2022-12-17から1日間の記事一覧
元禄8年4月30日。晴。夜更けに雨が降る。平岩勘左衛門父子・木村左五太夫が共に追放となる。広瀬六郎右衛門は加賀より出ず。
元禄8年4月29日。曇。昼、雨が降るが、その後止む。雲は乾(北西)へ流れて行く。
元禄8年4月28日。曇。昨日、兵右衛門家老近藤作太夫のところから仲間へ触状が来る。兵右衛門が言うには、明朝6ツ半(午前6時)に出仕するように。明番の輩はそのまま出仕するはずである。文左衛門が出仕すると兵右衛門が話してくれた。伝太の改易につ…
元禄8年4月27日。雨。辰半刻(午前10時)、津守様(松平義行)が江戸より戻られ、成瀬隼人上屋敷を借りて入られる。その後、大殿様大曽根下屋敷を訪れる。巳半(午前10時)過ぎると雨が止む。その後晴れる。
元禄8年4月26日。快晴。深夜に雨が降る。
元禄8年4月25日。雨が降るが、時々止む。夜更けには曇る。
元禄8年4月24日。晴天。夜になって雨が降る。
元禄8年4月23日。文左衛門一行は夜明け前に宿を出発する。文左衛門は四日市まで駕籠に乗り、未刻(午後1時)桑名に到着する。文左衛門は妻のために櫛を7匁5分で買い、熱田への船に乗る。船頭には銭200文を渡す。酉5刻(午後6時)に帰宅する。夜…
元禄8年4月22日。申刻(午後3時)前、平岩伝太夫が改易となる。江戸・京へは入国禁止とする。兵右衛門足軽が清須まで送って行く。まるで追放のようであった。兵右はこのことを知らず、それを恥じて逼塞を老中まで願い出るが、そこまでのことはなかった…
元禄8年4月20日。永井善右衛門が妻を離別する。
元禄8年4月19日。快晴。卯半点(午前6時)、熱田より船に乗り、正午桑名に到着する。この日は神戸に泊まる。長坂九右衛門が死ぬ。村田長兵衛も死ぬ。長兵衛はこの夜客を招いていた。この日血を吐いて死ぬ。御目見衆への触状を写す。殿様50人御歩行衆…
元禄8年4月18日。朝、時々細かい雨が降る。辰刻(午前7時)過ぎに止む。巳8刻(午前11時前)から晴れる。巳刻(午前9時)に祭礼が始まり、正午に終わる。未刻(午後1時)から西風が激しくなり、夜には更に激しくなる。丑5刻(午前2時過ぎ)には…
元禄8年4月17日。雨が降る。祭礼が順延となる。夜も時々雨が降る。
元禄8年4月16日。未刻(午後1時)から曇る。東風が吹く。夜中過ぎると雨が降り始める。小菅猶右衛門が井上文右衛門を伊勢に一緒に連れて行きたいと言うので、しばらく考えた後、渡辺源右衛門に頼んでこの日暇を願い出る。しかし1度に3人は多すぎるの…
元禄8年4月15日。明け方から大変涼しく、空は晴れ渡る。
元禄8年4月14日。西風が吹く。文左衛門は弾之右衛門・弥市・新八と地蔵池(地蔵ヶ池、勝川)へ魚を獲りに出かける。風のため魚を得ることができなかった。
元禄8年4月13日。西風が吹く。文左衛門は小菅猶右と親と一緒に19日に伊勢参りをすること久兵に報告する。
元禄8年4月12日。1日中雨で大粒の雨が降る。夜更けに止む。
元禄8年4月11日。夕暮れ前から曇る。夜亥刻(午後9時)から雨が降り出す。
元禄8年4月10日。一昨日の小頭衆への言渡しでは、仲間の者は月に3度ずつ出仕するようにとのことであったが、大勢ではっきりしなかった。これからは番の帰りに3度の出仕のほか2度ほど3人迄ずつで出かけて会うようにと。このため今朝文左衛門は弾之右…
元禄8年4月9日。晴天。
元禄8年4月8日。雨が降るが、夜更けに晴れる。
元禄8年4月7日。曇。未半(午後2時)過ぎから雨が降る。平岩伝太夫は困窮がはなはだしかったので仲間で相談して600文ずつ援助することとする。先日から話し合って決めたことで、この日銭を集めて送り届ける。仲間の中で銭を出さなかったのは、佐藤岡…
元禄8年4月6日。快晴。
元禄8年4月5日。未3刻(午後2時30分)より雨が降り始め、夜になると大雨となる。夜中には晴れる。
元禄8年4月4日。快晴。伏見町下の足軽屋敷に某という足軽の大変美しい女房が住んでいた。夫は江戸で勤めており、女房はひとりさびしく暮らしていた。近頃、彼女が戸を閉じ自害する。原因はわからず。
元禄8年4月3日。まだらな雲が重く重なった雲となる。昼過ぎには細かい雨が降り、未刻(午後1時)には雷が小さく鳴る。
元禄8年4月2日。文左衛門は田村新八と地蔵池(地蔵ヶ池、勝川)に投網を打ちに出かける。鮠、金くぢ(カマツカ?)などを捕る。