名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-12-25から1日間の記事一覧

汚いなあ

元禄8年8月30日。請人が源右衛門のところへ金3分を持ってやって来て、残り1分は後で出すと言うので帰す。文左衛門は忠兵へ出かけ、請人が謝れば3分2朱でも許すべきかと相談する。忠兵衛はうなずく。文左衛門は次郎右へ行き、帰りにまた源右へと出か…

8月29日の天気です

元禄8年8月29日。雨が降る。申刻(午後4時)から晴れる。

由介のことはまだ片付いていなかったのか

元禄8年8月28日。文左衛門は岡部次郎右のところへ出かけ、由介の請人のことを上手く処理してくれるよう頼む。次郎右は大曽根の庄屋と縁のある町人を呼び寄せ、これを伝える。

このあたりは律儀です

元禄8年8月27日。晴。文左衛門は初めて見舞ってくれた人たちへ礼に出かける。

書置を読んでみたい

元禄8年8月26日。曇時々晴。この朝、小川甚左衛門弟で但馬守様(松平友著)御用達滝尾政右衛門が同御守石川平右衛門宅へ行き、思うところを話し、平右衛門を切り殺して自害する。政右衛門は書置を残しており、首尾が良いと人々はほめる。

8月25日の天気です

元禄8年8月25日。激しい雨が降り、夜になってもおさまらず。

そうか、病気だったから髪はボサボサ

元禄8年8月24日。未刻(午後1時)から明朝まで性高院で平右内儀の法事が行われる。仲間を2組にして参詣する。文左衛門は長髪ということで参詣せず。また明日は当番の日なので参上するつもりである。しかし長髪なので大丈夫かと久兵に相談する。九兵は…

8月23日の天気です

元禄8年8月23日。雨が止み、曇る。

うっ、文左衛門さん、自分では対応していない

元禄8年8月22日。文左衛門の病気は快方に向かう。夜は曇り、戌半(午後7時)より雨が降る。辰刻(午前8時)に忠兵がやって来る。追って弾七もやって来て、忠兵には話をしていないので、定右衛門などはちゃんと話をするべきと言っていると。昨日までの…

本当に鍛錬していたのか、家老さん

元禄8年8月21日。文左衛門の召仕由助の請人が近頃佐之右衛門のところへやって来て、切米(給料)を日割りで欲しいと言い出す。そうでなければ由助を返すと言うので、文左衛門は源右を呼んで相談する。覚右・久兵などと源右衛門は相談すると、請人は返す…

本当に大丈夫でしょうか

元禄8年8月20日。文左衛門は熱が出たようで、申半時(午後5時)に寒気がする。夜は微熱がある。

また急ですね

元禄8年8月19日。辰半点(午前8時)、小さな地震がある。文左衛門は熱があり、久兵へ行くと言う平右を見舞わず。近所の衆は2度見舞う。夕暮れ前に兵右の内室が死ぬ。

うつってはいけないからかなあ

元禄8年8月18日。雨が止み、時々曇る。申刻(午後3時)過ぎから時々雨が降る。未刻(午後1時)過ぎから文左衛門は発熱するが、吐くことはなし。夕暮れには熱が下がる。留永兵右の内儀が少し前から痢病(激しい下痢を伴う病)を患っていたが、仲間は見…

相当悪いですなあ

元禄8年8月17日。雨が降るが、時々止む。文左衛門は当番であったが、病気のため井上文右に頼む。松井勘助の番には広瀬弥右衛門が出る。

さすがに体調が悪くて行っていないですね

元禄8年8月16日。真福寺にて狂言が行われる。座本は和泉屋十三郎。文左衛門は未刻(午後1時)から悪寒がし、吐いて熱が出る。後藤源隆を呼び、鍼を立ててもらう。

倹約と言いながら豪華な面も

元禄8年8月15日。快晴。八幡祭礼は例年通り。今年は大坂から踊り子を呼び寄せる。衣装は絢爛であるがいちいち書き記さず。文左衛門は京安を呼び、薬をもらう。

これはマズいでしょう

元禄8年8月14日。朝、曇。徐々に晴れる。文左衛門は未半時(午後2時)から悪寒がし、発熱する。夜になると頭痛がし、2度吐く。夜中にようやく寝ることができる。瘧(おこり、熱病)。寺社奉行が叱った10人衆萩原藤右衛門・小笠原勘助を厳しく叱った…

広井八幡の祭礼、泥江縣神社です

元禄8年8月13日。朝から曇っており、時々雨も降る。文左衛門の熱は下がるが、気分はすぐれず。触状が来る。来る15日の八幡祭には、下僕が車に付き添わないよう厳しく申し付けると。

中々病気がよくなりません

元禄8年8月12日。朝から文左衛門は熱があり、未半刻(午後2時)から座敷で夜着を着て臥せる。食事も食べれず。夜には熱が下がる。この日、文左衛門の部屋の前の池洲を埋める。松井勘右衛門の妻が女の子を出産するが、出血しすぐに死んでしまう。

まあ家の中で物を失くすのはよくあること

元禄8年8月11日。文左衛門は熱があり、気分がすぐれず。(中略)昼過ぎから悪寒がし、夕飯も食べず。居間に申半(午後4時)前まで臥せり、その後帰る。忠兵の印判と鍵を家の中で昨日なくしてしまい、方々探し回り、箪笥の金物まで打ち外したがどうにも…

風でも引いたのですかね

元禄8年8月10日。曇。徐々に晴れる。文左衛門は肩と十一(?)に灸をすえる。(中略)この時期帷子1枚ではとても寒く震える。夜には熱が出る。

8月9日の天気です

元禄8年8月9日。朝から1日中雨が降る。夜になって大雨となるが、夜中には止む。

天才少年現る

元禄8年8月8日。愛智郡榊之森で操りが行われる。太夫は難波紀明太夫。義太夫節は義太夫より声が低めだと。庄松という7・8歳の子がおり、間の狂言に出演し、芸を披露する。嵐三右衛門六法の振出踊り、物まねなどは大変面白く、皆感動する。浄瑠璃よりも…

大掃除みたいなものでしょうか

元禄8年8月6日。晴天。水野作兵衛の鉄砲場を片付けるので弟子たちは僕1人を連れて集まる。文左衛門も近所の輩と出かける。

8月5日の天気です

元禄8年8月5日。雨が降るが、時々止む。

我慢できずに成敗したのか、忠臣じゃないか

元禄8年8月4日。雨が降るが、時々止む。夜、三之丸御用部屋で渋谷杢之助の僕が密かに同僚の僕を刺し殺して行方をくらます。この僕は町で杢之助の名をかたり、つけで物を買うことが多かった。この日、熱田の海から霊亀(中国の伝説上の動物)が上がり、城…

8月3日の天気です

元禄8年8月3日。1日中雨が降るが、夜には止む。

このおかげで士林泝洄や藩士名寄が残っている

元禄8年8月2日。1日中そして1晩中、激しい雨が降る。服部源兵衛が承ったことで、文左衛門の先祖書を津守様(松平義行)へ差し出すようにとのことであったので、この日に差し出す。常々諸士の先祖書を集めておられた。

態度が悪かったから

元禄8年8月1日。明け方から雨が降る。11日中そして1晩中、激しく雨が降る。文左衛門が留守の間に佐之右衛門を呼び、請人を呼び寄せて由助に暇を出す。