思われる者が叩き殺されていた。博打打かとも。近頃、想見寺の南の堀へ生まれて4、50日になろうかという子どもが捨てられて死んでいた。

この吉見さんの指示はいかがなものか

正徳3年3月23日。石枕の稲荷をこの度新たに建てた地へ仮遷座する。申刻(午後3時)に出発し、亥刻(午後9時)過ぎに到着する。吉見刑部が束帯で乗物に乗って供をする。足軽頭森本孫介は上下で馬に乗って足軽と共に供をする。城下の祢宜7人は祭礼の時…

まずは請け取るのが筋

正徳3年3月21日。巳刻(午前9時)、大須で入仏供養が行われる。院主は宥伝、出俗法印27人、平僧30人。翌22日明け方寅刻(午前3時)から開帳が50日の間行われる。この日、金柳村少林寺の隠居僧が評定所に訴状を出したところ、請け取らなかった…

無理に誘うからだよ

正徳3年3月20日。近頃、花井勘右衛門が借屋大坂屋市左衛門という者を参宮するからと誘ったが、日蓮宗なので参宮なら嫌だが、遊びとうことなら一緒に行くと言った。清火(切り火)をすると参詣になるからと清火もせずに一緒に出かけた。宮川で垢離を行え…

註では文左衛門さん意味が通じないと言ってますが大意はわかりますね

正徳3年3月19日。夜、垣沼清貞が寅(午前3時)過ぎに、佐藤庄左衛門・恒川左五兵衛は信州伊那川の橋の修復の用務で今朝出発する。昨日、御馬廻米倉伊平次と御目見従弟米倉左平太が共に立ち退く。伊平次の養父有計はわがままで勝手気ままであった。召仕…

これこそ大にぎわい

正徳3年3月15日。卯(午前5時)前、山城守が尾張を出発する。天王坊へ長野村万徳寺の院主が入り、その後には玄英法印(八三郎様の母公泉光院の弟)が仰せ付けられる。今朝上田町誓願寺で一万日惣回向が行われる。9日からとても大きな鉦4挺を打ち鳴ら…

どこで行われたのでしょうか

正徳3年3月14日。十二郎の狂言が行われ、日々、人が集まる。立田(演者)一人の大あたりと云々。演目は傾城明石の浦で三番続き(三幕)。(役と演者略)

今なら車や新幹線で通り過ぎるだけなんですがね

正徳3年3月13日。九条左大将様が夕暮れ頃万場を通り、夜遅くに熱田へ到着し、宿泊する。近衛殿はこれより早く熱田へ着いていた。旅宿への使者は渡辺新左衛門・滝川弥一右衛門が勤める。佐屋の昼では荒川次郎九郎、御目付浅野弥一右衛門、五十人目付山上…

これぞ機は熟した

正徳3年3月11日。文左衛門には左の腮(アゴ)下に桃ぐらいの大きさの瘤が20年来あった。8日に少し押すと面皰(ニキヒ)のなかのようなものが少し出て、翌日からも時々押すと面皰の中のものがたくさん出て気持ちがよかった。今日などは瘤もはなはだ小…

猫がかわいそうだ

正徳3年3月10日。昼から文左衛門は御作事奉行4人、小路奉行2人、上松奉行2人、斎谷小兵衛と弥次右と長久寺へ出かける。素晴らしい景色を楽しむ。食後、庭の外の仮山(築山)側の腰懸で酒を頂く。その後に後段(供応の後に出る食事)を頂き、日が暮れ…

信じれば救われる

正徳3年3月9日。この日から久屋誓願寺で万日廻向が始まる。近頃、中主以智という僧が説法を行い、人が多く集まる。

何度も言いますよ、今の現金支給はありがたい

正徳3年3月8日。文左衛門は手形を源介に頼み、7分の代金4両を受け取る。半銀(出た半端な金)2分7匁は書付を持たせ、平田から取り寄せるはずを書き換えて1石4斗2升は同様に源助に払ってもらう。1両で6斗7升5合。近頃、今井甚右衛門東の光照院…

大隅守は後の徳川継友

正徳3年3月3日。岩田内右衛門の子仁右衛門が7両を拝借し、この日江戸へ下る。大隅守様表番に召し出される。主水は尾張を出発する。

やはり昔から演劇などの興行は金食い虫

正徳3年3月1日。橘町で十二郎の狂言が行われる。この度は今日から若女方として藤本竜田、道外方は三国勘九郎、立役中村源七の3人を呼び寄せる。藤本竜田、初めは藤本花霧と名乗っていた。但しこの興行は橘町の者が請け負ったと云々。橘町に家を借り、十…

正徳3年3月の天気です

正徳3年3月1日。晴。正徳3年3月2日。夜半から雨が降る。正徳3年3月3日。雨が1日中、1晩中降る。正徳3年3月8日。朝、霧が出る。辰(午前7時)過ぎから雨が降る。亥(午後9時)前から晴れる。正徳3年3月9日。晴。正徳3年3月10日。深夜…