名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

舞台ってけっこう融通がきくんですね

元禄8年4月10日。
一昨日の小頭衆への言渡しでは、仲間の者は月に3度ずつ出仕するようにとのことであったが、大勢ではっきりしなかった。
これからは番の帰りに3度の出仕のほか2度ほど3人迄ずつで出かけて会うようにと。このため今朝文左衛門は弾之右・平左と兵右へ行き対面する。
文左衛門は直ちに忠兵へ行き、帰ると平左・分内・大田忠左と児玉へ操り見物に出かける。
演目は富士の牧狩、太夫は名人ということであったが、浄瑠璃が古めかしくて面白くなかった。
中入過ぎに附舞台へ竹本義太夫・同新太夫・同喜内、三味線引竹沢権右衛門、おやまつかひ(女形遣い)小山庄左衛門が出てくる。
皆上下を着て現れ、芝居へ礼を行う。
すぐに口上が披露され、子弟は連節で道行を1段語る。
庄左衛門は袴になり、もじ(戻子)屏風を立て道行の人形を使う。
芝居中には要望に応えてワキを替えて1段語る。