宝永6年4月20日。
文左衛門は帰路上下を脱ぎ、羽織を着て修理殿へ出かける。
暇をもらえてありがたいことである。
明朝出発すると伝え、そこから源右へ暇を乞いに出かけて帰る。
亥(午後11時)前、八郎右・瀬左とともに文左衛門は出発し、巾下を抜けて佐屋に向かう。
瀬左と文左衛門は枇杷島で駕籠に乗る。
佐屋までは230文。
半分の荷物ということで馬1頭を雇う。
源右衛門の代参友平が文左衛門に従って出かける。
その召仕は八平。
昼、旅籠に1日1人50文ずつ渡す。
宝永6年4月20日。
文左衛門は帰路上下を脱ぎ、羽織を着て修理殿へ出かける。
暇をもらえてありがたいことである。
明朝出発すると伝え、そこから源右へ暇を乞いに出かけて帰る。
亥(午後11時)前、八郎右・瀬左とともに文左衛門は出発し、巾下を抜けて佐屋に向かう。
瀬左と文左衛門は枇杷島で駕籠に乗る。
佐屋までは230文。
半分の荷物ということで馬1頭を雇う。
源右衛門の代参友平が文左衛門に従って出かける。
その召仕は八平。
昼、旅籠に1日1人50文ずつ渡す。